● 子どもの遊び場環境を充実したいC

 平成11年8月21日、子どもの冒険遊び場を創っている、成瀬の「三ツ又冒険ひろ場たぬき山」を訪ねました。楽しく遊ぶ子どもの写真や、手伝うことで活き活きした大人の写真も入れました。同僚議員の中西佳代子議員の姿も写真に収めました。(写真編に冒険ひろ場の写真を載せました) 

 丁度この日から、夏休みの企画として準備されたものですが、地域の子どもに大変人気があるようで、常設になってもらいたいですね。なんと、皆さんは今年の2月から準備していたそうです。

◎ 三つ又冒険遊び場たぬき山を訪れました。

 私が住んでいる成瀬の三ツ又(車で10分くらいのところ)の竹林に、子どものための「冒険遊び場」が開設されました。竹で作った滑り台や、竹の鉄棒?、プールに興じる子どもたちの中で、半日過ごしました。

 フレーリーダーや、お父さん・お母さんらは、手際よくだんご焼きの準備や、竹馬・竹とんぼ等作りに忙しく働いています。、もちろん、それだって子どもたちに学ばせながらの作業です。お父さんらしい人が、器用な手つきで竹のイスや机も作り始めます。この人はこんな才能があったんですね。

 この土地は地主さんの好意で提供されたもので、ようやくの思いで出来た「冒険遊び場」ですが、自主的な運営だからこそ出来る形態なのでしょう。

◎ 楽しく遊ぶ子どもの姿が印象的です。

 急な斜面を、木の蔓や、地表にむき出た竹の地下茎に伝って、子どもたちがスルスルと登っていきます。写真に収めましたが、得意のビデオを持ってきて、この光景を撮りたかったですね。一回目の挑戦は失敗し、少し、斜面に足置きの穴を空けただけで、登り上がることが出来ました。フリークライミングの心得がある?女の子でした。上から下に降りてくる時は、竹を並べただけの滑り台を上手に滑り降ります。ブルーシートのプールでは、水温で冷たくなるまで水遊びです。子どもたちはどこにいても、水が大好きなんですね。 

 もうすぐ暗くなろうとしていますが、子どもたちはなかなか帰ろうとしません。もっともつとそこで遊んでいたいのが、子どもの思いなのでしょう。お腹がすくまで、力一杯に遊んでいました。おそらく、子どもたちにとって、こんなに遊べたことは無かったのかもしれません。「危ないから」、「ケガをするといけないから」と何でも禁止が、子どもたちにおそいかかります。「こっそり遊ぶ」楽しさを創り出すのはかなり難しいことですが、「危険を自分の力で避ける遊び」の楽しさがここにはあります。

◎ 「ケガをするのでは?}と言うほども元気な子どもたちです。

 今日から、5日間の冒険遊び場の開催となると、訪れる子どもは延べで300人というところかな。それほどの子どもが来て、一日遊ぶわけですから、ケガをする子どもが出てもある意味では当然かもしれません。野球をしても、サッカーをやってもケガをすることはあります。自転車に乗ってて、ケガをするケースもあるでしよう。それに比べる、少しだけ危険が増すというところでしょうか。(「人ごとだと思って」、という批判の声が聞こえそうですが)

 「ケガは子どもにとって、必要不可欠な成長行為」と考えると、全ての判断基準が変わります。遊びは、体操やスポーツだけで代替えできるものではありません。規制やルールが明示されない中で、友達と一緒の時間を過ごすのです。時には、相手を余り知らない子ども同士で遊ぶこともあるでしょう。こんな貴重な体験って、ほかに無いでしょう。

 我々大人だって、全部がルールやマニュアルばかりで決められては、息が詰まるというものではありませんか。子どもは、なおさらのことですよ。

子どもの遊び場環境を充実したいCの項は、この行で終わりです)


● 子どもの遊び場環境を充実したいB

 (平成11年8月30日作成)

 今度の議会で、子どもの冒険遊び場作りを提案することにしました。新規の施設として提案しますので、具体的な場所が問題となります。公園用地して、民有地の林を買収する計画が進んでいます。毎朝、一緒にラジオ体操をやっている子どもたちのために、是非、その場所を冒険遊び場として提案したいと思います。(写真で示します)

