事務所の神棚と必勝だるま

 吉田つとむ選挙の事務所と中の配置がどのように構成されてきたか、その神棚と必勝だるまの在り方を通じてみていきたいと思います。なお、この記事のベースは、2003年に議論掲示板に書いたものを利用しています。

見出し
1 事務所の神棚と必勝ダルマ
2 事務所の神棚と必勝ダルマ U
3 教会の十字架を背景に
4 事務所の神棚と必勝ダルマ V
5 事務所の神棚と必勝ダルマ W

1 事務所の神棚と必勝ダルマ

  町田市は1年前に選挙が終了していますが、まもなく全国で統一地方選挙が行われます。
 そうした際に事務所を設置することが一般的ですが、その事務所をどのようにつくりにするのか、現実にはなかなか難しい問題です。
 事務所をいかに設置するか?に関係しますが、大阪府柏原市の中村幸平議員のサイトの掲示板で、事務所の必勝ダルマの設置に関する問題が議論されています。

 では、吉田の事務所と、そこの神棚と必勝ダルマをどのように配置していたか、少し記載しましょう。

1 規模・・まずは事務所をどこに置くかによって、大きく異なります。目抜き通りにプレハブを設置するか、空きビルの中に収まるか、それとも一軒家をかりるか、あるいは、自分で常設の事務所を確保しているか、さらに自宅でこじんまりやるか、様様のケースがありますが、候補者サイドにとって、最後はお金の問題となることが大半です。

 ●吉田の場合
 あまりお金を持っていなのですが、事務所には少々見栄を張るのが特徴です。

 参議院選挙比例代表
  現在の選挙と異なっていました。
  自分の事務所は持っていませんでした。
  政党名の選挙でしたが、選挙カーを1台、自前で調達しました。

 第1回目の衆議院選挙
  目抜き通りの空き事務所(2階建て)
   新築ビルに立替寸前でした。エアコンも完備したところで快適でした。あまりの便利さで、吉田の車が駐車違反で切符を切られたことがありました。
   知り合いの方のお世話で、事務所を手に入れました。

 第2回目の衆議院選挙
   町田市内の中心部でしたが、場所は裏通りでした。  
   福岡県筑後市のいた当時の小学校の同窓生が、自分の事務所を提供してくれました。

 第1回目の市議選
   上記と同じ事務所をお借りしました。
   そのときまでの全ての選挙が落選でした。

 思い起こせば、この時までの選挙では、全て神棚も必勝ダルマもおいていませんでした。
 では、その次からはどうしたでしょう。
 
2 事務所の神棚と必勝ダルマ U (第2回目の市議選{初当選})

   事務所を、自分が住む成瀬が丘町内に置きました。成瀬駅前でなく、駅から少し離れた場所(徒歩2分)のビルの2階を借りました。大勢の人が集まるには少々狭いところでしたが、機能的な面がありました。

 事務所には、初めて神棚と必勝ダルマが入りました。いずれも、後援者の方がご用意いただきました。事務所開きなどで、特別の神事は行いませんでした。毎日、水替えなどが必要ですが、本人はあまりまじめにやっていませんでした。

 必勝ダルマは、選挙戦のスタート(つまり、出陣式)で片目を入れました。候補者一人で入れるのでなく、大勢の人が協力して、目を描き上げると言うように見えました。

 1週間の間、そのダルマを事務所に置き、当選時にはもう片方の目を描きました。その時には、もっと大勢の人で描き挙げた記憶があります。最も喜んでくれたのは、後援会長職を引き受けれくれた日比野勇さんでした。

 その日比野勇さんは、往年の自民党の活動家でしたがお体を悪くされていました。そのお体が気がかりでしたが、結果的には無事に選挙戦を乗り切られました。その翌年、80歳の年齢でお亡くなりになりました。思い出深い、お人でした。
 大きな目を描いた必勝ダルマを見て、喜んでおられた姿を思い出します。

 4年間保持して、次の必勝ダルマを用意する段階で、「達磨納め」に持っていただきました。
 
3 教会の十字架を背景に (教会の十字架を背景に)

