町田市をファッション都市に 本会議一般質問(2002年3月分)
 
ファッション産業を創造せよ!

<質問の目的>
 私は、第3期目の自分の政策として、「自立」の理念に基づき、町田市が元気を取り戻す路線を掲げている。スローガンでは、町田市を世界一元気な都市「まちだ」をめざした、「自立した産業・ビジネス都市へ」と提唱している。

 そこで、吉田の提案として、3つの提案を行っっている。
 その第一が、<町田市に新産業を創る>である。
 その中で、「町田を元気づける特効薬は新産業を創ることである。つまり、働く場としての街つくりが必要だ。なぜなら、最大の人口を擁する団塊の世代は50代の中盤に差し掛かり、彼らは今、過去最高5%(2001年7月現在)の完全失業率に苦しめられ、かつ、高齢社会の重荷を担っているのも、この世代であるからだ。新産業振興によって働く場と雇用が生まれ、中年齢層の人々が元気を取り戻すことが出来たなら、誰もがいきいきと暮らせる街になるに違いない。」としている。

  そこで、例えば新産業とは?
 町田を中年のファションタウンへ
 中年世代をターゲットとしたファション産業 
 未開発の分野なので成長が期待できる
     とした。

 そこで、私の場合は、当然あらゆる場面において、このファッション産業を具体的に提示することと、そのきっかけを自ら生み出しことが自分の役割になり、まず当選後、最初の議会一般質問で、市の姿勢を確認することにした。

<経過>
1 質問の作成の下原稿は、いつものようにインターン生が担当した。
  その内容は、
  <町田市をファッションタウンにしませんか(質問下原稿) インターン生 山梨 紀子>
2 実際の質問に当たっては、いつものように「ノー原稿」としたため、この場には全文を用意しえない。

<質問内容>
1 町田市が行っている、高齢者のファッションショー(過去2回のワンダフルエイジファッションショー)の評価と、今後の方向性を、まず問うた。
2 2番目には、服飾店・服飾専門短大との連携や、消費者運動を通じた、販売・製造業者が交流する特徴を生かし、町田市にファッション産業の街を生み出していくべきであるとした。
  
 上記の説明として、
 町田市が通勤者のベッドタウン的な存在であること、そのために昼間の人口が少なく、活気が無いことをまず上げた。次に、高齢化が進み、退職後の再就職先が必要とすることあげた上で、IT産業などと急に位置付けることが困難だとした。(あわせて、市役所の公務員には、再任用などの制度が導入準備されていることをあげ、将来の心配が無いことも参考で紹介した)
 市内の服飾店の盛況と、消費者運動の伝統などもあわせ、町田市をファッション産業の都市と位置付けることが十分に可能であることがらを紹介した。

<答弁内容と再質問など>
 1の「町田市が行っている、高齢者のファッションショー(過去2回のワンダフルエイジファッションショー)の評価と、今後の方向性」に関する答弁では、今年もその事業が継続されることを示し、今後の発展性も明らかにされた。特に、他の議員の質問中に、そのファッションショーの運営が、NPO組織によって担われることも示唆された。
 それによって、一層の発展も期待できる。

 2の点については、正確には明快でなかった。
 そこで、こうした商工業の発展に関する展望を示す上で、市の経済振興部門の機能について、質問とその機能が不足していることを指摘した。他の議員の質問でも問われたが、商工業発展、雇用創出の面で、担当分の機能性の欠如が目立った。
 
 他の議員の質問もあわせたことであるが、市長答弁でも、担当部である経済振興部の再編が不可避と思われた。(質問では直にそうした表現を用いなかったが、企画部長が経済に感心が薄いことも、町田市の発展にとって、大きなマイナス要因と感じている)

 引き続きの質問では、服飾専門短大との産学協同、SOHOの重視をとなえたが、市長答弁では、相変わらず「商工会議所幹部」との協議などが、メインの方向として示された。思うに、経済の活性化とは、およそかけ離れた問題意識であり、新産業の導入を市長にお願いするのでなく、自分自身が持つネットワークを通じて、その方策を導きだすことが必要だと認識した。

 質問の最後に、「ユニバーサルファッション」を、(市長などで)だれか知っていないか、と問うたが、誰一人として、知っているものがいなかった。「福祉の街」と自他共に誇っていた時代が、なるか遠くに行ってしまった感がしたものである。
 
<関係の取り組み>
 この質問の動機は、自分が(中年の)ファッションショーを行っていたこと、
 その(中年の)ファッションショーを、町田市が高齢者のファッションショーとして実施し、好評を博したこと、
 この動きが、されに広範囲に共感をもたれる可能性があることが重要な要因である。

 今回そうした中で、「ユニバーサルファッション」と言う用語に行き当たり、その運動を支えている「ニュバーサルファション協会」に、新規に縁が出来たことは有意義であった。

 こうした経過自体を、ネット上でオープンに公表し続けた結果、町田市内の福祉関係者にも、その「ニュバーサルファション協会」が知れることになった。そうした行動の結果、ファッションを産業とする!の見地が、住民の中に広まりつつあることは確実である。