 また、冒険遊び場の先進地と言われる、世田谷区の羽根木公園にある「プレーパーク」も見学(写真を掲載)して参りました。その内容紹介も少しすることにします。 

 

◎ 世田谷区の羽根木公園プレーパークを訪れる

 「プレーパークは、普通の公園のようにきれいに整備されていません。手作りの遊具がおかれていて、でこぼこで穴だらけで、廃材などが散在している雑然とした遊び場です。」と、このプレーパークのリーフレットには書かれています。さらに、ここでは行政が全て担当するのではなく、その行政と地域の人たちと、プレーリーダーと言われる人たちとの協力によって運営されているのが特徴のようです。

 そこで遊ぶ子どもたちは、2時間も3時間も水遊びに興じることが出来るなんて、とても元気でした。また、大人の目で見ると、子どもの木登りは少々危険な感じが受けるでしょうが、このスリルを無視すると、遊びの楽しさは半減することでしょう。なんといっても、ここでの遊びは「自分の責任で自由に遊ぶ」のがモットーなのですから。

 世田谷区内では、このようなプレーパークが、他に世田谷公園と駒沢にもあると聞きました。平成2年当時に、私は世田谷区選出の都議会議員の秘書を務めていましたが、この場所を知りませんでした。その都議会議員後援会のメンバーに、「遊びの会」という会の役員さん?がおられましたが、おそらくこういうプレーパークでの活動にかかわりがあったのでしょう。私自身がもっと気が利いていれば、当時にもっと詳しくお話をお聞きしていたことでしょう。残念です。

 さて、今年の5月5日に完成した町田市の子どもセンターは、「ケガと弁当 自分持ち」という考えでスタートしています。おそらく、この世田谷区で進められたプレーパークの「遊びのルール」が原点なのでしょうか。おそらく、そうなんでしょうね。

 

◎ 子どもたちをじっと見守る

 せっかく訪問したので、私は、施設と子どもたちをじっくりと観察していました。じっくりと言うより、ただひたすら、眺めていたというのが正確な表現でしょう。子どもたちが元気に遊ぶ光景を写真に収めようと思いましたが、その日は止しにしました。暗くなりかけた時間に、ゴミ置き場のことが気になって、写真に収めました。ゴミと言ってもたき火をした灰のような感じがしますが、これは土の中に埋め戻すのでしょうか。よけいなことを書いているのかもしれません。隣には、空き缶が集められていました。

 ともあれ、ここでは子どもが「火と遊べる」のも特徴の一つのようです。ダイオキシンの発生を恐れる考えもあるでしょうが、子どもの時代に「火と遊べる」場所があるのは、子どもにとって最高のごちそうになると思いました。残念ながら、私が訪問した日は、「火遊び」はなく、「にわとり小屋」の中に置く、道具作りが続けられていました。そういえば、お兄さんような人物が、屋根の上でずっとギターを弾いていました。そんな光景もここの豊かさをはぐくんでいるのでしょう。子どもたちにとっては、小さなはしごを使って、建物の屋根に登るのも楽しいことのようでした。

 そういえば、このところ、私もはしごに登って、「盆踊りの提灯付け」をたびたびやっています。高いところに登るのは得意でないですが、大人になっても「高いところに登る」ことは、心地よさに通じるものです。私の行動日誌の中に、「夏祭りの行事参加」とあるのは、これらの行動を示す場合が多いと考えて下さい。

 

◎ 町田にも「冒険遊び場」が必要

 子どもにとっては、整備された児童公園や児童館のような立派な子どもセンターも必要です。しかし、一方で、自分で遊びを工夫する、少々危険さを伴うような、遊び環境にもなじむことが必要です。子どもの成長にとっても、なにもかにも安全な中に取り囲まれて育つことは不健全なはずです。これらの考え自体の展開は、先にこの欄で紹介しました<仙田 満教授>の話をする機会に譲ります。

 まずは、各地の冒険遊び場での子どもたちの元気な姿を見て、町田市でこれから公園を作る機会があれば、是非、その一角には冒険遊び場を確保するべきではないかと思いました。幸い、金森・高ヶ坂地区の計画に公園予定地があり、買収予定地は結構な面積の土地ですので、その一部を子どものための「占用地」としたいと考えています。

