□ 権威と行政権力から自立し、身近な地方議員となる


 私が考える議員像とは、権威や行政権力から自立した議員を目指し、自立しようとする住民に身近な地方議員として活動するタイプです。

● 学生インターンシップによる

     研修生の受入体験を語るA

◎ インターンシップ体験の見出し

<議員と学生の集団面接>     (前回)
<STATESMANの紹介>        (前回)
<学生との単独面接>       (前回)
<インターンシップ開始>     (前回)
<私の緊張した意識>       (前回)
<他の議員の受けとめ方>     (前回)
<学生になにを見てもらえたか>  (前回)
<学生に学んでもらいたいこと>  (今回)
<私の成果>           (今回)
<私の反省に代えて(今後の展望)>(今回)

◎ インターンシップ体験の本文(続き)


<学生に学んでもらいたいこと>

  1.  まず、新聞やテレビ見るのと違って「地方議員」というのは、「会議で眠ってばかりでは無い−むしろ、議論に夢中で、時間の経過を無視することもある」ということを、インターン学生に学んでもらいたいと思いました。

 2. さらに、「地方議会でやっている議論は、下位的な議論であり、国のまねごとをやっているのではないか?」という一般の考えを、学生が地方議会の議論を実地に見て、けっして地方議会は中央のまねごとではないとする点を学んでもらいたいと思いました。

 3. 議会と行政の関係では、議会の立場を発揮させる発言もあり、用意した原稿を読むだけ、というマスコミの考えは間違いが多々あるということも学んでもらいたい。議員が委員会で発言するために政策勉強している姿も合わせて見てもらいたいと思います。

  4. 議員相互の対立や、会派同士のけん制も機会があれば見てもらいたいことの一つです。大学生には、議員の意地悪さ?を知ってもらうことも重要です。

 5. 緊張の場面ばかりでは、長時間の議会活動に対する体力も維持できません。議員はどのようにして、気持ちをほぐし、明日への活力を作り上げているのかも、知っておいた方がいいのでしよう。


<私の成果>

 まず、これだけの研修生が、勉強のために私の元に来てくれたことです。選挙では決して得票が多くない私のもとに、今回インターンシップに参加した他の議員に比べて、遙かに多くの研修希望者が出たことが、自分を議員として認知する若い人が大勢いると認識できました。最終面接では、誰を採用するかという貴重な経験−結果として採用しない人を決めるという重い責任も体験出来ました。

 私への研修が、学生にとって地方議会と議員の活動を学ぶ機会になったことは、記念すべき私の誇りであると思っています。学生が、複数の議員の日常の議員活動を直に見たこと、はなせたことは、大げさに言えば、地方議会の真実の広報にも役立ったのではないかと、考えています。

 私個人にとってのにとっては、研修生を自分のスタッフを持て、自分の活動に協力してもらう関係を維持できたことでした。これまで選挙の時に、私はスタッフを導入したことがありますが、自分の考えで指示を出す立場になったことは、ほとんどありませんでした。

 今回、3名ものインターンシップの学生に来てもらったのは、<通常、秘書なしに活動する地方議員が、スタッフを持つとどのような行動が必要なのか?>という試みるためのものでした。つまり、自分自身を磨くためでもありました。

@ 私が質問材料を用意し、学生に一般質問の原稿を書いてもらう作業をやってもらいました。平成10年12月議会の一般質問の原稿は、意識的に学生の手を借りて作成致しました。

A 私はこの年も決算委員になりましたが、長期間の審議が行われる決算委員会の質問の合間に、学生に必要な資料を読み込んでもらい、問題点を洗い出すという作業も実験しました。

B いつも秘書的な人物が、自分のそばにいるという体験も行いました。しかも、複数の学生がインターンとして入る日はてんてこ舞いでした。にわか秘書に指示をするのは大変な思いです。とりわけ、今回のように研修の学生が優秀であれば優秀であるほど、私が依頼する指示事項のレベルが高くなるわけです。この期間は、自分の議員活動の中で、もっとも充実した期間でもありました。

C 議会の研修以外に、研修生には、平成11年1月初旬に開催した「新春の集い」にも参加してもらいました。私が、議会以外ではどのような「面」をもっているのか、特に、地元地盤という形態を持っていない中で、住民の人たちとどのように関わりを持っているかを見てもらいました。

