インターン記録レポート 4日間の地方視察
町田市議会議員 吉田つとむ    2003/2/14 作成
地方視察総括レポート
          お金で買えない経験を体験
                       インターン生 石田寛和
                       (2003年2月13日制作)

 吉田さんの下でインターンを始めて3回目。2003年1月31日から2月3日の3泊4日という長期にわたる地方視察は、私にとって非常に貴重な経験となった。

 出発前には、いくら吉田さんの人柄が良いことがわかっていても、3泊という長期の旅行を共にするのは正直不安があった。私は、たかが学生の身分である。学生と社会人、ましては政治家の方を相手とするのだからなおさらである。なるべく迷惑はかけないようにしなくては、という思いは強かった。

 1日目、まず向かったのは、愛知県日進市。名古屋に近いベットタウン化が進む都市だ。ここでは、佐護彰日進市長、白井えり子日進市議会議員とお会いした。佐護さんは、話も面白く、趣味の絵画も御上手で、変わった市長(もちろん良い意味で)だなというのが感想だった。白井さんには、日進市の議会場、新設小学校などを案内してもらった。ピカピカな小学校で幸せそうに過ごしている子供たちを見て、羨ましかった。ちょっと金かけすぎなんじゃない?とも思ったのが正直なとこだが…。

 2日目は、岡山に向かった。就眠時間も遅かった上、前日の疲れが残っている中、朝7:00起床は辛かった。でも自分はインターン生。これくらいは我慢我慢。頑張った。現地では、羽場より三郎岡山市議会議員とお会いした。羽場さんは、人柄がとても良かった。地元の住民に対する広報活動を見学した。地道な広報活動が、支持に変わることを体感した。この日は、羽場さんの自宅に泊めさせてもらった。政治家の自宅に泊まることは、この先きっとないだろう。

 3日目は、広島に向かった。この日は、広島市長選だった。広島市安芸区での電子投票を視察した。詳細は、別のレポートどおりである。課題も残る電子投票だが、普及に期待したい。プロの新聞記者を横目に、電子投票現場を見学、写真撮影できたのは面白かった。

 4日目は、最終日で家路に向かった。しかし、その前に比較的時間があるということで、私のリクエストに吉田さんが答えてくれた。それは、原爆ドーム見学だ。今まさに、アメリカによるイラク攻撃がなし崩し的に行われようとしている。こうした現状の中で、ドームを見学できたことは、非常に意義があった。歴史の無力さを痛感した。なぜ、人は負の歴史を繰り返してしまうのだろうか。

 4日間を通して、多くの人にお会いすることができた。絶対に、普通に大学を過ごしていたら会えない人ばかりだった。この経験は、すぐに効果はないかもしれないが、長い目で見ると自分にとってすごくプラスとなるだろう。仕事や立場、身分は人によって様々だが、それぞれに皆必ず自分にないパワーというか、魅力を持っていた。それを謙虚に盗んで(これもいい意味で)いきたいと思った。どこかのカード会社のCMではないが、お金で買えない価値があった。まさにプライスレスである。お金といえば、この視察で私が費やしたお金は、自宅の最寄り駅から町田までの往復運賃、さらには家族へのお土産代のみであった。それ以外の費用は、吉田さんがすべて出していただいた。心から感謝しています!豪華な朝食、車内での駅弁、敷居の高そうな寿司屋…と、朝昼晩美味しいものを一杯ご馳走になった。おかげで少し太ってしまったが…。

 楽しく、貴重な経験を数多くできて、勉強になった4日間だった。この経験を生かしてこれから毎日を送っていきたい。

● 吉田つとむ

 現地のネットカフェからのレポートのほか、4日間をとうしたレポートを提出してもらいました。電子投票、新設小学校のサポートを別途に提出してくれましたが、現地でよく観察してくれました。

 私は、石田さんのレポートはよく出来ていると思いますが。すべてはこのHP閲覧者が決定してくれることです。あわせて、過去のインターン生も今回の記事を見てくれることでしょう。

 また、別にも書きましたが、電子投票の開票作業で、舞台に上がって撮影できた行動は、何にも変えがたい体験だったと思います。こうしたことは、思っていても出来ることでなく、躊躇なくアクションを起こせる能力につながるかもしれません。

 広島と言えば、世界最初の被爆地として有名ですが、そこの原爆ドームの見学を今回見学しました。厳しい日程の中で、そうしたゆとりを取り入れるのが、吉田流です。

 私は、この広島には高校1年生の時、「「原水爆禁止世界大会」に参加していました。ちょうど、そのころからこの原水爆禁止の運動が分裂しだした頃で、私自身も多感な世代でした。

 石田さんが、電子投票の取材以外に、目を向けてくれたことも、私にとってうれしいことでした。