■論議のページ

このホームページは、町田市議会議員の吉田つとむ<情報公開のエキスパート>が町田市民と地方自治体に政治に感心がある皆さんに向けて、地方自治体の議会と議員はどうあるべきかを問うために発信する最新情報の集約です。 吉田つとむは情報を発信するだけでなく、閲覧者の疑問や批判を受け、情報の相互交流を願っています。つまり、吉田つとむは言論戦のあり方をお互いに、<インターネットを武器する!>と言う考えで進めていくものです。 吉田への送信情報はテキスト形式、ワード97、一太郎8の範囲で送って下さい。ただし、写真・イラストはさけ、図表類も省いて下さい。 送信先は、吉田つとむ expert@pa2.so-net.ne.jp です。

追記: 従来版に対する批判で、吉田のホームページは冗長で情報公開にふさわしくないと言う手厳しい批判をもらいました。新版は各項目の要旨をそれぞれにまず記述し、次に本文に入るというスタイルを全体に取り入れています。


● 「なぜ、吉田は自民党所属なのか」という、質問に答えます (第3回−最終回)                          

◎ 最終回記事について(自民党の基本は保守主義にある)

 私が自民党に所属するの最大の理由は、自由民主党が保守主義の政党であると判断するからです。誤解を恐れずに書けば、この一語に尽きます。この保守主義というのは、「行き詰まった政治課題の解決方法として、政策の遂行を伝統的な手法を用いて、漸進的に行う」というものととらえています。

 この用語は、日本においては、現状の諸課題に対して、その改善措置を取ろうとしない頑固者と把握されていますが、そのようなタイプの政治家は現実には存在しないものであります。現実の政治家とは、改善的な方向であれ、結果的に改悪的な方法であれ、現実の諸問題に対して積極的に関わることを良しとしています。

 なおこの記事全体(3回分)は、 「開け電網政治の時代」のサイトを見た、アメリカ在住の日本人の方からの問い合わせに応えたものです。その内容というのは、吉田つとむのホームページを見た結果、「私が自由民主党に所属している理由がよくわからない」と言う問いかけでした。そこで、いくつかのテーマを設定し、各々の問題設定や課題に答える形式を取りました。

 また政界の急変により、自由党から分離した「保守党」なる名称の政党が出来ていますが、自民党への入党を前提にしている人物も多く、「党」自身の存在理由や獲得目標も具体的には見えてこない性格を持っています。「保守党」なる政党については、その性格上、あくまで流動的な存在としてとらえ、個別には論じる必要性はまったくないと考えます。

 (なお、以下の見出しの中で最後の2つの「節」部分が、第3回−最終回の記事に相当します)

◎ この記事の見出し(最後の2節が今回の記事)

    ■ 自民党の現実的な姿について    

1 自由民主党が一番の自由な政党です

2 私は無所属でなく、なぜ政党に所属するか

3 私は、自民党会派になぜ所属するか+情報公開について

4 地域政党としての自由民主党

5 自由民主党の欠点も書くのが、吉田の特長です。 

      (この内容は、前々回に記載)

    ■ 理論的な課題に関して

6 自民党国会議員と、わたしの立場

7 自由民主党の金権体質は改善されるか

     (以上までは前回記事とし、以下の「節」見出し部分を、第3回−最終回の記事とします)

8 自由民主党は国民政党になれるか

9 自由主義・民主主義・保守主義について

  <以下、本文>        

8 自由民主党は国民政党になれるか

■ 自民党は、国民政党であるか否かを問うべき時代

 どの政党も、国民を代表すると主張します。そのことは、世界観政党(特定の世界観に基づいた社会再編をもくろむ共産党や公明党)の場合についても同様です。それらの世界観政党が、党の設立目的からして本来の国民政党であるか、否かを議論する必要はないことは明白です。

 しかし、連立政権が前提となっている時代にあっては、「論外」とも言えない側面もでています。しかし、かれらの政策に漸進的なプログラムを提出したとしても、それはあくまで党勢拡大の手段としてのものです。彼らにとっては社会の混乱こそが世界観政党の存在する根拠であり、追求目標でしかありません。彼らにとっては、その世界観に基づく一元的コントロールが実現するするによってのみ、目的達成と組織論上からも理解されるわけです。

 世界観政党と異なり、国民政党は、自己の解釈や考えが問題解決の唯一の方法とは主張しません。「民主主義」の項で論じるように、自己の認識の限定性を前提としたものであります。

 自民党にあっては、自己を支持するか支持しないかによって、その対象とする階層や地域の為の施策を立案するわけではありません。現象的に特定の階級や階層に利する状況が起きたとしても、それらはあくまで、個々の問題解決の解決手段して立案・実行されるのであり、自己目的化するものでは決してありません。

 ところで、我が党内の幹部の間には、「我が自民党とは利害調整の政党」だとし、特定の階級・階層・地域の利害を代表するもの−現代風に業界や地元を代表する人もいる−と自認している方々もいるのが現状です。ただし、それら個々の政治家の手法や考えは、(日本の政治勢力の半数近くを占める)我が党国会議員相互の背負う利害で関係で、おのずとコントロールされる性格にあるものです。基本的には(党内の)政治家同士の自由競争の結果、「神の見えざる手」に導かれることにより、個別利害を超えた施策となって立案されてきました。

 その自由競争を長期間支えてきたのは、党内の派閥集団であります。政府の施策の行き詰まりは、内閣の交替のことであり、その事態は一つの派閥の解体再編につながり、他の派閥の成長興隆として現れてきました。その傾向は今日に至るも、まったく同様であります。自民党にとっては党危機の時にあっては派閥解消が提唱され、その時期を越すと派閥全盛の時代に揺り戻してきました。今日、この日にあっても同じ現象を私たちは目前にしています。

 しかし、あくまで、今日の政権維持の状況は、世界観政党も含めた連立を前提としたことであります。複数派閥の栄枯盛衰によって、神の見えざる手が働き、我が党が自己変革を遂げていくことは、過去の姿となっています。現状の取りうる政策は、国民政党の施策として考えられるものより、むしろセンセーショナルなスローガン政党に引きずられたり、莫大な財政支出を強いる階層を支持基盤にする政党に覆い尽くされています。

■ 国民政党に近づくには、どこまでの手段が許容されるのか。

   *金融危機と、公的資金の投入*

 以下、一定の実験経過を経た課題として取り上げます。この間危機に陥った金融機関の救済手段として、大手銀行に公的資金の投入されてきたのも、<金融機関>の破綻を少しでも減らし、国民生活に対する金融恐慌の発生を回避する手段として考えられてきています。現に、金融機関への公的資金の投入無しに、この間の金融危機を回避する手段は困難であったでしょう。

 もちろん、自民党内の論議においても、無限に財政投入を行うことが是か非か、の問題では議論されているところです。その根底にあるのは、金融機関の破綻は「国民」の財産喪失につながり、そのことはなんとしても回避せざるを得ない、という理論にほかなりません。あくまで、自民党としては、公的な資金が、国民の財産の保全を目的にした公共の福祉につながるものか、どうかが常に問題として議論されねばならない事柄です。

   *自由民主党と、自由党及び民主党との比較*

 今日において、自由民主党と自由党(小沢一郎党首)との相違点は、どこにあるかを問題として設定しました。調度この文章を書く途中の段階で、その党から離脱者が大量に発生しました。客観的には自由党の分裂ととらえうるものですが、半数以上の国会議員が脱党した状況下で、はたして「自由党」自体に党の存立基盤があるのかどうかを問われ出しています。