 政治と宗教の問題ですが、いわゆる神社への「玉ぐし奉てん」問題などは、執行機関の公費負担が裁判などで争われているところです。

 例の小泉総理が、8月15日に参拝するとしたことは、ほかの日にあっても同じですが、政治家として公約を果たせなっかたと言うことのほうが、大きな問題でした。こちらは「戦争責任」の問題で、話題となるわけです。

 現に、民主党の菅直人代表は、正月に「伊勢神宮」に参拝していまがむしろ歓迎されています。問題となるのは、そこで収める祈願料などを「公費」負担すると、宗教への加担とみなされるわけです。議員の場合は、もともとそうした「公費」を扱いませんので、議員の参拝に、憲法問題は絡みません。

 さて、選挙事務所の神棚の件ですが、これは間違いなく、神様を祭る「神道」です。一方の必勝ダルマは、達磨大師であり、これは「仏教」です。今回は、キリスト教教会の十字架を背景に選挙をやりました。(後述)

 
4 事務所の神棚と必勝ダルマ V  第3回目の市議選(当選2回)

 事務所を、その回も自分が住む成瀬が丘町内に置きました。その時は、バスが通る通りの1軒屋で2階建ての建物でした。なお、新人のライバル陣営が成瀬駅前のビルの1階に事務所を構えました。

 1階を応接と事務機能、2階を作業と会議の部屋としました。事務所としての感じがあまりに機能的に出来た建物であったため、1階には、選挙らしさを一掃しました。
 神棚は一切おかず、必勝ダルマも目立たなくしていました。事務所の外部と、片面には子どもの絵を部屋中に配置しました。

 その必勝ダルマは、後援者の幹部の皆さんのカンパで準備されました。ありがたいことです。1週間の戦いを終え、今回も両目を描くことに至りました。

 その必勝ダルマは、次のように、お不動様に収めさせていただきました。
◎(02/02/09) アルバムに「麻生不動院 納めのだるま市」写真を掲載
http://j-expert.com/004doc/sya/2002/01/01-28%20008.html
 私設秘書の井筒さんが、活躍してくれていました。
 
5 事務所の神棚と必勝ダルマ W
  
 第4回目の市議選(当選3回)ーー直近選挙の事務所でした。

 くれぐれもお間違いないように!
 町田市議会議員選挙は、統一地方選挙でなく、既に一年前に選挙が終了しています。と言うか、3年後が改選です!としましょう。

 さて、この回の事務所は格別でした。成瀬駅の周辺には適当な事務所に出来る場所が無く、また通りにも一切空いた建物も見つかりませんでした。かといって、成瀬駅の反対側(実は、成瀬駅は成瀬が丘がある駅の南側と反対側の北口がより立派に出来ています)に持っていくのは、今まで地盤をしてきたことにそむく気がしました。
 
 そこで見つけたのは、地元成瀬が丘の住宅街のところでした。その事務所の建物は、以前にキリスト教会の建物でした。そこが空き家になって初めて知ったのですが、プロテスタント系?の教会でしたが、よそに越して行かれたのでした。

 改めて見ると、屋根の十字架は取り外されていました。恐く、その教会の人達が取り外して、新しいところに持っていかれたのでしょう。もとより、私はそうしたことに関して、教会の慣習を知り得ません。そこは、一般の住宅に比べると随分と大きな建物で、部屋数も多くて奥の2建ての部分は、牧師さん一家が居住する部屋として、利用されていた様子が覗えます。大きなオーブンを備えたキッチン、広めのバスルーム、電気は200ボルト電源を利用した器具類を用いた痕跡がありました。

 入り口は大きく、奥のほうには祭壇状の構造をしており、白壁には十字架の跡がくっきり残っていました。そこには、タペストリーを飾り、そこが教会であることの雰囲気を薄らげさせました。よく観察すると、入り口から、裁断にはバージンロードが形成されていることも確認できました。

 そうした構造ですので、とても、神棚を設置するような雰囲気でないことだけは間違いないことでした。しかし、必勝ダルマは立派に飾りました。今回も、後援者の方々がご用意いただきました。合わせて、元インターン生の服部高宏さんが、自分の小遣いで買ってきて来てくれた「ミニダルマ」をこよなく気に入ってしまいました。選挙の出陣式に、そのミニダルマが配置されていないことに気づき、あわてたのが思い出されます。

 おかげで、今回も無事当選(当選3回)できました。開票では、大勢の人で、その目を描いてくれました。