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吉田つとむ=支持政党なしの都民代表

支持政党なしの都民代表ノンセクトの政治家 どう実践してきたか

ノンセクトの政治家 non-sectarian

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 吉田つとむは、無所属も方が相性が良い。この10年以上の経験的な議会活動、政治活動、インターンシップの取り組みにおいて、どの分野からも、「支持政党なし」と明確に宣言できる立場です。

 オーストリア大使館を訪ねた時のものです。音楽を通じた交流です。

 吉田つとむは、ずっと権威には屈せず、強い勢力には対峙してきました。*自民党にあった時代にも、その登場時期が、野党時代であったことでも発揮してきました。

 また、執行者に批判するべきところがある時は、まず自分が最初に口火を切り、論陣を張ってきました。あるいは、一般の人の利害関係において不利益になるものについては、たった一人になっても戦ってきました。議会の中で、ただ一人、採決結果が異なることがまれではありません。それは、「常識に単純に従わず、まずを疑ってかかる」のが、政治の中で、議員の求められる視点だと思ってきました。それを実践するのが、政治家の信頼の基本だと理解しています。
 1度目の緊急事態宣言の中、街中を避け、地元の義民=原嶋源右衛門の墓にお参りする

 現在では、機会があるごとに、吉田つとむは「支持政党なし」を明快にし、つまり「ノンセクト」でること強調して表明しています。時代的には「全共闘運動」の在り方に学び、思想的には自由主義をベースにした「アナーキズム」の精神で行動してきました。

 現在は、様々の思想を持った人材が集まった市議会「保守の会」の一員として、主に兵站部門、従に政策部門を担当しています。

 上記のように、吉田つとむは、自民党の所属した期間があります。それも初当選の時期から、4期目間までに期間でした。議員と登場したのは、丁度、自民党が国政で野党に転落していた時期でした。そのこともあって、市議会にあっても、国政にかかわる議論では野党的な立場からの発言で先頭に立っていました。それが、自民党に政権が戻ると、市議会内部の新たな主導権争いが生じ、私は傍流になっていました。

 その後、都議選に2度立候補する経緯から、自民党から排除されることになり、2回目の都議選立候補の時点で、「完全無所属」の立場を明白にしました。その結果、吉田つとむは、逆に自由に政治判断ができるように、力も出てきました。「無所属の方が相性が良い」と言えるものでした。しかも、自民党と現実政治でも対峙する場面が多くなり、その後の選挙では正面から激突しています。そのスタンスが、市議会選挙3期連続トップ当選の実績になっています。

 友人が集まりました。わずかの戦力で、高度の戦いを繰り広げるのが吉田つとむの特徴です。

 その後、市議会に復帰するのですが、その復帰した5期目に副議長になった時も、6期に議長になった時も、自民党と対峙する立場をとり、その事で、合従連衡を学び、追及する政策も実現の道筋をつかんでいます。

 こうした能力を持って、どこの戦場でも、撃っていけるスタンスを保持して来ました。
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吉田つとむ

〒194-0011
町田市成瀬が丘 1-14-12

サンホワイトE103-13