● 議員定数に関する、委員会の最終審議

 

◎ 要旨 議会改革特別委員会は、定数削減人数を4名と決める

 平成12年3月議会で、「議員定数の削減を求める請願」を採択しました。それにあわせて、議員定数を定めようとしてきましたが、次に、既報のように、平成12年9月議会に、「職員の増加等を求める請願」(小項目に、議員の大幅削減を求める内容)が提出され、閉会中に審査してきました。10月段階で不採択の決定を行い、次の12月議会初日の本会議で最終不採択となりました。

 続いて、11月には、議会の定数を定める委員会を開くことになりました。最終結果は、4名減員とする案が多数を占めました。自民党、公明党、市民派クラブが賛成しました。次の12月議会初日の本会議で、大塚委員長より、その報告が行われました。その委員会の賛成派議員は、その議会に「議員定数を4名減員する」内容の議員提出議案を提出することになりました。

◎ 見出し

  1 主な経過

  2 山となった点

  3 地元新聞の取材記事内容に驚く

  4 今後の展望

1 主な経過

 平成12年3月議会で、「議員定数の削減を求める請願」を採択したことが、この議会改革特別委員会の特徴を決めました。その請願は、議員定数の削減は求めていましたが、人数の提起は行っておらず、その幅を含めて議会の自主性を尊重したものと考えられます。

 その後の委員会の審議では、「減員数を何人にする」のかが、大きなポイントとなってきました。年内を目途にしようと言う暗黙の合意が形成されようとしていましたが、必ずしも完全なものではありませんでした。ところが既報のように、平成12年9月議会中に、「職員の増加等を求める請願」(小項目に、議員の大幅削減を求める内容)が提出され、全体のニュアンスが変わってきました。閉会中に審査してきましたが、職員と議員を同様なものと解釈したり、議員定数の大幅削減としながら、それを表題にうたっていないなど、大変政治的な偏りがある請願でした。その請願は、10月24日段階で不採択の決定を行い、次の12月議会初日の本会議で最終不採択となりました。

 大幅減員を求める請願を不採択とした後、同日の委員会において、各派の減員数に関する意見が求められ、

自民党は主に4名の減員を考えていること、

社民・ネット会派は減員ゼロとしたいと主張しました。

公明党は、4−8名の減員、

市民派の1人が4名の減員、もう1名は20名の減員を主張しました。

共産党は、4名の増員を主張しました。

 その日の段階では、それぞれの会派に持ち帰ることになりました。

 続いて、11月27日には、議会改革特別委員会を開催することになり、議会の定数を定める件を冒頭に審議する予定でした。冒頭、3名の議員が欠席、あるいは遅刻しており、議員の定数を決めるという、議会にとっては重要な事態に相応しくない状況でした。開催前、私は、その日の審議日程に関して、「他の案件を先に審議し、議員定数の審議は後回しにするべきである」と提案しました。

 傍聴人が多かったせいか、一部の議員より、「会議の開催は決められたことであり、審議予定を変更することは無い」と言う主張がありました。論議としては、その方が正解であります。そこで、私は「途中参加の議員が審議過程を無視することを無い」という前提で、審議を進めていただきたいと主張し、全員の了承を得ました。(前後して、判明したことですが、いずれも急病と言うことでした)

 論客が3名も減っていること、論議自体は、今までに長時間行ってきたことの理由で、削減数の具体的な提案が行われました。

1 定員数20名とする案。(市民派クラブの友井委員提案、同調者はゼロ)

2 定員数44名とする案。(共産党の提案)

3 定員数36名とする案。(公明党の提案、自民党、市民派クラブの中山委員が同調)

  及び、現状の40名とする案(社民・ネット)もありました。もっと言えば、オブザーバーの大西委員の11名の減員という意見もありましたが、吉田は「案」として、取り入れるべきでないと主張し、「参考」とされました。

 結果は、定員数36名とする案が多数を占めました。公明党の小宮委員が提案し、自民党、公明党、市民派クラブ(1名)が賛成しました。次の12月議会初日の本会議で、大塚委員長より、その報告が行われました。その委員会の賛成派議員は、その議会に「議員定数を4名減員する」内容の議員提出議案を提出することになりました。

2 審議の山となった箇所

 10月24日の委員会が、定数問題に対する<山>でした。

1 平成12年3月議会で、「議員定数の削減を求める請願」を採択している。

2 「職員の増員等を求める請願」(小項目に、議員の大幅削減を求める内容)が否決された。

3 大幅削減を主張してきた議員が数字として出した大幅とは、実際には4名であったり、4−8名とする意見に過ぎない人数であった。

4 20名削減、11名削減などの減員を求める意見は、単なるパフォーマンスと見るのが一般的であった。

 11月27日の段階で、議論は一定行われることになったが、実質的には審議は収拾段階に入っていたと言って過言では無いと考えます。

3 地元新聞の取材記事内容に驚く

 地元に町田ジャーナルという新聞があります。11月27日の委員会には、議員定数の審議に関わる部分を、全部取材されていたようです。その12月10日号に、取材記事が掲載されていました。

 見出しは、「40から36に定数削減案を可決」とし、サブサイトルには、「町田市議会の改革に関する調査特別委員会で」としていました。議事手は、その日の審議された、萩員定数に関する結論部分の記事、委員名、審議要旨とする長文の発言者名のある記事がトップ記事として、乗せられました。

 たまたま、この記事の掲載直前に、私は、取材をされた編集兼発行人氏に出くわしていました。話の経過として、「その日の審議経過は、それまでの審議内容を踏まえたものであり、主要な議論はすでに終えていた」と、一言よけいなことを言いました。

 その結果かどうか知りませんが、この記事では、審議内容に関する場面の登場はなく、冒頭の「初めに今村議員午前中欠席のため、吉田勉委員が午後出席した場合議論を蒸し返すことは止めるとの発言に全員で了承、審議に入った」と記されるのみでした。読んでみると、私が今村委員に意地悪しているかの様子に見えますが、実際には、上記に記したように、「3名も欠席者がいるので、結論を要しない他の案件から審議をしよう」と提案していたものでした。

 新聞記者氏にかかると、このような文面になるのか、という印象を持ちました。「恐ろしきは、メディアであります」

4 今後の展望

 その報告は、平成12年12月1日の本会議に、大塚信彰委員が行いました。次の課題として、この会期の議会に、定数40名から、4名削減する条例案が提案されることになりました。平成10年の12月議会に「定数削減を求める請願」が出されて、実に2年を経過しました。

◎ (12/12/10) b21212101 「議員定数に関する、委員会の最終審議の記事は、この行で終わります」