2012.9.20 吉原弘晃 第16回インターンレポート
            町田市議会議員 吉田つとむ 研修生

第16回:インターンシップ15日目> 
          第30期研修生 吉原弘晃 東京大学大学院修士1年

<研修内容のレポート>
 
 この日のインターンは午後からでした。まず町田市庁舎で決算委員会を傍聴しました。決算委員会ではものすごく膨大な資料のもと、町田市の財政支出について詳しく議員の方と行政職員の方が話し合っていました。例えばどこのセンターに車いすが何台あり、何台新しい車いすを買ったのかなど。

 夕方からは南第四小学校で行われる南第四小学校自治会に吉田さんとともに出席させていただきました。自治会では小学生対象のお祭りにどういったものを作るのかなど、また地域で何か異常はないかということが話し合われていました。自治会の集まりに20人ほども人が集まっていたのは驚きでした。

 その後、吉田さんと矢島さんと共に夕食をとりました。私は夕食のとき、前から気になっていた「吉田さんはなぜ議員になったのか」という質問を吉田さんにしてみました。吉田さんは幼い時から政治には関心があったみたいですが、最初から政治家を志していた訳ではなかったようです。たまたま人助けのために議員に立候補し、落選した後はもう議員になろうとは思わなかったみたいです。議員にはならないで議員の秘書やバックアップをこの先はしようと決心しましたが、その後縁があって町田で立候補を決意したとのことでした。
 
 私は単純に、議員という当選しなければ何もなくなってしまう職業につき続け、生活できている吉田さんはすごいと思いました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                                 記:町田市議会議員 吉田つとむ 志政クラブ 
2012.10.11コメント

 この日も吉原弘晃さんの行動は、同じくインターン生の矢島見依子さんと同じ内容でした。矢島さんのレポートはこちら。
 まず、会議を行ったのは町田市議会の委員会室です。私は市役所と市議会の相違にこだわりを持っていますので、この場でそのことを改めて表明しておきます。国の場合は、立法府の国会と行政(首相官邸)が全く独立し他建物として建てられているので、その相違が分りやすくなっています。東京都庁と東京都議会もその相違が分りやすくなっています。私の場合は、市議会の委員会において議論して、コスト上の問題から、市議会議事堂を市役所庁舎と合築することを認めたメンバーであった経緯があります。

 決算委員会は各部門ごとに細かく課題を取り上げ、長時間厳しく論議を行う慣習があり、この日の吉原さんの傍聴でもその一こまを見たわけです。

 次いで、市内で青少年の健全育成のために組織された、青少年健全育成南第四地区委員会の会議の内容について、吉原さんはその感想を書いていますが、ここで、その名称を正しておきます。細かいことのようですが、この組織は自治会とは異なっており、自治会も参加してメンバーを出している関係になります。事実上、協議会のスタイルになります。

 最後は、私が議員になった経緯が帰されています。最初の「たまたま人助けのために議員に立候補」というくだりは分りにくい記述だと思いますので説明を加えると、サラリーマンの代表を国会に送り出そうと言う運動で、当時、新たな選挙制度が施行され、全国で活動する政党を組織することが必要で、新規に議員を誕生させるには候補者を10名立候補させる必要があり、その10名に順位をつけ、上位から当選者を出すシステムでした。この選挙方法の基本は今も参議院選挙で残っています。その際、私は落選確実は第7番目の順位で立候補していました。いわば、人柱を必要とする制度です。その後は、スタッフでやっていこうとしましたが、それが不可能な状態になり、自立の道を歩み始めたわけです。このHPにどこかにその軌跡を書いていると思いますが、それほど自慢できるような足跡ではありません。むしろ、今が自分らしい姿を示しています。

 生活に関しては、妻の就業に助けれています。結婚の際にも、妻が就業先をそれまでの居住地である福岡から神奈川県川崎市に移動することを会社に容認してもらいました。それ以降も、最初の4回の落選、都議選に挑戦して2度の落選、都合6回の選挙の落選中も妻は就業し続けました。今も、一度の空白があって、再度就業しています。生活は、かなり妻が支えてきたのが実状です。

                             トップページに戻る   リストに戻る