インターン記録レポート(17)土屋 洋 特命の単独行動を取る

町田市議会議員 吉田つとむ    2004/10 /21 作成 
 土屋 洋 3年生 2004/10/20 到着 
主要研究項目  議員の特命事項


インターンシップレポート 17 土屋 洋

2004年10月16日(土)
<今日の流れ>
国際版画美術館へ向かう
 ↓
玉川学園へ
 ↓
再び版画美術館へ
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休憩
 ↓
片付けと、コンサートの準備
 ↓
打ち上げ


● 土屋 洋
 夏に引き続いてインターンシップを継続させていただき、I−CASの期間終了後初のインターンとなった。
 つい先日までTシャツ一枚で町田を歩きまわっていたのに、今日はトレーナーなど三枚も着込んで電車にゆられ、暖房で気分が悪くなるという季節が変わったことを強く感じるインターンの再開だ。
町田駅から版画美術館まで、何回か宣伝カーで通った道筋を思い出しつつ勘で歩き周り、20分ほどで到着した。美術館は以前訪れたときのような静かなものではなく、出店のテントが立ち並んでいたり、広場の中央には細長い緑色の風船が針山のように立ち並んでいる奇妙な作品があったりと、たくさんの人で賑っていた。吉田さんがどこのお店を手伝っているのかを探しながら見て回ったが、外のお店にはいなかった。お店では、手作りと思われるアクセサリーや服など、たくさんの物が売られていて、普通の客として見て回りたいのを抑えつつ、美術館の中へ向かった。
 入ってすぐにある版画を作成するコーナーで、吉田さんの姿があった。相変わらずの元気そうな様子で、僕も張り切っていくぞっと思うのもつかの間。なにやら友人が神戸からはるばる玉川学園まで来ているのだが、吉田さんは担当場所を離れられない上、相手の連絡先を知らないので僕に直接会いにいき、吉田さんの連絡先を教えて欲しいとのことだった。かくして僕は再び町田駅へ舞い戻り、玉川学園へと向かった。
● 吉田 つとむ
 土屋さんにとって久しぶりのインターンになりました。いつもは私と行動するのでほとんど車の移動でしたが、下記の書いているように別件の用件を依頼したため、かなりの距離を歩くことになり、土屋さんは町田市がいかに起伏に富んだ街か再発見できたようです。

● 土屋 洋
初めて訪れた玉川学園は、驚くほどの山の中にあった。まさに森の中に校舎が点々とたてられている。どの校舎へ行ったらその友人に会うことができるかもわからなかったので、とりあえず歩きまわった。それがいけなかった。僕は獣道のような道を走り回り、敷地内の端から端まで行ったり来たりする羽目になった。最終的に行き着いた学生課ですべてを調べてもらう事ができ、事が済んでしまった。そこは学園の入り口から数分の所だった。
 結局吉田さんの友人のような人物は見当たらず、そのまま退散となった。
 再び版画美術館まで行き、着いて見るとさすがに足に疲れがたまってしまって、しばらく休ませて欲しいと吉田さんに伝え、喫茶店で休んだ。
町田市は起伏の激しい土地だなぁと車に乗っている時はノー天気に思っていたが、今日はそれを激しく思い知らされた日だった。
● 吉田 つとむ
 この友人とは翌日あえました。(注:ちなみに、その人は神戸松蔭女学院大学教授の勝村弘也さんという方でした。分野は「旧約聖書学」だということですが、私は外国語にはとても苦手です。もちろん知り合いになったなれそめはそうした宗教的なものでなく、阪神大震災の時にその救援活動で知り合いになった方でした。)
その土屋さんに探し出してもらって、その日の夜に一緒に歓談しようと考えていた次第です。

● 土屋 洋
 休憩を終えると、版画作成コーナーの片付けに入っていたので、それを手伝った。その後に行われたコンサートでは、世界をまたにかける和太鼓のグループの演奏で、とても迫力や勢いがあって興奮した。美術館に入ってすぐのロビーで行ったので、演奏中は照明や壁がずっとビシビシ鳴っていて、電球が割れやしないか心配だった。プログラムの中には会場に訪れた人たちに和太鼓を体験させてくれるものがあって、それに僕も参加した。
大勢の前でいきなり叩けというのはものすごく緊張したけど、演奏を見ていてやってみたいと感じていたから嬉しくもあった。
● 吉田 つとむ
 上記の理由で、私がそこでなにをしていたかの記載は全くありませんでした。その部分は、町田市国際版画美術館記事を見てください。
 併せて、勝村 弘也さんとの関わりがどのようなものかは、関係記事と参照してください。土屋さんを無理矢理に玉川大学に行かせた理由は、それをごらんになるとおわかりにみなさんにご理解いただけると思っています。
 なお、土屋さんはその日に、「卑弥呼」の太鼓を練習で叩かせてもらうという貴重な体験をしました。些細な政治的な経験より、はるかに充実した経験になったでしょう。

● 土屋 洋
 その後に、もう一人のインターン生である海野君が合流し、夏季インターンシップの打ち上げへと移動した。
 打ち上げ中の話題で、特に印象深かった2つの事を書こうと思う。
1つ目は、吉田さんが小学生、中学生の時に外国かぶれだったこと。2つ目は、僕自身が民主党的な考え方、抵抗勢力的なものがある。という話題だった。
 今現在の吉田さんはご自身で英語や外国のことは拒絶反応が出ると言っているのだが、昔はソ連や中国、アメリカの番組を聞いていたり、雑誌を定期購読していたりと、かなりの外国通だったそうなのである。僕も昔は絵画で県の大きな賞を貰ったり、幼稚園が音楽の盛んな所だったりと文学面で期待されていたのに、今は違う道にきているという共通点で面白いものだった。
 僕が民主党系の考え方だと知ったのは驚きだった。自民党と民主党がどんな考え方の系統なのかわからなかったが、とりあえず驚いた。
● 吉田 つとむ
 最後の打ち上げの日であり、海野さんもともに成人に達した大学生ですので、ビールで乾杯しました。
 インターンとは話題が離れ、子ども時代の話になり、小学生の頃の生活や興味について語りました。私はかなりの早熟で、小学生の頃は外国の文化や技術の目が向いていました。
土屋さんの聞き取りに1カ所間違いがあります。
<間違いカ所>
昔はソ連や中国、アメリカの番組を聞いていたり、雑誌を定期購読していたりと、かなりの外国通だったそうなのである。
<事 実>
私が小学校時代に聞いていたのは、旧ソ連(ロシア)のモスクワ放送、中学時代は中国の北京放送でした。(これらは、いずれも日本語放送をしていました。今でもあるのではないでしょうか。)一方のアメリカは、その放送を聴いていたのでなく、日本にあるアメリカン文化センターによく通って、英文の本などを眺めていました。(それなのに、私はなぜ英語がだめなのか不明)その建物は、ホワイトハウスに似た形で、色も純白の美しさが目立っていました。

 インターンに一定の区切りがつきました。土屋さんの考え方もそれぞれ推測してみました。海野さんとのコンビも特徴あるものでした。
 どうぞ、これからも気軽に対応してください。
(注: タイトルは吉田がつけました)
 
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