海外視察記(中国訪問、平成6年)抜粋

記事掲載の経過とその理由

 自由民主党の町田市議団が、会派で中国を平成6年19月に視察
訪問したことがありますが、その際の報告書を一部抜粋して、
記事として掲載することにしました。

 掲載するようになった理由は、たまたま知人との会話で、中国
に訪れたこと、そこでの体験を、その時期にあわせて説明する理
由が生じたためであります。

 その視察記は、訪問者全員で書いたものですが、基本は一人一
人の議員が分担して書いたものです。私自身が直に書いた部分、
比較的に手を入れた部分を、以下に掲載することにします。
(あらかじめ断っておきますが、原作を自分が書いて、他の議員
が手を入れた部分と、他の議員が書いて、私が手を入れたものの
両方が入っています。そのことをご承知おきください。)

 この視察報告書は資料としては、手元に残っておらず、議会事
務局でも保存期限が過ぎたために、すでに処分されたものでした。
幸い、市立中央図書館に所蔵本として、一冊のみ保存されていま
したので、そのコピーをとり、スキャナーで読み込みました。

<視察の目的・・・私が書いた部分でないが、この部分は引用>

 その時の視察先は、町田市と交流のある北京の国家図書館、北
京郊外の昌平県、上海の魯迅記念館、および相模原市との姉妹都
市である無錫市ですが、それらの都市と施設には、寺田市長の親
書を携へ表敬訪問をしています。あわせて、その他のいくつかの
都市と施設を視察見学してまいりました。

<期間とメンバー>

期間 平成6年10月25日より、1週間。

団長 渋谷 敏頴 会派幹事長
   熊沢 洋・渋谷 軍治・八木 邦治・渋谷 佳久・斎藤 稔・
   吉田 勉・長村 敏明・大塚 信彰(参加者は9名)


<報告の抜粋・・・吉田が記載に関係した部分>

 北京への旅程

10月25日、町田市議会自由民主党訪中団を乗せた全日空機
は、成田空港を午前11時出発。飛行路は東京より上海上空を経
由し、眼下には雄大な畑地、大運河上空を飛び、現地時間午後2
時北京空港に降り立つ。         .
1時間程度の通関手続き後、マイクロバスにて、新設の自動車
専用高速道路を使用し、約1時間で市内到着。料金所の建物に特
徴があり、装飾に凝り中国風の屋根が目につく。それに比べ日本
の料金所は特徴がなく、合理性一本槍か。

 途中には外国(日本を含む)との合弁企業の真新しい工場が目
立つ。市内には、環状線を経由して入るが、両側にはアパートが
林立。それらはいかにも居住面積が狭い様子を見せ、ベランダ部
分まで窓粋が迫り出し、薄汚れたサンルーム風の感を呈している。

市内の道路は道一杯にタクシー(日本のメーカー製、軽のワンボッ
クスカー)が目立ち、洪水のような自転車群をすり抜けていく姿
に仰天する。バイクは経済政策と危険防止のため、現在では販売
制限がされていると言うが、なるほど北京市内ではバイク・オー
トバイをほとんど見かけないはずだ。

中国国家図書館訪問

午後4時、中国国家図書館に到着。ただちに、孫承鑑副館長、外
事課劉宗霞女史等と会談。同副館長より最初に歓迎挨拶を受け、
渋谷敏頴団長が訪問と答礼の挨拶を述べた。応接室にて各々の自
己紹介を行い、持参した記念品を贈り、記念撮影を行った。

町田市は中国国家図書館より昭和62年以降、たびたび版画書
籍等の所蔵品をお借りし、企画展を開催するなど極めて親密な関

係にある。
 副館長の話や資料によれば、中国国家図書館は日本の国会図書
館に相当する施設で、蔵書数1,670万冊、世界第6位と言う。
 会談後、中国4,000年の文字の歴史を記した展示室を見学。
殷の亀甲文字・隷書・楷書等で記した古典資料や、西洋文明に遥
かに先行製作された木版印刷機と木製活字を見学した。
 中国国家図書館(THE NATIONAL LIBRARY OF CHINA)と言う名
称は海外向けの名称で、北京図書館が中国名である。有飴なガイ
ドであった王徳濱でも中国国家図書舘と言う館名が、すぐに判ら
なかったのは、外国人旅程コースには馴染み無く、その名称が海
外向けの為と思われる。

碑林見学と西安料理

四書五経をはじめとする古文書や、有名な書家の作品の石碑が、
北宋のころ一同に集めらたと言う。書道家には見逃せない名所で
あり、その質量足るやすばらしいの一語。いくつか破損した碑だ
が、文化大革命時のものとの説明。また一方で古典への関心が薄
くなったのか、現地ガイドに聞いても、『論衡』の所在すら確認
できなかった。
 27日、28日と西安の二日問の料理は、一月目が馬軍団の秘
密料理とも言われる冬虫夏草入りのスープなどの薬膳料理、二日
目は数十種類のぎょうざを椀子そば風に食べた。しかし、味の醍
醐味は名物の屋台に食することではなかったかと反省。惜しくも
西安ではその機会を逸した。

● 特記事項
 
中国国家図書館に、私は、個人的なプレゼントを用意した。昭和
薬科大学教授(当時)の古田武彦氏の歴史本を2冊用意した。題名
は忘れたが、いわゆる邪馬台国本で、魏志倭人伝の記載を正しく、
「邪馬台国はなかった」と言う主張を基本にしたもの、さらに、
「九州王朝」説に関する書物を献本した。

碑林見学の際に、『論衡』にある文章の石碑がないか尋ねたが、
その『論衡』自体が知られていなかった。

馬軍団は、当時の世界陸上界で猛威を振るった、中国の長距離
ランナーの総称。その後に薬物疑惑が生じ、一挙に崩壊した。