 ただし、自由党の性格としては、自らも関与してきた従来の政策の責任を放棄して、急進主義的な政策スローガンを度々主張してきました。現実には、議員定数や国会運営の方法はともかくとして、国民生活にかかわる課題においては、現状の困難な政治課題に対して、ただ「抜本的な解決方法」を次々と提起するばかりになります。彼らの論法で言うと、全部自分たちの主張を採用すれば、全てうまくいくということになるのでしょう。これは問題解決方法として、急進主義者が主張する常套手段です。私たちは、このような急進主義でことの解決を導き出すわけにはいきません。

 もう一つの政党である民主党の場合は、その名称と異なり、より過激な急進主義を特徴としています。ひとつは、野党の立場のに実際の政権を構成している訳ではないため、問題解決の手法が急進主義的なものであっても、その理論上の問題点が表面化しないという状況に過ぎないものです。

 

   *補:憲法や危機管理の論議について*   

 自由民主党が国民政党になることを「目標」として掲げなければならない事態とは、どのような点に課題があるのかを記述したいと思います。 

 党の中にあっては、憲法改正が党是であることから、常に憲法改正を唱えることが宿命づけられています。しかし、我が党の現実政策は、政権維持が最高の党是であることは自明であります。政権維持のためならなんでもするのが、今日的的な手法として現れており、全ては連立相手の意向にかかっていると言っても過言でないのであります。

 現下の問題で、憲法の示すところが不備であるとの論陣を張る主張はたくさんありますが、今日、憲法を変えないと国の政治が立ち行かないとする国政の政治家はまずおりません。世界平和維持活動への参加問題を議論するにしても、ホットな問題となり得ておらず、<国際貢献>は選挙スロカーン、もしくはアメリカとのおつき合いであったのか知れません。朝鮮人民民主主義共和国(北朝鮮)との緊張関係でも、日本海沿岸の防衛が現憲法かで可能か否かの議論より、国家間の人権問題たる拉致疑惑の解明が、最大のテーマとされています。

 一方で危機管理体制を構築することが、政府の最大課題であるかのごとく言われています。首相の病気の事態における対応すら不明であったことが判明し、新政権下で必要とする職務代行の順位が定められたところであります。しかし、トップに必要な情報が集中する体制に無い、その情報を常時分析する体制に無いのが、我が国の特徴であり、総理以下、職務担当者が次の問題発生に当たって、また新しいマニュアルがなかったという事態に遭遇することになりましょう。常に、ルーチン的な対応しかできないのが、この国のトップ政治家の特徴と言えるのかもしれません。そうであるとすれば、問題は事前に用意したマニュアル通りに来てくれないといけないことになってしまいます。

 憲法を論じるとすれば、現行の民主主義体制はその機能をどのように果たしていないのか、国民の意思は首相公選によってしか本当に反映しないのか、果たして基本的人権の尊重に対して制限をもうけないと国民生活は成り立っていかないのかを、まず明らかにしなければなりません。そうした事柄に答えずして、憲法を日常生活のルーチン的なマニュアルとして改訂しても、なにも変わることは起きないのでないでしょうか。私には、疑問なのであります。

   *補:追加 上記の整理*

 私が国政に参画しているのであれば、「開け電網政治の時代」のサイトで登場される、愛知和男代議士や白川勝彦代議士のように、まず個人の政治家として憲法をどう見るかの判断を示すであろうと考えます。私は、人口37万人の東京都のはずれにある町田市の市議に過ぎません。私が、国政や憲法全体を論じたとしても、自分が政治家として国政の場にあるわけでなく、現実の議論とはなり得ないだろうと考えます。

 私は自分の役割である市議会議員として、私たちが直面している地方自治体の問題に対して、合理的な解決を提示することを最優先にして行きたいと思っております。さらに、自分の役割がより広いものとして支持されるのであれば、自分の見地が他の自治体議会に活かされることがあれば最高のものであります。

 さらに付け加えるとすると、私は政党人であり、現に自由民主党の党員であります。そこで、政党がどうあるべきかについては、理念・政策・構成・仕組み・運営等に関して、常に自分の見解を明かにしていきます。また、発言や態度表明が可能な大会などの会合において、漸進的な改良主義の立場から発言しています。その自由な発言の中にこそ、自由民主党の国民政党的な性格を備えていく根拠となっていくと考えています。

 いずれにしても、私が取りうる手法は、「行き詰まった政治課題の解決方法として、政策の遂行を伝統的な手法を用いて、漸進的に行う」というものととらえております。 

9 自由主義・民主主義・保守主義について

 言うまでもなく、自由民主党は戦後の時代に「自由党」と「民主党」が、合併して出来たものです。よく言えば、両者の長所を取り入れたものであり、悪く考えると両者の妥協の産物であります。保守・革新対立の時代に対応した、革新勢力に政権を渡すまいとする立場の政党であります。革新勢力に政権担当能力の展望が見いだせない状況下、転じて、自民党は政権の永久化のみが自己目的化してきました。

A 自由主義について 

 すくなくとも、まず論じられなければならないことは、自民党が組織内に「組織の自由、すなわち言論の自由」をどのように確保していくかが検討されるべき課題となります。その他の政党と比して、相対的に自由なことは自明のことですが、党員や一人の議員が組織の内外で、自己の考えや主張をどのように表明することが可能なのでしょうか。

 すくなくとも党員の権利として、自民党の場合は次のことは常に保証されています。自分が、現在の党の政策に問題があることを党の内外に示すこと。あるいは、党の会合で反対の立場を明確に取ること。さらに、その立場を支持する政策グループを持つことも(批判はあったにむよ)排除の理由にはなりません。党内でどのような決議かあったとしても、言論の自由の中にあると解釈されます。

 他党との関係で言えば、自由民主党の特徴とは自己の掲げる政策を絶対的なものと考えず、常にその政策を変更可能と考えています。党内において合理的な検討のもとに立案した政策といえども、国会の場の議論やいわゆる世論の中にさらして、常に改良の対象とされてきました。また、そのような施策をとってきたことが、自由民主党をこの50年間を成長させてきた基本になっています。 

 世界観政党にとって、自己の主張を撤回することは、党の存在にとって自己否定の対象としてとらえられるか、便宜的に妥協を見せる行為にしか過ぎないことがらです。一方で、自民党が目指す国民政党の立場から見ると、自己の政策が厳しい論議の対しようとして批判を受け、その中身が変更されることは、自分たちにとって必要不可欠の作業だと考えています。

 言論の自由を前提として、党の存在と成長があるという見地にたつことが、国民政党たる自由民主党に求められる特徴であります。

B 民主主義について

 自民党内において、何が民主主義か、どのようなことをもって民主主義的な政党と呼べるのか、と言う課題に直面しています。

 仮に、「議会があって、多数決で物事を決めるのが民主主義である」とすれば、ナチス政権下のドイツは紛れもなく民主主義であり、日本の大政翼賛会下の議会も民主主義であります。はたまた、中華人民共和国(中国)や朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)も民主主義国家の一列に追加する必要が出てきます。上記の体制に置いて、どの諸国も議会が存在し、様々の制限があったせよ、選挙で選ばれた議員が国会(国によって名称が異なりますが、これらはほぼ同様な機能を果たしています)を構成してきました。