D 研修期間外のことですが、今年(平成11年4月)の統一地方選挙の期間、友人の選挙事務所を研修生を伴って訪問しました。トップ当選の候補、ぎりぎり当選の候補、残念ながら乱戦の中に入ってしまった候補など、二十人もの候補者の事務所を訪れ、あるいは候補者を見て、あるいは事務所風景を見て、選挙の現場の一部を見ていただきました。

<私の反省に代えて(今後の展望)>

 私のもとに研修に来てくれた学生は、全部が議員になろうという人ではありませんでした。むしろ、議員希望は1名だけでした。その学生は大学4年生で、喜友名智子さんといいましたが、決定していた就職を断り、「松下政経塾」に進みました。その第20期生だと言いますが、時折、電話で話すことがありますが、海外や国内各地に飛び廻る研修生活に明け暮れているようです。私の希望ですが、「喜友名さんには、偉い人物ばかりを見るのでなく、一般の人々の生活もきっちりと見るように心がけてほしい」と思います。もちろん、出来ると思ってのことですが。 

 他の2名は、政治家志望ではありませんが、政治問題への意識、社会問題への意識は特に高く、高橋佳奈さんは大学2年生でした。地方議員の立場から、地方自治体を見てみようと言う意識を持った人でした。こういうアプローチを大事にしていただきたいですね。議会研修の日数的にも一番の多くの時間をとってくれました。統一地方選挙では、マスコミの開票速報のバイトをやるといいながら、大雨の中でしたが、選挙戦最終日の選挙事務所を巡りました。開票では、訪れたそれぞれの候補者に思いを馳せてくれたことでしよう。高橋さんは地方自治体に入っても、マスコミ界に入っても、きっちりした自分を発揮してくれることでしよう。

 唯一の男性は出雲充さんと言い、大学1年生でした。携帯電話とPHSの両方を器用に使い分け、情報収集にたけた現代学生の典型を見ました。この8月の夏休みには、全国の学生を対象とした経済セミナーを企画しており、オリンピック記念センターに泊まり込みね忙しい毎日を過ごしていました。 

 これだけの学生が研修のために来てくれたのですから、もっとしっかりしたフムグラムを用意するべきでした。今回、インターンシップを計画してくれた「ステイツマン」では、機会があれば実施したいとのことですが、次の機会に研修学生を受け入れるとすると、次のことを心がけます。

@ 研修の目標フログラムを事前に作成し、予定の変化に応じた修正を行う。

A 町田市議会の場合、とりわけ自由民主党会派の場合、インターンシップというものに実際にふれてもらった訳ですから、次回は研修生の行動がもっとスムーズに行えるだろうと思います。

次回は、研修生の言葉で勉強した成果を示したいと思います。(以下、次回の記事に続く)


● 学生インターンシップによる

     研修生の受入体験を語る

◎ プロローグ


 
私は、「政治と政治家の活動が、住民に信頼される対象となるようにしたい」といつも考えています。とりわけ若い学生の皆さんが、市議会議員や町田市議会の活動を身近に見ることで、偏見に陥りやすいマスメディアを通じてでなく、自分の目で実態はどうなのかを、確かめる機会を作りたいと願ってきました。
 そう考えている私に、学生を研修生として迎え入れるチャンスが巡ってきました。そうして、下記のように約2ヶ月間(平成10年11月−平成11年1月上旬)、学生団体の STATESMAN の企画による、インターンシップ(学生研修生の受入)を行いました。

◎ インターンシップ受入の要約

 このSTATESMAN の企画による、インターンシップ(学生研修生の受入)で、主催者に提出した資料は下記の内容でした。面接の会場では、応募した議員の資料が冊子にまとめられ、参加した全部の学生に配布されました。

 私への研修希望者が他の議員に比べて多かったのは、下記の文面のように、議会の勉強が出来ることを強調したからでしょう。

◇  氏  名

 吉田 勉

 所属会派名

 自由民主党会派 

◇  経 歴     

 連続2期当選し、今期より総務常任委員長を務める。過去、国政選3回・市議選1回の落選したユニークな経験を持つことで明かなように、全くの新天地で活動を始めて、ようやく地盤(?)を確保する。

◇ 理念、立場、政策、

@情報公開のエキスパートを自認し、その制度の普及と拡大を図る。さらに、情報公開の成果を市民生活に役立てる。A多彩な意見・少数意見に耳を傾け、討論と批判の場を確保する。B二期目のスローガンは<子ども優先の政治を創る>とし、高齢者重視傾向の転換を唱えた。現在、個々の具体化を提言中。C他に消費者問題。