  住民の一人一人には、それぞれの意見があるでしょう。「事故が起きたらどうするのか」、「子どもが大勢来たら、うるさくてしょうがない」と言う反対意見も予想されます。しかし、そういう大人の人たちに、「子どもたちが元気に遊ぶ姿を一度見て下さい」と私は呼びかけています。単純なことですが、「大人が、自分の今日の生活のことばかりを考えていていいのでしようか、決してそうであってはいけないのです」、という考えを取り入れていきましょう。

 

◎ 一般質問で提案予定

 せっかく具体的な場所も想定出来ましたので、次の議会の一般質問で、「冒険遊び場を作る場所は、ここが適当ではないか」と提案したいと思います。

子どもの遊び場環境を充実したいBの項は、この行で終わります)


● 子どもの遊び場環境を充実したいA

◎ はじめに

 仙田満教授(東工大−子どもの遊び場作りの専門家)との出会いを大事にしたいと思います。人と人の出会いに重いも軽いも無いのかもしれませんが、この人の話をもう一度聞いてみたい。そういう思いで、東京工業大学の仙田満先生の研究室を尋ね、親しく懇談する機会を得ました。  
 事前に、仙田教授の著作である「子どもと遊び」(岩波新書)(表紙写真を参照出来ます)を頂いておりましたので、内容を自分なり(かって)にとらえてみました。

 私がそれ以前まで、子ども問題をどのように考えていたかは、このホームページの旧バージョンにリンクし、ボタン わたしが求める政治を押し、第一章 わたしが求める政治の「吉田つとむのリーフレット」をクリックして下さい。

★ 参考 「町田市こどもセンター ばあーん」の室内風景(写真で見れます)

◎ 要約

 敢えて、この部分には要約を作っていません。とりあえず、全部読み通して下さい。ここでは、文章の中に遊びも含めて書いていますが、しばらくおつきあい下さい。

◎ 寄り道  *私なりの寄り道ですが*

 子どもの遊びを語る前に、自分の遊びについて、少々。
 福岡にいた頃は、ディンギー(小型ヨット)を持っていましたので、友人と乗っていました―――スポーツ的な操りでなく、ごく普通の遊びとしてですが、クルーザーに乗っけてもらうこともありました。バイクも操ることはうまくありませんが、500ccのマッハ3(古いなー)にちょと乗ったことがあります。

 わたしは33歳の時、八木大介(木本平八郎)参議院議員の秘書として東京に出て来ましたが、それは昭和58年のことでした。、東京に出てきてからは、乗り物と言えば「宣伝カー」のみをしかありません。今では、職業的に乗るだけでなく、遊び的ですが車上の看板に「宣伝文句」を構想することもあります。
 で、もって、東京に来てからの遊びとなると、なにをして遊んでいるのでしょうか。

 「パソコンいじり」も楽しいのですが、今までに一番楽しかったことは、
真冬の日比谷公園(平成8年2月のことですが)の噴水前に野戦陣地を造って、阪神大震災の被災者の方と10泊11日の「座り込み」をしたことでしょうか。

 2月の底冷えのするとき、厚生省・飯野ビル周辺から集めてきたダンボールを敷き詰め、ただ座り込むのです。その人数も5−6人のことで、注意深く見つめないと、まさにホームレスとしか見えません。夜は、「ゴミかご」を柱にした囲いをしますが、天井もなく、寝袋に入って横になると、星空も見えました。  
 しかし、少年時代は、もっと陣地らしいものを造っていましたよねー。(青年時代は、もっと戦争ごっこらしいものを造りました)

 でも、この陣地は都立公園の中に、私たちが許可をもらわずに造ったもので、青島(当時の都知事)から何時追い出されても問題なかったわけです。日比谷公園を根城にしているホームレスの人たちが、我々の集団を心配してくれていたことでも、普通ではなかったのですね。

 「震災被災者が加入する生命保険金の払い込み期間の猶予延長」を掲げて、上京してきた4名の被災者が、そのことを大蔵省に要求したものです。ここでは、その政治的な意義や決着はさておき、震災被災者の野戦陣地に相応しい「ダンボール板を張り巡らした、お城」での、10泊11日間は、支援活動で常駐したおじさん(3−4名)にとって最高の遊びでした。―――<吉田つとむ>だけだという声もあるでしょう。