 民主主義は、あれこれの政策に「民主」マークのレッテルを貼って提出することを意味するものではありません。民主主義を他の政治体制から分つもの、それは、主権在民、「人民の、人民による、人民のため」の政治を行う、その方法によってであります。国民の圧倒的部分が支持する政策を遂行することをもって一義的に民主主義とするのではなく、遂行すべき政策の決定過程のルールにおいて民主主義は自他をはっきりと弁別するのであります。

 このルールは、言論の自由を前提とした論議をつくすことであります。(多数決は、民主主義よりもむしろ議会主義のルールであると考えます)では、民主主義はどのような理由から言論の自由を前提とした議論をもってもんだい解決の方法として、次のように考えています。


 民主主義とは、もんだい解決の方法であり、民主主義のもとでは、先験的に他者の意見に対して優位を主張しうる立場、あるいは理論は存在しないと考えています。この考えの根拠の第一は、何人といえども自己の主張の根拠を、「真理」に求めることは不可能である、ということです。もちろん主観的には、いかなる種類の「真理」も存在し得るわけてすが、この真理は、客観的な批判の対象とすることの不可能な主張であります。すなわち、真理の判定基準は存在しないのであります。


 第二の根拠は、わたしの考えでは、ものごとの全体像を把握することが不可能である、という認識論上の立場であります。このことは、当代の科学の到達水準、当事者の認識能力の程度といった限界ではなく、論理的な水準での考えであります。わたくしたちは、「これがもんだいとなっていることがらの全体像である」と主張することはできません。わたくしたちは、誰一人としてことがらの全体をあらゆる視角から同時に把握し、表現するという能力を持っていないのであります。

 国民政党をめざした自由民主党は、民主主義をこのようにとらえるものです。

C 保守主義について

 保守主義は、現行社会体制において生起するさまざまのもんだいを漸進かつ部分的なアプローチによって解決せんとする立場であり、また現行社会体制の存続を前提として将来にかいて生起するもんだいを予測し、それらへの対応を準備することを任務とします。この立場こそ、一切の急進主義的な政党との相違点となります。一連の改革論議の根元にはいつも急進主義が潜んでおり、私たちの前に困難な問題が発生すると、いつも登場するのがこの急進主義であります。

 さて、わたしたちは、ことがらを認識するとき、個有の立場から、そのことがらのもんだいとすぺき側面を抽出的に把握します。もんだい意識に照合して、関連性が乏しいと判断される側面あるいは部分は、捨象されるわけです。(このことを否定すると、わたくしたちはもはや、もんだいを表現することはおろか、把握することすら不可能です。)しかしながら、現在、関連性が乏しいという判断によって捨象された側面、部分が、事態の進展に相応して変化し、ことがらの死命を制するに至る、という可能性は、充分考えられます。あるいは、採用された解決策の実行によって、社会の予期しなかった別の側面に、否定的な結呆を及ぼす可能性をまた充分考えられます。したがって、もんだい解決の全過程を通じて、その解決策が依然として、もんだい解決策たり得ているか否かが、もんだいの変化の把握によって点検されねぱならないということと、解決策の実行による、社会の別の側面への波及効果の注視ということが、可能な枠組みが必要とされます。
 解決策が、大規模、急進的であるほど、もんだい解決過程を制御することは困難であり、場合によっては、全く制御不可能な事態を発生させ、社会を破壊する可能性すら存在します。

 これらに留意するとき、もんだい解決の枠組みは、端的に保守主義の立場すなわち、もんだいの解決にあたっては、現行制度、伝統を尊重しつゝ、部分的・漸進的なアプローチを行うという立場が採用されるのが合理的であると、わたしは判断します。

 国民政党を目指す自民党は、問題解決に対応する際に、このような部分的・漸進的なアプローチをとる必要があります。

D 今後のローカル政治に置ける、自由民主党の役割

 上記の方法は、この財政赤字が膨大に膨らんだ日本の国政でどこまで可能なのか、どこから手を着けたらよいのか、漸進的なアプローチを試みようとしても、押し寄せる財政の不均衡は手のつけようが無いではないか、という反論をうけることでしよう。もっともな現状認識であります。わたしにしても、今の国政に対して、明快なビジョンで現状を多方面に改善する施策を考え得ない状況にあります。

 言うまでもなく、私は地方自治体の議員であり、自分の都市が持つ問題を解決対象とすることに責任がもあります。また、興味も抱いています。

 幸いにして、町田市の自由民主党組織は、市議会において最大の勢力を有しています。自分たちの考えが、市政に大きな影響を与える立場にもあり、「問題解決方法として、漸進的なアプローチを行う」という考えで、これからの町田市をとらえていきたいと思います。

 記述の不十分な点に関しては、このホームページ閲覧者の皆さんからの批判を受け、追加・改訂を加えていきたいと考えています。皆さんからの真摯な批判を待ちます。

(12/04/20) h11204201 「なぜ、吉田は自民党所属なのか」(第3回−最終回)、という質問に答えます の記事は、この行で終わります>


● (続き)「なぜ、吉田は自民党所属なのか」という、質問に答えます                             

◎ 前回記事の反響と、答えの残り部分について

 この記事は、 「開け!電網政治の時代」のサイトを見た、アメリカ在住の日本人の方からの問い合わせに応えたものであります。その内容と言うのは、吉田つとむのホームページを見た結果、「私が自由民主党に所属している理由がよくわからない」と言う次第でした。

 その質問に答える形で、<「なぜ、吉田は自民党所属なのか」という、質問に答えます>を書き、前回はその前半部分を載せ、今回継続部分を記事としたものです。ただし、政治経歴の記載が多くなりすぎ、最後の2項目の記事は次回に繰り延べました。具体的な項目に関しては、見出しをご覧になって下さい。

 その前に、幾人かの閲覧者から再質問が新たに出てきましたので、その内容と回答については、この記事の追加記事として触れたいと思います。

 

◎ この記事の見出し

    ■ 自民党の現実的な姿について    

1 自由民主党が一番の自由な政党です

2 私は無所属でなく、なぜ政党に所属するか

3 私は、自民党会派になぜ所属するか+情報公開について

4 地域政党としての自由民主党

5 自由民主党の欠点も書くのが、吉田の特長です。 

      (この内容は、前回に記載)

    ■ 理論的な課題に関して

6 自民党国会議員と、わたしの立場

7 自由民主党の金権体質は改善されるか

      (以上を今回に記載、今回分の分量が増えたために、以下は次回に繰り延べます)

8 自由民主党は国民政党になれるか

9 自由主義・民主主義・保守主義について

        

6 自民党国会議員と、わたしの立場

     <またしても、理論的な話でなく、経験的な記述ですが>

    ● 地元の伊藤公介代議士の紹介

 地元の伊藤公介代議士(元国務大臣・国土庁長官−当選6回)と、私(吉田勉)の組み合わせは、不思議な組み合わせであります。共に出身政党が自由民主党でなく、代議士は今は無き「自由クラブ」であり、私はこれも今は無き「サラリーマン新党」であります。

 伊藤代議士は「新自由クラブ」の申し子のような人物としてスタートされ、その活動スタイルは初当選の昭和52年当時、「駅頭から国会へ」と評されていました。郊外の田園地区に大型団地が立ち並び、「団地の街」とも称される町田を地盤に、独自の後援者組織を作られてきました。(と、聞いています−吉田は昭和61年に町田市に移住)