◇ 学べること

「市議会の傍聴」わたしは総務常任委員長職にあり、委員会審議の経過を間近に見学出来ます。さらに議員として毎回欠かさず一般質問を行い、決算委員にも就任するので、会議全般の模様を学べます。一般質問の作成に、可能な範囲で協力して頂きます。「街頭演説の同行」今期は議会月のため、回数を減らして実施します。

◇ こんな学生にきてほしい

 様々の会議の審議経過とりわけ、わたしと他の議員の発言や態度の比較を通じて、議会と行政の関係及び、議員相互の確執を直につかんで頂きたい。さらに、「慎重派」と「せっかち派」か一方の性格を持つ、両者1名づつの方とコンビを組めたら最高。もちろん男女は問わず、パソコン利用の初歩的レベル程度は出来れば希望する。

◇ 期間 

 11月25日より12月21日(議会最終日)まで。人数希望は2名。

◇ 面接日時

 11月18日(朝と夜まで)もしくは19日午前

◇ 場 所  原則として町田市議会の会派室

   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 上記の内容で5名の応募者がありましたが、面接の結果3名の学生を研修生と受け入れることにしました。定員は2名としていましたが、次の学生を得難いと考え、喜友名智子さん(慶応大学4年生)、高橋佳奈さん(中央大学2年生)、出雲充さん(東京大学1年生)を研修生として受け入れました。

 募集の条件とした、「会議の傍聴、質問作成の協力」はほぼ約策を果たせた思います。他に、私の議員活動報告としての「議会レポート」の原稿も一部書いてもらいました。インターン期間中は、研修生に「インターン記録レポート」を書いてもらいましたが、そのレポートに対する私の指示が十分ではありませんでした。当初の目標、最終成果の認識という課題を想定するべきであったと思います。

 このタイトルの記事掲載は、今回と次回の2回とし、見出し内容に沿って分割して取り扱います。<学生に学んでもらいたいこと>以降の分は、次回の掲載とします。

◎ インターンシップ体験の見出し

<議員と学生の集団面接>
<STATESMANの紹介>
<学生との単独面接>
<インターンシップ開始>
<私の緊張した意識>
<他の議員の受けとめ方>
<学生になにを見てもらえたか>
<学生に学んでもらいたいこと>(次回)
<私の成果>(次回)
<私の反省に代えて(今後の展望)>(次回)

◎ インターンシップ体験のレポート

<議員と学生の集団面接>

 STATESMAN>と言う学生グループの提唱で、首都圏の議員が約20名と学生が30名とが一同に会しました。「マッチングフェア」と名付られた方法は次の通りでした。

 事前に主催者が、そのインターンシップに参加するPR文書を、議員に対して提出させていましたので、主催者はそれをまとめて冊子にして、参加した学生全員に配布しました。

 学生は、まずその冊子資料をもとに、自分がインターンとして学ぶ相手を検討・選択する方法が採ることが出来ました。次に、参加した全部の議員を4グループにわけ、グループごとに議員が一定の時間で、順次自己PRしました。学生は、議員紹介冊子で議員をまず選択し、議員の発言(自己説明)交替時間で、他のグループにも自由に動けました。

 前述のように、全体の構成は次の次第です。全面に4つの机を間をかなり空けて配置し、その机のそれぞれで、順に議員が自分の前に集まった学生に自己PRを行うわけですが、前の議員の時に学生がたくさん集まっていても、自分の順番になると、学生が別の机の議員の話を聞くようになることもありました。参加した議員からすると、人気がある議員と、人気が薄い議員が一目で判り、厳しい面もありました。

 学生側に全て選択権がありますが、ただしあまりたくさんの学生が同じ机の前に並ぶと、質問も出す時間が限られると言う事態となり、どの机の議員の話を聞くかを瞬間的に判断する必要もあるわけです。

 議員の自己PRでは、それぞれの議員が、めいめいに用意した自分のパンフットを配布しました。数ヶ月後には、統一地方選挙が迫っていましたので、出席した議員の多くは、選挙運動の雰囲気で説明をしている議員もいました。

 つまり、議員が自己PRする機会は1回ですが、学生は任意の机に4−5回移動することが出来、それぞれの議員の話を聞くことが出来たわけです。そういう中で、それぞれの学生は、自分がどの議員のところに行って、研修するのが適当かを判断し、主催者に自分が希望する議員名を提出したのでした。