★ 公園の一角を占拠する―――実は、違法なんですがね。ちょと、泊まりがけ
              の形でお借りしたと言うことで、ごめんなさい。
★ ダンボールを拾い集める――都会には、たくさんあふれていました。
              私たちは、勇んで街に向かいます。
★ ダンボールで陣地を造る――プラモデル作りより、遙かに楽しい。大蔵省や
              国会を廻る前線基地です。
★座り込み、結果を待つ―――ただ、座って待つことの楽しさ。沈黙は金。
★ 雪が降る―――――――――プルーシートを被りますが、これは少々つらい。
              9日目の氷雨の日に、テントの差し入れあり。
★連絡ごとから開放―――――電話や日常生活から開放されて、生き生き。
★ ご飯を食べる―――――――本当は、飯ごう炊さんがおいしいのでしょうが、
              差し入れものや、付近の食堂で食事します。
★ 寝る―――――――――――真に寒い日です。凍えて死んだらニュースにな
              るのかなと、バカなことを頭に浮かべます。
★ 起きる――――――――――公園の水飲み場でまず「歯」を磨きます。
★ 同行する―――――――――吉田の唯一の力です。国会議員や秘書団にに強
              い「つて」があります。誰に頼むか、話を入れ
              るか、知恵の出しどころです。
★ お金―――――――――――おじさんボランティアは、お金は十分に持って
              行きます。粋がって、カンパします。
★ 沈黙―――――――――――議会でしゃべりすぎているので、沈黙がいい。
              同宿者は、「お坊さん」、「大学助教授」、「大学
              講師」でしたが、話をするのは被災者本人。
★撤去―――――――――――要求が一定満たされ、野戦陣地を粛々とたたむ。

 かくして、楽しかった大人の遊びは終わりました。奇しくも翌日は、町田市議会の3月議会の初日で、わたしの初当選(平成6年)から2年が過ぎ、所属会派が総力を奮う、議長戦(選でなく、戦なのです。議会のシャッポと言える重要な人事取り)の火蓋が切って落とされたのでした。 (寄り道はここで終了です)

◎ 仙田教授の著作におどろく

 子どものあそび場環境ということを、こんなに考えている人がいたのですね――仙田教授のように。
 「私は子どもの遊びは環境の問題についてはいつも大げさに言うことにしている。今の日本の経済的発展は、食べるものはなかったがあそび場にもあそび時間にも友たちにも恵まれた環境に育った人々によって支えられている。」と氏の「子どもとあそび」のあとがきで書いています。

 そうなんですね。私たちの子どものころは、何の制限も無い広場や原っぱを駆け回り、廃屋や洞穴を密かに隠れ家にしたり、森でドングリを拾い、川で魚を捕ったりしていました。遊び場は無限にありました。暗くなるまで家には帰らずに遊んでいました。団塊世代として生まれたせいか、数十人が一緒に遊ぶこともありました。私たちの親は、子供を食べさせることに一生懸命だったようです。私は、そんな親のありがたさを感じるより、ただ子供同士で夢中になって遊んでいた気がします。

 また氏の著作の冒頭には、「子どものあそび空間、あそび場所は、昔も今も基本的には変わらないのではないかと考えている。1970年に私は子どものあそびの原空間として、四つのスペースをはじめて唱えた。自然スペース、オープンスペース、アナーキースペース、アジトスペースである。その後、いくつかの調査を経て現在は、道スペースと、遊具スペースを加えた六つをあそびの原空間といっている(遊具スペースに建築スペースを含む場合もある)」
と記しています。

 氏は、六つの原空間の説明を次のようにしている(引用が長くなりますが)、

 「第一の空間は自然スペースである。自然スペースの中で魚をとり、虫をとり、泳ぎ、木にのぼり、ぶらさがり、かくれ家をつくり、土手をすべりおり、洞穴にもぐる。そういう空間の中で、子どもたちは生命の重さを学んだように思う。

 第二にオープンスペースである。オー゜フンスペースの中で子どもたちは走りまわり、鬼ごっこやさまざまのボールをつかったゲーム、陣とり、縄とび、野球をする。そういうゲームの場は広がりのある空間である。

 第三のスペースは道である。道は、子どもたちの出会いの空間であり、いろいろなあそびの拠点を連係するネットワークのあそび空間である。

 第四のスペースはアナーキースペースである。廃材置場や工事場のような混乱にみちた空間である。このような空間でのあそびは追跡、格闘などのワイルドなあそびが多い。子どもたちの想像力を刺激する。