 伊藤代議士は、昭和61年に新自由クラブ解散したため、自民党安部派−現在の森派に所属されました。落選の経験も数回あるためか、支持者の結束は堅く、現在では自民党支持者だけでなく、庶民派議員として幅広い階層・職業の支持層を持たれています。

 政党としての新自由クラブは、革新的な主張の割には、昭和55年以降に与党化して党の主体性を無くすことになりました。その割には現実政治のなかで具体的な成果が無く、党としての存在根拠を失うことになりました。昨年の東京都知事選挙に出馬した、柿澤弘治前衆議院議員が自民党を離れるに当たって、新自由クラブが真の自分が求める政党であったと言う主旨の発言をされておりましたが、この時代を経験された政治家は、「反自民ののろしを上げること」にノスタルジーを感じられる印象を受けました。

    ● 吉田は衆議院選に2度挑戦−落選を重ねる、当時はミニ政党の所属

 前記のように、吉田つとむは、町田市に昭和61年4月に移住し、その年の7月に衆議院選挙をサラリーマン新党の公認で戦いました。被選挙権はあるものの、自分に選挙権が無い選挙であり、当選にはほど遠い得票の選挙でした。それでも、2万7千人近い得票を得ましたが、供託金(当時は200万円)も没収されました。(その選挙では、中曽根総理が突如国会を解散し、衆・参同時選挙となり、自民党が圧勝した選挙でした。)

 その後も、吉田はサラリーマン新党で活動していましたが、「衆議院選はやらない、やらせない」とする上層部の考えにより、平成2年の衆議院選での立候補は無所属を余儀なくされました。吉田つとむは、サラリーマン新党との関係で言うと、単に所属しているだけの存在となっており(されており)ました。実際には、衆議院選初挑戦時点から、上層部に忌み嫌われた「公認」立候補でありました。(理由は長くなるため、別の機会に必要とされる時に記載します)

 私をやむなく推薦した「サラリーマン新党」と、好意的な進歩党、及び不思議な縁があった年金党(その後、大きなスキャンダルを起こした友部達夫参議院員が主宰)の推薦で、平成2年の衆議院選挙に再挑戦しました。ようやく、1万票を越す程度の得票ではとても当選圏に届かず、参議院比例区を含めて3度目の落選となりました。

 そのサラリーマン新党は、昭和58年の参議院比例代表選挙に「サラリーマンの不公平税制を是正する」、と言うスローガンで立ち上がった政党でしたが、内部から視ると、自立したサラリーマンの参加を得ることはほとんどなく、サラリーマンに対する組織化や持続的なアプローチも皆無に近いものでした。

 「給料日の怒りを国会へ!」と言うキャツチフレーズも、サラリーマン給与の源泉徴収制度に反対するためのものでしたか、新しい政策提示もめぼしいものが無く、消費税の是非の論議に埋没する過程をたどりました。

    ● 吉田は市議選に転身−評価をさらに下げ、通算4回目の落選!

 3度も落選を続ければ、通常選挙を断念するところ、進歩党の阿倍俊之議員(世田谷区/現在元職で捲土重来を期し、活動中)の好意もあり、政治への情熱を捨てきれずに、町田市議選に「進歩党公認」で立候補しました。国政から市政への転身に、(幸運の女神は微笑むはずもなく−当時の新聞記者の談)再度の落選となりました。通算4回目の落選を経験することになりました。その「進歩党」という政党は、新自由クラブの後身で第二の保守党を目指す運動を展開したのですが、選挙の度ごとに問題を引き起こし、解体して過程をたどりました。

    ● 吉田は、新党運動に「こりごり」となりました

 「サラリーマン新党」と「進歩党」、この二つの政党には直接に党員として参加し、いずれもその党の公認を得た選挙を戦いました。(最後の衆議院選挙は除く)特に、サラリーマン新党の場合は、創設構想の段階から加わりましたが、一旦議員が誕生するやいなや、党の活動全体が内部の組織運営にエネルギーを使い果たすことばかりで、その対象とするサラリーマン層に対して、政治的に貢献をする力をまるで発揮出来ませんでした。

 その後、吉田つとむは、しばらく政党所属の関係が無くなり、実質的な無所属(当選していないので、議員でない)状態となっておりました。4回目の落選後、前述の阿倍俊之都議の地元秘書なったため、都議会で渋谷守生都議(当時5期当選)に何度かお会いする機会が生じました。自由民主党(都議会)議員とは、直接的にはそれが最初の出会いであり、(私に取っては新鮮な雰囲気を感じさせました)

 その渋谷都議の計らいで、(密かに?)自民党に入ることになりました。しかし、自民党町田支部の幹部や市議関係者からすると、私が自民党の市議候補として認知するなど、あり得ないことであり、ほとんどの人は考えてもいないことでした。

 前後して、国政では日本新党が誕生し、平成4年の参議院選に華々しくデビューしました。さらにその日本新党は、平成5年の東京都議会選で大躍進を遂げました。その新党ブームのため、町田市でも日本新党の候補者が都議選に当選し、前述の渋谷守生都議は、思いがけない落選となりました。さらに都議選の途中で、小沢一郎元幹事長が離党して新生党を結成しました。先に武村正義衆議院議員らが離党して、「新党さきがけ」が結成されており、国会解散の事態になりました。この時の衆議院選挙では、先の「日本新党」を含めた「新党」ブームが置き、細川政権の発足で、自民党は野党に転落することになりました。

 さらに、その年・平成5年の暮れころには細川政権の人気が最高潮に達し、政治の世界では「自民党」の没落が確信されておりました。「自民党名」が入った政治活動ホスターを貼り、自民党町田支部青年部広報部長名を入れたリーフレットを抱えて各戸を廻り、自民党の垂れ幕を掲げて駅頭に立ちました。そのことが党内で評価されたのか、あるいは公認の予定候補が激減したためか、平成5年の末には「吉田つとむ」の自民党公認が確定することになりました。自民党所属の市議候補17名の中で、わずかに4名が公認を申請しました。公認の現職議員は、いずれも大幅に得票を減らされましたが、吉田つとむは40名の定員で33位と言う下位当選ではありましたが、栄えある「自民党」市議になれた次第です。

 後で判った話ですが、地元の代議士と衆議院選挙で候補者として争っていたこと、平成元年当時に橋本龍太郎大蔵大臣を政治資金規正法違反で告発した経歴(これも、別の機会に詳述します)などが問題とされていたようです。しかし、自民党の非常時と言うことで、全ておとがめもなく、「公認証書」と「公認料20万円」が、私にも等しく渡されました。聞くところに寄ると、「推薦候補」の方は、推薦料10万円が渡されたそうです。<選挙資金として、届け出されています>

 改めて考えると、吉田つとむは、自民党という大政党には一度も縁が無かったため、自民党に反対する位置にいたとしても、いわゆる叛旗を翻すと言う事態とは異なっていたと解釈されたのでしょう。それ以上に自民党の場合は、離党した議員がいとも簡単に復党する光景が見られますが、これもこの党の特徴なのかもしれません。ただし、復党組は役職上、冷遇されるという風評です。しかし、そのことは政治家にとって、組織にとって、極当たり前のことでしょう。