< STATESMANの紹介 >

 今回の案内文によると、STATESMAN は市民と政治の架け橋となって、真の民主政治を実現することを目的に、NPO(非営利組織)です―――と述べています。

 この STATESMAN は、現実の政治を機能不全の状態に陥っていると見なしており、次のように述べています。(以下の「 」内の文章は、STATESMAN 自身の言葉を借ります)

 「つまり、国民の代表であるはずの議員は、世襲議員や官僚出身者など、一般市民、主婦やサラリーマンの代表といえない人ばかりです。それは、議員になるためには、莫大な資金と組織力と地盤が必要であることに主な理由があると思います。さらに、そうした市民と遠い議員による法律や政策は、私たちでは理解しにくいものばかりです。それは、選挙で当選した時にすでに出来あがっている、利権やシガラミに縛られているからです。」

 「そうした、現在の悪循環を絶ち、もっと自分たちの声が反映された、真の民主政治を創り出すことを目的に活動しています。そのような市民の声が反映された政治を創り出すには、私たち一人ひとりが自分の身の回りを見つめ直し、全ての問題を自分の問題としてとらえる私製が必要です。」

 さらに、インターンシップを「学生と政治家の架け橋となって、真の民主政治の実現への第一歩」と位置づけています。このインターンシップによって、学生が政治家の仕事を一定期間体験する場を提供することで、「学生と政治の’架け橋’」になります―――と学生に呼びかけました。


<学生との単独面接>

 今回の企画に応募した議員の年齢は、大半が20−30歳代で占められていました。50歳の議員など、他に1名あった位でしたので、果たして何名の学生が私のもとで研修しようと考えるかと思いましたが、実際には、5名の研修希望者がありました。STATESMAN の説明によると、まず、今回のインターンシップ申込議員の中で、研修希望者がもっとも多い議員の一人であったとのことでした。他の議員は、選挙準備活動及び政治活動の手伝いを主に求めていましたが、私の場合は、私と一緒に行動しながら議会や議案などのことを学べる点を協調したことが学生に興味を持たれたのではないかと思いました。

 当初から決められた方法ですが、別の日に面接日を指定し、5名の学生とSTATESMAN の学生担当者に町田市議会に来ていただきました。そこでは、議員側が学生に「なにを学びたいか」を聞く立場に代わりました。上記のように、2名の学生を募集したのですが、応募者は5名もありました。応募者全員が優秀な印象を受けましたが、全員を受け入れたのではとても研修は無理だろうと考えました。

 自分の人生の中で、複数の相手を選別して可否を決める、と言う経験はほとんどありませんでした。選挙に出て、有権者から選ばれなくて落選をしたり、選ばれて当選出来たりすることは、現在行っていることですが、「否」という判定を求める相手に示すことは大変困難なことです。しかし、断るのがいやで5名もの研修生を受け入れては、12月議会の中で自分が動きが取れなくなる可能性があると考え、最終的には3名に絞り込みました。また、この3名の研修生には、地方議員がどのような活動をしているか、自分なりに伝えることに専念しました。

 研修生として受け入れる判断をし、後日、その3名の学生に直接通知をしました。あとの2名の方には、STATESMAN のほうから、断りの連絡を入れてもらいました。それらの学生さんは STATESMAN のほうで、募集条件が異なる他の議員に紹介されたと思います。私が研修生として受け入れた3名は、喜友名智子さん(慶応大学4年生)、高橋佳奈さん(中央大学2年生)、出雲充さん(東京大学1年生)でした。

<インターンシップ開始>

 自分では、議会事務局にも、会派にも「学生研修生を受け入れ、議会の内容と議員の活動を勉強してもらうことにしました」と、十分に説明したつもりでした。しかし、どこからそんな学生が来たのか、そんな学生をいれて大丈夫なのか等々の話題を振りまきました。政令都市ならともかく、市議会議員が秘書を連れ歩くことなど、町田市の場合は前代未聞のことでした。私としては、秘書(給料を払う、継続的に育てる)として採用することなど、とても出来るはずはないのです。研修生に対して、交通費と食事代を負担する(STATESMAN との最初の取り決めの一つ)くらいしか、考えつかないことでした。

 最初の日の研修生は、ただただ会議を傍聴し続けるだけでした。それというのも、議会で取り扱う問題が切迫していたために、私の時間が十分にとれず、昼の時間も含めて研修生と話し合う時間も持てない状況になりました。研修生には、その状況自身になじんでもらうことにしました。さらに、会派内においても、「研修生」という突然の宇宙人のような存在に対して、対応の仕方が決まらなかったという次第でした。 


