● 第四回 ”政治家はバカにすべきもの”というマスコミの風潮への批判!

◎ 朝日新聞記事への批判要旨

 朝日新聞政治部の記事で「鼓動」と題する政治家に関する記述は、政治家への不信をまき散らす<デマゴーグ>につながっている、という主旨の批判を私は行ってきました。今回はその事を記事にしたもので、現職議員が学校(大学や大学院)に通うことを持ち上げた件について評価を行うことにしました。

 私の答えとして、そのような現職議員が存在することは一向にかまわないと考えますが、そのことでもってたたえるべき議員として評価をしようといのは、果たして「可」とすべき事でしょうか、失礼ながら、私は決してそのようには考えていません。実に、時間を持て余すゆとりがあるのだなー、という印象を受けるに過ぎないことであります。結果として、現職議員の活動とは、そのように暇なものとして考えられることにつながります。

 現職議員は、その発言と政治実績でもって評価をされるべきであります。朝日新聞が言うように、現実は議員の中には、冠婚葬祭に精を出す人物がまだまだ大勢いることは否めません。しかし、その反対に多大な時間を要する「大学通学」が、議員としての実績にどのようにつながるのか、そのことの内容をきっちりと明示する必要があります。そのことを明らかにして初めて、政治家としての評価が出てくるのではないでしょうか。確かに住民の中には、そのような議員の存在を物珍しがる人たちも大勢いるでしょう。しかし、そのことを是として報道することは、朝日新聞が自分自身で、「政治家の大事なこと、何だっけ?」と問いかけているのに、政治家に「ただ今、勉強中」という立場を推奨していることになります。 



◎ 見出し

1 朝日新聞がいう政治家に必要なこと

2 自治体議員として、その存在意義を政治にもたらすことについて

3 それでは何が、政治家(議員)に必要とされることなのか



1 朝日新聞がいう政治家に必要なこと

 朝日新聞政治部の記事で「鼓動」と題する政治家に関する記述は、政治家への不信をまき散らす<デマゴーグ>につながっている、という主旨の批判を私は行ってきました。今回はその記事としたもので、現職議員が学校(大学や大学院)に通うことを持ち上げた件について評価を行うことにしました。

 議員であれば、誰しも自分の活動の中で、もっと政治知識や専門知識を持っておればと言うことは随所にあります。記事のように現職議員の中で大学に通っている例が、私が直接的に知っている中でもあります。人間的な心がけとしては、立派なものでありましょう。週に二度も学校に通う例も紹介されていましたが、私などにはとても真似が出来ないことであります。

 朝日の新聞記事では、「政治家にとって一番大切なこととして、次の選挙で通ること」とし、そのために政策より、冠婚葬祭と言う行動原理が由来すると述べられています。今日の現状説明として、もっとものような印象を受ける書き方ですが、出てきた答えは、現職議員が大学(院)入学して、そこで勉強する例が挙げられています。


2 自治体議員として、その存在意義を政治にもたらすことについて

 もちろん、自分の政策を提起するための勉強は必要でしょう。あるいは、行政が打ち出す施策を検討するべき研究も必要でしょう。しかし、それらのことは自分の日常生活の中で、やりくりされるべきものでしょう。もちろん、未だ自治体議員に対しては、専業的に見なす傾向が一般的とは言えません。「収入を得る為の仕事を別に持って、招集された時に議会に出る」ことを未だ当然とする見解もあります。

 しかし、通常の自治体議会で言うと、年に4回の議会があります。その中で、毎回一般質問を行い、行政提案の議案に質議を行い、常任委員会である程度以上の質議を行い、委員を務める特別委員会で自分の立場をもった発言を行うとなると、果たしてどの程度のフリーな時間が確保されるのでしょうか。

 行政に対して議会の議員として力を発揮するには、最低限でも会派に所属した活動が必要です。意見をとりまとめるための時間も必要とされます。新聞記者さんが、じっくりと議会審議を見つめてくれれば、そのようなことはある程度理解されることです。ローカル議会の審議が全部放映され、住民監視が日常的に行われると、何が十分な審議であり、何がパフォーマンス発言か、見えてくるのではないでしょうか。マスコミ受けの発言をもとに理解される議会や議員とは、また違った世界が生まれてくるのでしょうか。

 少なくとも、インターネットが利用されだして、政治の理解も変わってきました。議員が自分自身で、自分の発言と行動を書き記す時代になってきました。議員相互に、自分を語り合うことも出てきました。われわれの政党支部は自前のホームページを持ち、自分たちの立場をいつでも、自由に表現できるようになりました。大阪府柏原市の「会派」市民党のように、自分たちの主張や行動(結果)を、ホームページに公開するグループも出てきました。

 今後の展開で望まれることは、おのおのの政党支部が、自分たちの街に対する今日の課題と将来展望に関して、それぞれの分析と構想をもちあわせることではないでしょうか。それぞれの政党支部が地元代議士の単なる集票機関でなく、地元の政治全体に関わってくる必要があります。もちろん政党会派も、単なる与党か野党かの相違でなく、行政とは別途に、市政に対する取組を明示することが必要です。

 とりわけ、地方分権を言うならばなおさらのことです。

3 それでは何が、政治家(議員)に必要とされることなのか

 政治家ホームページの点数表が出て意表のある、「開け電網政治の時代」管理者は、その掲示板で、次ののように述べています。

 政治家を祭り上げるなら、まずは実績を積み上げてきた政治家を持ち上げるべき。
功績のある政治家は皆無なのかなあ?国会議員、地方議員合わせて相当数の議員がいる中で皆無とは思えないのだが。
マスコミのみなさん。
地道に実績をあげてきた政治家を拾い出して報道することは、現状の政治を嘆く記事以上に大事なことだと思うのですが。(以上)

 こうしてみてくると、朝日新聞政治部の論調は、「政治を悪くしているのは政治のプロで、政治の素人が政治を良くする」、という考えを宣伝しているかのようです。旧来の大物政治家の判断が、経済見通しをはじめ様々の分野で間違ったことがらをいくつも生じさせていることは否めません。しかし、それでもって政治の素人が、政治を良くすると言うことには全くつながりません。 

 自治体議会でのスキャンダルを記事としても、普通の会議の模様や議論の過程はどのように行われているのかと、いうことを紹介することは皆無というのが、この新聞の特徴です。もう少し、普通の事柄を記事として取り扱う、まじめな市政を持ってもらいたいと、願うのはわたしだけでしょうか。朝日新聞政治部の特集「鼓動」に見られる記事作成手法(他にも若さを持ち上げる)は、少なくとも一般の自治体議員に対して冒涜行為であると考えます。私の朝日新聞政治部に対する批判は、以上の通りです。

 この議論は、朝日新聞政治部と私との相互のやりとりを意識してスタートしたものでしたが、一度切りで議論が継続していない状況です。この度の議論は、ここでうち切りとし、又の機会としたいと思います。なお、この朝日新聞政治部「鼓動」欄の批判記事は私が仕掛けたものであり、(新聞に祭り上げられた当事者の方を含めて、)だれであれ、私への批判を頂戴するのであれば、吉田つとむはいつでも受けてたちます。

a21208101  <第四回 ”政治家はバカにすべきもの”というマスコミの風潮への批判!の記事は、この行で終わりです>


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