    <参考>

 福岡市に住んでいた時代から、昭和54年−55年当時に社会民主連合(の議員や党員)の皆さんとの付き合いがありました。この党では、議員個々人の宣伝力は旺盛で、かつ個性的な能力を持つ方々が多いのですが、国民や住民の生活を改善することに対する地道な活動にはさほど興味が無いと感じました。とにかく、思いつきの発表が大好きなのが、この方々の特徴です。 マスコミにヒットしなければ、それらの方針をしまい込んでしまうのも特徴です。

    ● 自民党は、おおような体質です

 上記の次第で、ここ町田市では、代議士も自民党の生え抜きでなく、私自身もいつのまにか自民党の所属議員(かつ、公認)となりました、他者の目からすると、「自民党」のメッキを塗っているに過ぎないと感じられる存在かもしれません。さらに、自分でも違ったものを感じる場合もありますが、必要な時は「自分の思いの方が正当だ」と主張出来るのが、我が自由民主党の特徴です。しかも、それを許してくれるのが、自由と民主主義の党なのであります。

    <自民党の自由さは、このホームページの記事に示す通りです>

 しかし、地元の渋谷守生都議−現議長(町田市の都議会議員定数は3名で、自民党は1議席)は、多くの困難がありそうなことを無視されるかのように、吉田つとむを処遇されました。渋谷都議は、名家中の名家の出身であり、その雰囲気を十二分に備えられた人物です。さらに、自由民主党所属の市議の場合も、大半は何代も続く家系の長男の方が大半を占めています。そういう皆さんは、こまかいことは気にせず、と言うおおような体質と見受けました。私に取ってはなにより有り難いことであり、また、代え難い政党(組織)となっています。

7 自由民主党の金権体質は改善されるか

 自由民主党への批判の中で、「自民党は金権体質ではないか」と、言う声をいつも耳にします。我が党内に、このことに対して全面批判を使用という人物はいないでしょうし、出来る状況でないことは言うまでもありません。吉田つとむも、自民党が金権的な体質を保持していることは、一定肯定するものです。

 さて、そうして金権体質として自民党が問われる内容に、「お金を使う」問題と、「お金を集める」問題とがあります。なぜ、このように問題設定するかと言えば、同じ金権と言っても、両者に違いがあるのではないかと考えるからであります。

   ● 「お金を使う」問題−井戸塀政治家は尊敬される存在か? 

 このころの若い政治家(私も、このような言葉を使う世代になりました)の経歴で、@ 「自分は、お金をほとんどかけないで選挙をした」・A 「なんの事前準備もなく選挙を戦ったが、上位当選できた」とのたまう馬鹿な議員がいます。戦術として言うのならともかく、真顔で言われると、全勢力を動員し、全精力を使い果たしてきた議員や候補者からすると、@−A「ふざけるのではない!それでは、次回も選挙にお金をかけないで、本当に戦うのか?」A−A「次の選挙でもなんの準備もせずに戦ってから、そんなセリフは吐いてほしい」と思うのです。再度述べますが、その種のお金をかけないと称するパフォーマンス議員には、辟易するところです。

 私の考えは、次の通りです。

 「吉田は何様でもない存在であり、自分の想いが人に簡単に伝わる訳では決して無い。駅頭の演説をやり、議会レポートを配り、ホームページで詳細な活動報告をオープンにし、自分のことを理解してくれる特別な存在−後援会員の拡大も図っていくことのほか、他に方法が無い。その結果、お金をなにもかけずに政治活動を維持できるはずもなく、ある程度の政治活動費の支出は当然である。政治活動の収入を確保出来なければ、自分の所得の中から支出するほかないと考えます。結果的に、入ってきたお金(所得)は政治活動費、及び関係費に全て費やしてしまっている」

 若い世代の人は、「井戸塀政治家」と言ってもなんのことか判らない人もいるかもしれませんが、政治家が自分の活動のため、持っていた財産を無くして「自宅にあるものは、井戸と塀だけになってしまった」と言うものです。日本では、この行動は美風と受けとめられていました。ビラやインターネットが一般化する以前の話なので、政治にお金がかかると言えば、「人集め」にお金がかかるという代名詞でありました。有権者の一人一人にお金を配って廻る政治家でなくとも、人集めにお金がかかることは否定する状況でありませんでした。そのために、自分の財産を使い尽くす−これが、政治家の美徳されて来ました。これを上回る論理はなかなか出てこないと思います。

 政治家たるもの、自分の考えを議会で発するだけで、自分を送り出してくれた住民・国民に対して、述べたいのが信条であり、また、自分を支持しなかった住民・国民に対して自分の正当性を言語で展開したいと考えるのは、極当たり前のことであります。むしろ、「唯一人といえども、自分の考えの是非を問いたい」と考えるのが、政治家の自然な考えなのであります。吉田つとむは、そのように考えています。

   ● 「お金を集める」問題−企業・団体献金の是非

 政治資金に関する制度が変わりました。5年前の与野党合意がもとになって、政治家への企業・団体献金が禁止されることになったためです。昨年の末には、我が自民党の国会議員の方々はパニックになった様相でした。「企業からお金をもらえなくなったら、どうやって政治を続けるけることができるのか」と息巻いておられましたが、その声が大分おさまってきました。

 なせならば、政党に対する企業献金は禁止されておらず、今までの企業献金は政治家の後援会に寄付するのでなく、政党(支部)に寄付できることが判ってきたためと思われます。 衆議院選挙に小選挙区制度が適応されて以降、国会議員はそれぞれに政党の選挙区支部の代表者となっています。(他党の離党者のケースを除いて)さらに、都道府県会議員にその適応を拡大する考えが進み、現在では一般の地方議員にも、一定数の新規党員を拡大することで、新たに(個々の議員単位による)地区支部を認める考えを示しました。党にとっては党費収入が増えることにつながり、都道府県連にっとってはその認知権を保持することで、ここの地方議員を把握しやすくなる一石二鳥の制度でした。我が党の幹部は、この政治資金会度の変更をいやな制度だと考えていたのでしょうが、自分たちに都合がよい制度に替えました。我が党の幹部は、実に頭が良いものです。

 これによって、企業献金の受入も容易になり、万々歳の措置でありましょうが、よく考えてみると、一般都市の議員が企業から献金を受け取っていたと言うことはほとんど聞きません。非合法に献金を受けて、刑事罰を科せられる事件を聞くことは「たま」にありますが、今まで、企業献金を通常のケースで日常的に手にしていたのは、国会議員や都道府県会議員、及び政令指定都市議員に過ぎず、一般の市町村会議員にはほとんど無縁のものといって過言でありません。べつに、なにも変わることはないでしょう。ただ、地方議員の中に、独立心旺盛な議員がいれば、議員単位の支部をこしらえ、「党費党員−党費のみを出し、他の活動はあまりしない党員」を増やしてくれることでしょう。自由民主党本部の財政担当者にとっては、楽しく、かつ愉快なことでしょう。

 ただし、複数の議員が入り交じる地方議員にそのような状況を創り出すことが、自民党の連帯性や一般性を毀損する事態にならないか、心配する次第です。一人一人の議員後援会の存在はともかくとして、政党支部自体が個々の議員のものに成り下がる事態が来るのではないでしょうか。