<私の緊張した意識>

 毎年、3・6・9・12月の議会が開催される月においては、自分がなにを質問するか、委員会で会議をどのように進行させていくか、それらのことを考えるたけでも、気が張りつめるものであります。
 ましてや、議会フロアーや市庁舎内を、私が秘書とも見られる学生を引き連れて歩いていると、誰が見ても「吉田もなまいきになったものだ」と思われることは自明でした。

 一方、私が関係する委員会では、傍聴席に研修生が座ると、「少し、かっこよく振る舞わないといけないかな?」と言う気が私自身の心の中にわいてきます。むろん、私自身が「研修生には、あるがままの委員会や本会議野木論を見てもらいたい。せっかく、会議を見るのであれば、その雰囲気も感じてほしい」と言っているわけですから、私自身は、はやる心を抑えて、それぞれの議員の発言と態度を学んでもらうことに専念しました。 

<研修生を導入したことへの他の議員の受けとめ方>

 上記の「<インターンシップ開始>欄」に書いているように、研修学生は、宇宙人的に見られることはもちろんのことですが、「市議会議員の候補者になるのではないか」と言う見方、「議会の見張りに来たのではないか」等々の憶測が飛び交いました。

 しかし、研修生が委員会の傍聴を続けるほど、彼らを奇異に見る見方は変わってきました。さらに、「吉田の秘書とも見えないなー」と言う印象に代わってきたのでした。議員全員、議会全体としても、メーバー相互が一日中、委員会の場に居るという状況にもなじんでもらいました。

 初日から一週間もすると、会議の休憩中などに自由民主党会派室に招き入れられるように変わってきたり、役職者、役職(議長など)経験者等にインタビューも行ってもらうようになりました。今回、町田市議会の吉田つとむに付いて研修した学生は、「市議会議員というものを、間近に自分の目で確かめてもらえた」と思います。

 最終的には、議員や議会事務局スタッフにも、「研修生」として認知もされ、議長・副議長とのインタビューだけでなく、理事者(高山書役が取材に応じてくれました)とのインタビューも実現しました。


<学生になにを見てもえたか>

 インターンシップの企画書で次のように述べています。
  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
○ 政治学は勉強していても、実際の政治家が普段なにをやっているのかわからない。
○ 政策がどのように決定されているか知りたい。
○ 議会を見てみたい。<STATESMAN>は政治の世界をもっとよく知りたいと思っている学生を
  政治家のもとへ送り出します。
  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 偶然にも、私は、<STATESMAN>の皆さんの考え通りのことを考えていました。自分の活動事態をオープンにする−−−このことを希望する学生がいるのであれば、自分自身が名乗りをあけで、その希望に応えたいと考えていたわけです。

 これまでは経過を書きましたが、次回は、@ その成果を具体的に語る A研修生の言葉で勉強した成果を示したいと思います。
(以下、次回の記事に続く)


(平成11年6月13日)
● 都連大会で、敢えて質疑

 下記の文章は、「開かれた政治と自由民主党」の方が本来の箇所ですが、この性質上、この箇所としました。

<概要>
 平成11年6月12日、自民党都連の定期大会があり、運動方針案などの審議(都知事選挙の敗北総括)と、新体制の改革人事が行われた。会議の進行は、質疑を問うスタイルを取らない雰囲気の中で行われたが、運動方針案に関して敢えてただ一人質疑をした。
 内容は、都知事選挙の敗北総括に関して、「党中央に責任はないのか、都連はそれを求めないのか」というものであった。島村会長は、「全責任は自分にあり、自分の辞任で理解されたい」との弁を述べられた。
 誰かが「都知事選挙での中央の責任」を問わねばならないと思っての発言であったが、十分に理解できる返答ではなかった。「都連にとって、またもや課題を残した」と悔やまれる事態である。私に出来ることはここまでである。
(細部の文章は下記に続きます。続きを見ていただける方は、先に進んで下さい)

