□ 少数意見に耳を傾け、議論の過程を大切にする

 議会のあり方は次のようにありたいと考えています―――多彩な意見、少数意見に耳を傾け、討論と批判の場を拡充する。結果と同じ程度に過程(プロセス)を大切にする。
 この内容にふさわしいことがらの記載は、次回更新以降に掲載していきます。


● 私の政治主張、「開かれた政治」の出発点を語る

  1.  自分の政治的な立脚点がどこにあるのか、自由民主党という政党は、住民の声を十分に反映できる性格を本当に保持しているのか。自分自身は自由民主党に所属することに矛盾はないのか、等々の問題に対して正直に応えることが必要だろうと考えています。私自身のテーマとしてかかげる「開かれた政治」をいかにめざして来たかという観点から、下記の記事を準備しました。
  2.  とりわけ、経歴的には、私は最初から自由民主党に所属をしていた訳ではないこと、むしろ批判的な立場に身をおいていたことを明かにし、次に自由民主党のどの様な点に批判的な見地をとっていたのかをのべることも必要と考えています。そして、最終的には、どのような経緯で自由民主党に所属し、自由民主党籍を明白にする「公認」という立場をとるに至ったかを明白にすることも必要だと考えています。
  3.  ただし、ここでは、まず「開かれた政治」の追求ということが自分の中で、どのように継続してきたかを記述することで、自分の政治の立脚点を明らかにすることに致します。
  4.  この文章とは別に、資料編に<政治資料、「新たな国民政党の創建をめざして」>の全文を掲載しています。また、その要約を、このホームページの記事中に、平成11年9月末までには掲載予定ですので、是非ご覧下さい。。  

 

◎ この記事の見出し

 1、 なぜ、私が「情報公開」にこだわり続けるのか

 2、 政治の中で追求してきたもの

 3、 自由民主党の批判からスタートした

 4、 この批判精神は、今も堅持する

 

*以下、本文です。

◎ なぜ、私が「情報公開」にこだわり続けるのか

  1.  私は、自分のことを「情報公開のエキスパート」と呼称しています。今では、住民の皆さんにもかなりなじまれてきましたが、当初はなんとも奇妙な呼称と思われていました。10年前には、「情報公開」などなんの政治的な価値も見いだされない、重箱の隅をつつく「やから」の戯言に過ぎないと考えられていました。
  2.  こうした考えや行動の基本となってきたのは、次のような政治グループにかかわっていたためのことです。
  3.  自由民主党には「開かれた政治を行う」自己改善をする能力を無くしている。しかも新しくできた新自由クラブの考えは、急進主義に基づく運動で、とても国民政党に結びつくような政党とは考えられない。そこで、新しい国民政党を創建する必要があると考え、その国民政党を創り出していこう、という運動「名称:国民政党期成同盟」を中心的なメンバーの一員として担っていました。
  4.  当時抱いていた、自分のあるいは自分たちの考えは、思想的には、自由主義に立脚し、運動的には民主主義の見地に立ち、政策的には漸進的な施策を提起し、方法的には保守主義を堅持する。このように、整理できるのではないかと思っております。
  5.  そのために、いつでも自分のあるいは自分たちの意見に対して、反対意見を想定して物事を考える。さらに、自分の意見と反対意見が、同じテーブルに存在して比較することが出来る。「情報を常にオープンにする」という考えを持っていました。
  6.  その考えが、政治に関わる際に、自分の中で重要な課題を占めてきました。長文ではありますが、<政治資料、「新たな国民政党の創建をめざして」>をご覧下さい。

◎ 政治の中で追求してきたもの

  1.  私にとっての情報公開は、行政の情報公開を追求するだけでなく、「議員の資産公開」を手始めに、議員活動の公開を自主的に実施することを大きな課題にしてとらえて来ました。 一方で、住民の皆さんを対象に「情報公開ツアー」を企画し、それぞれの立場で情報公開を考えてもらい、住民に対する啓蒙活動にも重点を置いて来ました。
  2.  その以前の時期には、有名な政治家の政治資金報告書の調査に力を入れ、それらの問題点を公表したり、特別な事例には告発をする、という体験も行ってきました。(別の機会に詳述します) 
  3.  自分たちの考えを出来るだけ広めていこうとして、全国各地を訪ねました。様々の人々とも大勢出合いました。ただ一冊の本を持って、その理論を展開するという行動に多くの時間を費やしてきました。そのためには、まず自分の考えを文書に残し、いつでも批判の対象にし得る立場に自分を置く。自分の主張や行動などの情報を、資料として残すことを重要な作業と考えました。とりわけ、議員となってからは、自分の考えを「情報化する」、つまり「自分の発言や行動を、客観的な情報に整理する」ように心がけてきました。
  4. このホームページの記事掲載は、そうした考えのもとにあるものです。

 

◎ 自由民主党の批判からスタートした

  1.  当時の自由民主党は、派閥の連合体であり、一つの政党と呼べる体質のものではありませんでした。
  2.  政治家を生み出す後援会の存在が、自由民主党の自己改善を阻害している存在だととらえ、政党として相応しいスタイルを取りえないものかと期待をするものの、自己改善は無いだろうと判断したものであります。
  3.  私たちが急進主義と判断した「新自由クラブ」は、自民党が金権体質を露骨に示している状況では存在価値があっても、それ以降は自ら下火となっていきました。政権党である自由民主党は、金権腐敗と言われることには個々の切り捨て措置で切り抜けてきました。
  4.  内容的なものは、<政治資料、「新たな国民政党の創建をめざして」>をご覧下さい。
  5.  他に国民政党に相当する政党が登場してこないと言う条件下で、自由民主党は、細川政権の登場まで自己改善を怠ってきたと言っても過言ではありませんでした。
  6.  自由民主党が野党になることで、皮肉なものか、私は自分の存在価値と役割が見いだせた。自由民主党と、他の政党とどこが違うのかを、具体的な活動の中で明らかにするチャンスが訪れました。ただし、皆さんがご承知のように、この時期は一時であり、あまりにもあっけないものでした。

 

◎ この批判精神は、今も堅持する

  1.  都知事の問題点として、候補者選出作業を、だれがどこで決定したのか不明でした。自由民主党の都連大会でも十分に説明がなされていないのは、私はもちろん、参加者の誰しも考えたことでしょう。私は、都知事選挙に際しては、当が推薦した候補者を、当然全面に出て活動するわけであり、自分の責務として、「都知事候補の選出に当たって、本部の責任は無いのか」、と都連執行部に質問した次第です。
  2.  どの様な境遇におかけても、自分が疑問に思い、一般にも疑問があることは、隠さずにその場で責任者に訊ねるべきである。そのことで、以前の決定が誤りであれば、次に質せば良いことです。
  3.  細川政権下、急進主義の政策が矢継ぎ早に突然飛び出しました。「政治改革」の言葉に酔いしれた状況がありました。幸いに、この急進主義は、急進主義であるが故に自滅をしてくれることになり、自由民主党は政権復帰をなしてました。
  4.  そのためには、世界観政党と手を結ぶことや、急進的な政策を取り入れることに躊躇しない等の体質を伴う状況になってきました。今回の総裁選挙は、その議論の内容を党員に対して包み隠さないという方法でやってもらいたいと思います。いずれにしても、我々党員は、1万人単位でしかカウントされないわけです。とりあえず、自分の立場だけは、明らかにしておきます。「自由民主党総裁選挙は激戦であれ!」をご覧下さい。
  5. そこに、自分の判断を書き記す、というわたしの判断を記しております。

 私の政治主張、「開かれた政治」の出発点を語る」は、この行で終わりです)