 なぜならば自民党の議員支部の行動単位が、議員個人の後援会組織となんら変わらないものとな結果、公明党や共産党のように議員の地盤割りが可能なはずが無く、お互いに何の共同行動も取らない党員の存在が認められることになります。

   ● 議員単位の自民党支部設立促進は、将来への禍根

 議員の活動を円滑にさせようと言う考えが、政党自身にとっては、末端の活動に置いて混乱と対立を引き起こすことにつながります。今回のように、上層部にはお金が入ってくる有り難い話であっても、政治資金を多く得ようとするその考えは、自由民主党という政党にとって、将来に禍根を残すものと考えます。

(12/02/15) h11202151 (続き)「なぜ、吉田は自民党所属なのか」という、質問に答えます の記事は、ここで終わります。残りの記事は、次回に繰り延べます>


● 「なぜ、吉田は自民党所属なのか」という、質問に答えます

◎ この記事を書くに至った理由

 「開け!電網政治の時代」のサイトを見た、アメリカ在住の日本人の方から、次のような問い合わせがありました。吉田つとむのホームページを見た結果、「私が自由民主党に所属している理由がよくわからない」と言う内容のものでした。他にも、そのような質問を受けたことがありますので、この際、まとめて回答する必要を感じました。所属する理由については、見出しの全項目をご覧になって下さい。

◎ 私と自由民主党(党の看板を背負って動き回る)

   吉田は何時も自民党の看板を背負って動き回ります
  写真@ 私の愛車(私が持つ自動車はこの車のみで、ドアに自由民主党と明記しています)後方は、私が居住する
        アパートです。1階の真ん中の部屋で、2DKの広さです。

  写真A わたしの名刺です(名刺に自由民主党と明記しているのは、私だけです。また、この総務常任委員長の
                    肩書きは、3月議会で無くなります)

 数多くの方々の疑問にも関わらず、現実の姿は上記の通りです。町田市に限らず、自民党所属議員が自分の活動する地域や自治体において、自由民主党という政党の立場を全面に出して活動するケースはまれです。ましてや、自分の車に「自民党の名称を記した」ケースは、他市でも見たことがありません。そのことが、自由民主党と言う政党の特徴的体質と申し上げても過言でありません。これは、一般に支持を持たない、もしくは政党を支持しない層が多数を占める無党派時代の特徴なのか、自由民主党に所属はするが、本質的には保守系無所属の立場を貫いておられる現れなのか、いずれか判別しがたい現象です。私には、不思議でならないことです。

 

◎ 議論を始める前に

 議員として活動する際に、保守系無所属の立場と、自由民主党席があることの違いについて、全体的に論じます。 

 目的政党(共産党・公明党・旧社会党など)は別として、自由民主党と、自由党もしくは民主党との相違はどこにあるのかを、皆さんにご理解いただく必要があるとおもいます。

 自由民主党にとって、金権的・派閥的な体質は必要悪なのか、と言うことにふれなければならないと思います。

 自由民主党は、自分のことを国民政党と自信を持って名乗れるか、否かについて応えることが必要でしょう。

 上記のような課題について、出来るだけわかりやすく論じていきたいと思います。ただし、学術論文では無いので、体系的な記述でもなく、厳密な論証を記述したものでもありません。自由民主党に所属する一政治家としての論拠を示すために、具体的な例を示して、「除名をされない限り、自由民主党」であることを明らかにしたいと思います。

 

◎ この記事の見出し

    ■ 自民党の現実的な姿について    

1 自由民主党が一番の自由な政党です

2 私は無所属でなく、なぜ政党に所属するか

3 私は、自民党会派になぜ所属するか+情報公開について

4 地域政党としての自由民主党

5 自由民主党の欠点も書くのが、吉田の特長です。 

      (この内容は、平成12年1月に記載)

    ■ 理論的な課題に関して

6 自民党国会議員と、わたしの立場

7 自由民主党の金権体質は改善されるか

8 自由民主党は国民政党になれるか

9 自由主義・民主主義・保守主義について

        (次回に記載。一部は仮題です)

 

1 自由民主党が一番自由な政党です

 一般には信じがたいことでしょうが、政党の中で一番に自由な判断や態度が出きるのは、自由民主党であります。町田市の市政にあって、自由民主党は市長与党の立場をとっていますが、必ずしも「市長が出す議案には、全部賛成」とは致しません。またそれぞれの議員提出議案に関しては、十分な議論をもとに、自主的な判断を示しているところです。他の政党(会派)の場合は、そのようにはいきません。そのことの詳細は、このホームページで、「定例議会の裁決結果と私の態度」の記事を見ていただくとおわかりになると思います。

 また、議会以外でも、「開かれた政治と自由民主党」等の欄に記すように、「党総裁選挙」、「都知事候補選定と選挙運動」、「衆議院議員候補の小選挙区・比例区重複立候補問題」のように、内部的な議論の実例のように、議論には自由があり、その内容をオープンにする事もとがめられません。このように、自民党において、意見発表がきわめて自由であることは、ご覧の通りであります。

 他の政党所属議員にこのような自由は存在するでしょうか。少なくとも、吉田つとむが所属し、経験した政党では、このような自由が存在していませんでした。とりわけ、それらの政党においては、地方議員の発言や行動に置いて、自主性が発揮出来ない状況でした。(議員になる以前に、サラリーマン新党や進歩党という政党に所属していましたが、これらは党首の個人商店に過ぎない運営でした)

 自由民主党に対峙する民主党については、次のように判断しています。私が二十年以上前から知っている、代表的な党幹部の人物性に対して、抜きがたい不信感を持っており、とてもではないがつき合いきれないと考えています。その点、自民党は自分が一定の力量を保持しておれば、不当な扱いを受けたり、処分をされることもありません。反主流はあっても、十分な活動が確保できますし、状況がかわれば主流派に立場が逆転いたします。(国政の加藤派、山崎派を見れば明らかです)

 

2 私は無所属でなく、なぜ政党に所属するか

 世界観政党(目的政党)である公明党・共産党の場合は、一般の人からの好き嫌いが極端です。違った意味で自由民主党の場合も、絶対に好きだとする人と、絶対に相容れないとする人があります。絶対に好きだとする人の場合は、(曲がりなりにも)今の社会を政治的・社会的に作り上げてきたのは自由民主党であり、他の政治勢力が国政の舵取りが出きるはずもないとする考えに立っています。

 相容れないとする人の場合は、自民党は所詮、地域の有力者等が主体となった後援会を母体とした議員集団に過ぎず、国民の意見を汲み上げる組織としては、大きな欠陥を免れないと考えているからであります。まさに、金力と派閥が自由民主党の特徴と見るわけであります。

 そのような考えから、自由に物事を考え、個人で対応を判断する「無所属政治家」こそ、地方議員としての吉田つとむの相応しい立場ではないか、と言う意見があります。一見、くみしたくなる意見でありますが、一定の規模を有した都市の議会においては、議会の中は政党を基本にした会派を基に運営されています。ほとんどの自治体では、保守系無所属の議員であっても、自民党(系)会派に属する例が多数見受けられます。つまり、個々の議員は何事も自由に判断することは可能であっても、自治体の長に対して、自分の考えを単独の個人で指し示すことは極めて困難なことがらであります。大きな障害があれば別ですが、(会派には、いささか失礼な表現ですが、)私が政党(会派)に所属する意味はそこにもあるわけです。