<全体の経過>
 自由民主党の都連定期大会が、平成11年6月12日(土)午後2時から、本部の会議室で開催された。昨年の参議院選挙、統一地方選挙の都知事選挙と相次いで敗北したことに、都連としては大きな反省点があることが運動方針の中でも盛り込まれた。
 当日の議長は八代英太衆議院議員(新幹事長)であり、質疑を求める間もないスピード審議方式を採用されたが、敢えて、私は「運動方針案」に質疑を求めた。その後の改選人事では、島村宜伸会長と伊藤公介幹事長が責任を取って辞任することが決定し、選考委員会の選考結果の通りに、新会長に石川洋三衆議院議員が選出された。
 なお都連大会では、各支部優秀党員の表彰があり、その参加者は自席で立ち、その代表は壇上で表彰を受けた。ちなみに、町田支部では堀江雅・宮川義一・秋元博・岡本吉正・河内丸晴美の各氏が表彰対象者として参加された。

<発言の内容と主旨>

 私の質疑は、都知事選挙の敗北に関して「党中央に責任はないのか、都連はそれを求めないのか」という内容であった。上記のように、会議の進行スタイルは、参加者の質疑を求める問いかけが全くないものであったが、敢えて、私は、「議長、質疑」と会場内から、二度大きな声で叫んだ。さすがに、議長はその声を無視できず、規定通りに所属部署名と名前を名乗り、質疑をする結果となった。
 「都市政策を実現し、東京に活力を!」というタイトルで行われた大会であり、運動方針案で、「有権者とわが党の判断に格差があることを痛感し、反省した」と都知事選挙などを総括したが、またも末端の地方議員や党員に求められるのは、党勢の拡大と衆議院選挙勝利のための活動であり、なにかめぼしい改善点が提起されたとは言い難い。

<決着>
 冒頭挨拶の中で、すでに辞任を表明されていた島村宜伸会長が答弁され、「いろんな経過があったが、都知事候補を最終決定したのは自分であり、自分が辞任することで、理解を得たい」と述べられ、再質疑をやれる状況には至らなかった。会場に来賓参加されていた深谷隆司総務会長に、発言を求める手段もあったが、大会の性格上控えた。
 議事終了後、江戸川区長候補の激励を深谷総務会長がなされたが、その挨拶中に「役職辞任」に触れられ、「自分も参議院選挙で責任を取って都連会長を辞任したが、党の総務会長職となった。島村会長も、その方がいい役職が回ってくるだろう」と言う主旨の発言をされた。会場には、「その参議院選挙で落選された」候補者も来賓席に座られており、私は背筋の寒い思いをした。

<今後の課題>

 すでに自民党所属の都議会議員は、石原慎太郎都知事に急速に接近を計っており、都知事選挙は過去の話題にされている。
 一方、国政に対する世論調査では、小渕恵三首相の支持が過半数を超えていると言われ、「自由民主党」に陰がさしていると思うものは誰もおるまい。国会の議席が仮にちょっぐらい減っても、「自由党」・「公明党」と連立政権を構築すれば、政権維持と衆議院議員の選挙は容易であろう。
 この観点からすると、首都圏の統一地方選挙において、苦戦した同志への思いやりなど、出てこようはずもなかろうと言うものである。なぜならば、市区町村議会選挙は自治体全域を対象とした選挙となり、党派の選挙協力は一切無く、全て自民党所属議員自身が、自力で相戦うことになるのである。
 大都市政策が思うように進展しない中で、首都圏の自民党ローカル議員は、毎回ただただ苦しくなるばかりである。気がつけば国会議員にとっても、膝元の自民党議員団は壊滅状態と言うこともあるだろう。
 このような状況下、自民党の活動尽力してくれる党員活動家の人たちは、果たして「何でも我慢」してくれるのだろうか。「もう、いい加減にしてくれ」と言うのが心境だろう。

<私への風当たりの予想>

 深谷隆司総務会長を前にして、「党中央の責任」という言葉を出したわけだから、いずれなにかの形でおとがめがあろう。
 私にとって、深谷隆司総務会長はなにかとご縁があり、以前にも、公式の会議の席上で、総務会長自身に、「衆議院議員の重複立候補制度」の是非を尋ねたことがありました。その時は、「そのことは、それぞれの政党が決めることです」と回答された。しかし、私の質問は自民党の総務会長自身に対する問いかけであり、「自民党はどう考えているのか、あなたはどうするのですか」と言う問いであったのです。今回の都知事選挙に関する補欠選挙には、自らが立候補しないと言う選択をされたが、本番ではどのような選択をされるのであろうか。
 私は、決して会議で歓迎されない話題を出し、敢えて、ことの是非を問う「政治姿勢」を示すことが自分の役割と肝に銘じ、風圧に耐えていくことにします。
(この項は、終了)