 第五にアジトのスペースである。親や先生、大人に隠れてつくる子どもたちの秘密基地をアジトスペースと呼んでいる。子どもたちの共同体としての意識をはぐくみ、友情や思いやりだけでなく、ある時は裏切りや暴力をも体験させる。

 第六に遊具スペースである。これは児童公園の建設とともに着実に増えてきている。遊具スペースはあそびが集約的であること、遊び場の象徴性をもっていることなど、今後も無視できないスペースである。

 この六つのスペースは、その重要度において自然、オープン、道という三スペースが中心的な空間で、アジト、アナーキー、遊具という三つのスペースが従の空間である。子どもたちがこのどれをも豊富にもつことは難しい。しかし少なくとも三つぐらいのスペースを十分にもっていることが必要ではないかと考えている」

 言われてみると、なるほどと思うことばかりです。私の自宅のすぐそばに児童公園があり、砂場や遊具でいつも子どもたちが楽しく遊んでいますが、一方で、第三のスペースとされた道でも、子どもたちどうしで石蹴りをしたり、一輪車に乗ったりして遊んでいます。子どもたちが家の外であそぶとしたら、最初の場所は家の前にある道であることは当然のことかもしれません。

 第四のスペースとされるアナーキースペースと呼ばれる場所は、なぜか懐かしい響きですが、今日では果たしてあるのでしょうか。廃材置場や工事場はどこも囲いをしており、子どもがどこかに隙間を見つけることは不可能に近いことです。子どもが囲いを押し破って入ると、たちどころに捕まってしまい、厳しく罰せられてしまいます。しかし、このアナーキースペースをどこかに確保することが、実は子どもたちの成長に欠かせないことかもしれません。とかく監視され、時間に追われる現在の子どもたちにとっては、自然スペース以上に意外性を持つ場所であり、想像力をはぐくむ機会を与えるのではないでしようか。

(以下、記事は次回に続く。平成11年8月時点のこの項は終わり)



● 子どもの遊び場環境を充実したい@

子どもセンター第1号館(ばあん)が完成し、多くの子どもが訪れています。

 こどもの日(平成11年5月5日)にオープンした「子どもセンター」が大盛況です。名称は、「ぱあん」と名付けられました。キャッチフレーズは、「ケガと弁当 自分持ち」となっていますが、施設の設立主旨が伝わります。
 利用できるのは、幼児から中高生までを対象にした施設ですが、時間帯で利用者が少しずつ変わっていきます。最初はお母さんに連れられた幼児たち、午後はもう少し大きい子ども達と小学生、夕方以降は中学・高校生が主体となってきます。
 親が一緒であれば、子どもが夜の時間を過ごすことも可能ですし、実際に親御連れが夕刻に、施設を訪れる光景を目にします。
 町田市の場合、従来から学童保育の施設はあちこちにありますが、一般の子どもを対象とした施設は初めてです。これ以降、当面市域の4カ所を目標に大規模の子どもセンターを作ることになり、今後が大いに楽しみです。
 今回完成した子どもセンター1号館には、毎日大勢の子どもさんが押し寄せていますが、こんなに施設の完成が待ち望まれていたのかと驚かされます。子ども自身が自由に使える空間が、このようにすばらしいものだったのでしょうか。
 しかし、楽しい施設で内容が充実しているせいか、車で訪れた親子連れが多く見受けます。相模原市のように、子どもが歩いていける距離にある、身近な地域施設型の子どもセンターも必要と考えます。財政不足のことばかりが強調されますが、子どもの育成をおろそかにすることはできません。

子ども施設の設計家・仙田満教授と懇談

 子どもの遊び場作りの専門家である仙田満教授(東工大)と懇談致しました。東京工業大学の仙田満先生の研究室を尋ね、親しく懇談する機会を得ました。
 面談の前に頂いた著作を事前に読み込んで、大岡山の研究室を訪れましたが、教授から、都心部に限らず郊外地域でも、子ども達の開放された空間が如何に減少しているかを数字で教えて頂きました。この問題は重要な課題であり、しばらく、本の内容について触れることにし、各地の施設も尋ね回り、実地に状況を把握してみたいとおもいます。
 友人の設計家である、武政参徳氏(相模原市在住)の協力も得たいと思っています。 
(以下、続く)