 私のように、保守主義者にとっては、政治的な施策の追求を優先する立場から、「少々の妥協は前提だ」とご理解下さい。また、現実の政党に所属する中で、議論を通じて、自分の見解の是非を問うスタイルこそ、漸進的な改良主義をかかげるものの選択と考えて下さい。

 一方で、政党に所属していると、否応なく国政上の課題に対して、政治の在り方がどうあるべきかを問われます。つまり、責任ある見解を述べる必要から、きちんとした立場を時々に示す必要が生じます。政党本部の決断や施策方針は、時として、私(私たち)にとって受け入れがたいものがありますが、自由民主党の場合は、その組織形態において、「支部連合会」が基本であります。あくまで、「支部」での決定が主であり、「上部」はその連合体であります。具体例として、選挙結果がどうなるかは分かりませんが、大阪府連の本部との対決方針が出たケースは、自由民主党の本質的な特徴と考えております。

 私の方針として、一般の方々から発せられた疑問の中で、どうしても理解しがたい事柄については、会合や会議の場で、上に立つ責任ある立場の人たちに質問をし、きちんと答えを引き出すようにしています。もちろん、例えば、青年部などを通じて東京都連レベルの代議員に選出されると、自分が会議の末端構成員メンバーとなり、時々の問題にもかなりの発言の機会を得ることが出来てきました。「党総裁選挙」、「都知事候補選定と選挙運動」、「衆議院議員候補の小選挙区・比例区重複立候補問題」に言及したのは、党の最高幹部の見解を直接問うことが出来たのは、その際のことであります。

 私の場合、望んで無所属の立場を取ることは無いとご理解下さい。所属する自由民主党については、除名でもされない限り、そこにいようと考えています。理由は、自分が自由民主党に関わって以降において、その組織の自由さと、政治施策の漸進的な手法において、変わるべき政党は過去にも、現在にも見あたらないからであります。

 参考:私が自由民主党に加わったのは、自由民主党が国政で野党に転落する直前でありました。私に取りまして、自由民主党入党というのは、新規のことでした。長く、在野で政治活動を続けてきましたが、自由民主党とは縁がありませんでした。また、私が自由民主党所属を正式に認知されたのは、反自民の細川連合政権下の時でありました。幸いともうしますか、市議会議員選挙に際して、「自由民主党公認」が大きく減り、それまで認知されない状態(吉田のような、反自民の行動の前歴者はまかりならぬ)が、一変することになりました。選挙の結果、下位ではありますが、吉田つとむは「自由民主党公認」で初当選を果たすことが出来ました。衆議院選挙に政党選挙を全体とした小選挙区・比例区制度が導入されて以降、次の町田市議選挙において、自民党所属候補は「自由民主党党公認」が大半となりました。

 

3 私は、自民党会派になぜ所属するか

 自由民主党の会派としての自由さは、上記にも触れた通りです。

 ● より、大きな働きが可能です

 自分の持つ、個々の政策を遂行する場合において、市政では市長に一般質問で訴えて、理事者に納得してもらう手法があります。もう一方、個々の議員の政策を会派意見として集約する手法で、市政の中で具現化していく手法があります。

 どちらか一つの方法という訳にはいきませんが、一般質問と言っても、自由民主党会派に所属する議員であれば、市長サイドでは無視できない存在となります。吉田つとむの発言は、その典型でありましょうか。

 また、私は自由民主党会派に所属するために、二期目の前半で総務常任委員長という要職を経験することも出来ています。会派では、最高幹部議員が役職を独占することはなく、お陰様で市民生活に貢献できる機会も増えています。町田市以外の自治体において、自由民主党がそのような方針を取っているかどうかは不明です。自分が直接関わる、町田市議会の会派に限ったケースかもしれません。

 ● 情報公開の推進と、開かれた議会を目指して

 平成10年の12月議会で成立した、「情報公開法の早期成立を求めた意見書」の提出では、提案者として、私の名前を筆頭に書くことになりました。当初からそのこと提起し、働きかけていたことを優先させてくれたものです。自民党会派の特徴の一つに、お互いの「顔を立てる」というのがあります。幹部がなにもかも独り占めする、と言うスタイルと異なって、権力分散の方式が基本に思えます。実際に、私自身が自民党の皆さんと、おつきあいをしてみて、理解したことであります。自民党というと、権力亡者のごとくに思われていますが、現実には「協同組合」的な雰囲気を持っています。

 ● 開かれた議会のため、議会のテレビ中継を求めます

 議会改革特別委員会の審議のテーマの一つとして、議会のテレビ中継があります。この問題では、消極論も議会に多く見受けられます。その考えの基本は、「お金がかかり、税金の無駄遣いになる」、「やっても、市民に対して実効性が無い」と言う論法です。町田市議会では自由民主党が、議会テレビ中継の推進役を担っています。国政の場面とは、異なった様相だと思います。実際には、「開かれた議会と議員の活動」などをご参照下さい。

 ● ホームページを作成して、議会の広報を推進

 町田市議会では、ホームページを作成してアップロードする議員は、自民党会派議員が推進役です。吉田つとむの他、黒木一文議員が最初にホームページを立ち上げています。ホームページに豊富な情報を載せて、議会の情報公開を進めているのは自民党会派の議員です。速報性が高い、黒木一文議員のページには、吉田のHPからリンクを貼っています。

 平成11年12月議会時点で、町田市議会議員のホームページ開設は、自民党2名、民主党1名でしたが、民主党の片山議員は、衆議院選立候補予定のため、辞職されました。結果的に、ホームページを作成している議員は、自由民主党会派の2名の議員のみとなりました。

 議会の議事録を、インターネットを利用して、誰にでも見せるように働きかけているのも、自由民主党議員がトップランナーです。町田市議会では、すでにコンピューターに議事録(本会議と全委員会)を載っけており、あとは外部接続するだけで、自由に内容を取り出せる状態になっています。町田市議会の現状は、フロッピーディスクへのコピーも許可していません。正に、外部から見ると、そこにある電子機器を利用しようとしない、時代遅れの化石思考と言われる状況にあります。

4 地域政党としての自由民主党

 人口37万人の街に、自民党の党員と言われる人は2千人ほどしかいません。それでも、お隣多摩市に比べると、随分と大きな比率と言えます。実際に、自民党党員に加わっている人の多くは、地域で名が通った人物であり、党員数に比べると遙かに影響力を発揮する含まれています。

 自由民主党の党籍を持つ議員は、全部で16名です。吉田つとむが所属する自由民主党会派は13名で、自民クラブ会派は3名です。選挙の際の党公認を受けたのは、吉田つとむを含めて13名で、他の3名は推薦の形を取りましたが、全員当選でした。ちなみに前回の選挙では、自民党公認は、吉田つとむを含めてわずかに4名で、推薦は13名(内、2名が落選)でした。町田市の全域に議員・候補者が張りついた形を取っており、議会の過半数を占めるには至りませんが、各々の議員が地域を知り抜いており、会派として市政の推進に向けてバランス感覚が身に付いています。 

5 自由民主党の欠点も書くのが、吉田の特長です。  

 ● 金権的だと決めつけられています

 自民党に所属しているばかりに、企業献金の廃止を求める意見書に賛成できませんでした。最終結果は、中央の都合で、政治家の後援会は企業献金を受け取ることが出来なくなりました。まさに、野党の主張通りになりましたが、政党同士の公約であったのだから、企業献金の廃止の方針は、もっと早く導入すべきでした。

 中央の国会議員の皆さんは、その企業献金の廃止を渋る理由に、地方議員のことが引き合いに出しました。しかし、町田市議会議員の場合、今までに企業献金を受領受けたことはまれでしょう。あっても、少額の金額のはずであります。当事者である地方議員としての私たちの意見を聞くことなく、不本意ながら中央の政治家に利用されました。私たち地方議員は、企業献金をもらうシステムも実績が無くとも、一般の人から批判を受けるようになるでしょう。貰いもしないで、批判をだけを受けたので間尺があわないと言うのが、(自民党所属)地方議員の言い分です。所詮、地方議員は、身銭を切って活動する存在に過ぎません。

 機会があれば、「私たちを、かってに引き合いに出さないでくれ。企業献金などは、私たち地方議員には、なんの関係もないことで、誰がそんなことを頼んだのか」、と聞いてみたいとおもいます。もっとも、国会議員から見ると、ローカル都市の市議会議員は、政治家の中に入れていないのかもしれません。

 またまた、都道府県会議員と制令市政都市の議員を対象に、本人の主催で党支部をつくり、企業の献金受領を継続させようという案が中央にあるようです。これでは、自由民主党は政党の体裁をなさなくなるのではないでしょうか。議員個人の都合ばかりが優先し、政党支部が後援会となんら変わらない存在となってしまいます。ひょっとしたら、この献金を受けるための政党支部作りは、「政党」崩壊のはじまりとなるかもしれません。

 ● 自民党には、女性議員が一人もいません

 私が町田市に住んで十数年になります。私が町田市に来る以前の町田市議会の発足以来、自由民主党には女性議員が一人もいないと言うことです。男女が平等に参画する時代と言いながら、一人の女性議員もいないというのは、寂しい限りと言うより、大きな政治問題です。地域的にバランスが取れた意見を汲み上げることにおいては充実していますが、男女平等の問題に関して時代に取り残されている、と言って過言ではありません。自民党がバランス感覚を持つためにも、女性議員の誕生は必須課題と言えます。

 ● サラリーマンに対する、目線も欠けています

 町田市では、いわゆる地元と称される人たちが、今でも様々の分野で有力ホジションを占めています。当然のことながら、自民党の目線は、土地所有者・農家を向いています。土地対策の向上、農政の推進が、自民党の大きな政治課題と考えられています。実際のところ、サラリーマンへの目線などは、あまり感心を持たれていません。組織的にも、サラリーマン自身の自民党への参加はあまり見られません。地域でのスポーツ分野を通じた、サラリーマン層への広報活動は試みられていますが、特に都心部に通うサラリーマンに対しては、適当な施策を見いだせないでいました。しかし、少なくとも、不肖 吉田つとむが議会に入ってからは、サラリーマンへの目線では他党に遅れを取ることはありません。いずれ自民党が都市部サラリーマンにも、目を向けざるを得なくなることは回避できず、サラリーマン出身議員が幾人も誕生してくる時代となるでしょう。もしくは、そのような見地に立たないときは、都市部での衰退を余儀なくされるでしょう。現に、その政治的な兆候は様々の形をとって現れています。

(「なぜ、吉田は自民党所属なのか」という、質問に答えます}の記事は、ここで終わります。次回に続く)


● 清渓セミナーの開催案内

   地方分権に対応する超党派(地方)議員を対象とするセミナー

 地方議員を対象とする「超党派の議員セミナー」で、私も参加予定をしています。平成11年11月24−26日の3日間の研修セミナーとなっています。今回の開催が、第4回目となるもので、「東京・神宮外苑 日本青年館」で行われます。関係者の参加を呼びかけます。

 私は、この会の主催者側でなく、一般参加の予定です。私が参議院議員の秘書を務めていた時代に、優秀な秘書の一人であった、森高康行愛媛県会議員のお誘いによるものです。他の自治体議員の皆さんと、議論の場にと考え、出席参加することにしました。関心をお持ちの方は、ご照会下さい。

◎ 清渓セミナーの開催概要 (基本的に、主催者の文章を使っています)

● タイトル 地方分権に対応する超党派議員セミナー 第4回 清渓セミナー

● 日時   平成11年11月24日(水)−26日(金) 初日 正午受付

● 会場   東京・神宮外苑 日本青年館 東京都新宿区霞岳町15 電話 03-3401-0101

● 主催   清渓セミナー実行委員会(実行委員長 大分県国東町議会議員)        

● 後援   自治省 全国知事会 全国市長会 全国町村会 全国都道府県議会議長会 

        全国市議会議長会 全国町村議会議長会 社団法人 日本青年会議所

        (財)日本青年館 日本青年団協議会

● 参加対象  主旨に賛同する首長・議員及びそれらをめざす者を中心とする100名程度。 

● 参加費    2万5千円(宿泊代・食費・パーティー代別)

● 参加申込  平成11年10月25日(月)までハガキにて住所、氏名、電話番号を明記の上、

          セミナー事務局宛お申し込み下さい。

          また、電話かFAXにてのお申し込みも受け付けております。申込受け後、

          事務局より参加調査書を郵送いたします。  

● 主旨     (主催者でかかれた内容です)

           21世紀を間近にして地方自治は大変革のときを迎えています。とりわけ

          介護保険制度の来年4月からの施行、情報公開制度の取組や財政問題

          等と地方自治体を取り巻く課題が山積しています。

           そこで、各地域で活躍されている議員および議員を目指している人たちや

          行政・議会関係者が一同に会し、その経験交流や研修を通じてネットワー

          ク化を図り、住民主体の地方自治を望む声に応えていこうとするものであり

          ます。   

● 主なプログラム

24日(水)

           ◇ 基調講演

           「新地方自治法と自治体」 講師 松下圭一 (法政大学教授)

           ◇ 現場報告

           「介護保険制度と我がマチの対応」

                          報告 海東英和 (滋賀県新旭町長)

                              中村時広 (愛媛県松山市長)

                              井伊敏郎 (愛媛県三瓶町長)

           ◇ 課題別ディスカッション   

            @「情報公開制度」

            A「市町村合併」

           ◇ 海外報告

           「ドイツに見る地方自治と日本」 講師 篠藤明徳                               (別府大学短期大学部教授)

25日(木)

           ◇ 特別フォーラム

           「わがマチの経営戦略」 

                      パネリスト 逢坂誠二 (北海道ニセコ町長)

                             宮越 馨  (新潟県上越市長)

                    コーディネイト 福岡政行 (白鴎大学教授)

           ◇ 記念講演

           「21世紀、日本の進路」

                             講師 中坊公平 (弁護士)

           ◇ 総括講演   

           「21世紀、政党政治の行方」

                           講師 福岡政行 (白鴎大学教授)

           ◇ 特別セミナー

           「21世紀のビジョンを語る」

                       講師 竹下 登 (元首相、衆議院議員)

26日(金)   

           ◇ 討論会

           「テレビと若者を語る」 

                        ゲスト  蓮舫  (テレビキャスター) 

                              テレビ朝日プロデューサー

                              TBSテレビディレクター 

 *吉田の追記: 竹下登元首相は、会場である日本青年館の理事長

           元首相は、以前に講師として講演されたことがあるようです。

           今回は、どうでしようか。                       

  (清渓セミナーの開催案内記事は、この行で終わります)