渋谷軍治前議員訃報と、その葬儀
(03/10/10)


<見だし>
渋谷軍治前議員訃報 10/07-09:04
渋谷軍冶前議員詳報 10/07-15:16
お通夜は、長蛇の列 10/08-01:06
渋谷軍冶前議員出棺 10/08-19:36
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<渋谷軍治前議員訃報>

 前期(2002年3月)まで町田市議会議員で活躍された、元議長の渋谷軍治氏(自由民主党町田支部幹事長)が、去る6日に急逝された。

 まだ69歳であり、昨年に議員生活は引退されたが、その後自民党町田支部の幹事長を務められ、直近の会議にも出席されていたこともあり、関係者にとっては驚きをもって受け止められています。まことに残念なことであり、ご冥福をお祈り申し上げます。

 お通夜は、10月7日(火)午後6時より
 告別式は、10月8火(水)午後0時より
 いずれも、町田市森野2‐9‐6 妙延寺にて行われます。
 喪主は、喪主は妻の渋谷 松子様 となっています。

 なお、吉田は、両日ともお参りの予定です。

渋谷軍冶前議員詳報

 去る2,003年10月6日に急逝された、渋谷軍治前議員(元議長)は、当選6期(24年間)の議員活動をされ、昨年の改選で引退されたばかりです。

 選挙では、一貫して自由民主党の公認で立候補されるという、党では青年部以来の活動家で、最後の自由民主党町田支部幹事長職を現職で務められていました。特に、その選挙暦では、自由民主党が国政で野党に転落した当時も、自由民主党公認で立候補されたのが印象的でした。(私も、その際、数少ない自由民主党の公認で立候補し、下位で初当選を果たすことが出来ました)

 そうしたあらゆる意味で、わが自由民主党にその生涯を捧げられた地域活動家と申せましょう。特に、議員を引退後まで、党の総支部で重責を担われたことが特徴的でした。

 議会では、初当選以降、2期目で総務委員長(現在の企画総務委員長)、3期目で自由民主党会派幹事長を歴任し、第18代議長職を務められました。全て、そのそれぞれの任期の2年間をフルに全うされたとのことでした。

 本来であれば、議員活動を退き、ゆったりとした家庭の生活を生活を送れたものを、政党活動に恩返しの活動をなさっていました。

 ご冥福をお祈りいたします。

お通夜は、長蛇の列

お通夜は、長蛇の列でした。しかし、私は比較的に早い時間に到着したので、前列のほうに並びました。

 渋谷軍治前議員の高校の同級生では、中里猪一前議員(前議長ーー昨年引退)が参列されていました。その中里前議員は、明日、弔辞を述べられるようです。

 また、同じ時期に引退された押田正前議員、志村賢三前議員などを早い時間でお見かけしました。同じく、熊沢洋全議員(自民党町田支部総務会長)も早い時間からお悔やみにこられていました。党支部で、この時期に同じ三役を担ってこられてきた関係です。

 さらに、私の同期の井上勉前議員(市長選挙に立候補し、惜敗)も私の数列後ろで見かけました。

 そのほか、私が議員になる以前の元議員の方々もお見かけした。

 こうやって見ると、昨年の改選が、はるか昔のことのように思えてきました。

渋谷軍冶前議員出棺

 本日は渋谷軍冶前議員(元議長)の告別式が、正午から行われました。お通夜ほどはありませんが、今日も大勢の人々が故人をしのんで告別式に参列しました。

 弔辞を述べる役は、中里猪一前議員(前議長)でした。厳粛な雰囲気の中で、高校の同窓生、議員としての先輩・後輩の関係を含めて、その思い出を語られ、まさに「適役」でした。

 渋谷軍冶前議員は、町田市ではおなじみの消防団以外に、「青年団」、自民党青年部の活動に励まれ、そうした活動が基盤に、市議会にデビューされたという光景が、目に浮かんできました。

 議員を引退して、わずかに1年半。その後もすぐに、自民党町田総支部幹事長職と務められました。個人のレベルでいうと、奥さんへのお返しが少なかったことのみが、心残りであったでしょう。

 渋谷軍冶前議員(元議長)は、日ごろからおしゃれな人で、日ごろから立派なスーツを身にまとい、車は大型のBMWを乗りこなす人物でした。

 なにより議会の日程を優先するのは当然のこととして、党の予定等も絶対に優先させる人物でもありました。最近の議員のタイプとは、異なってそのあたりのことが大変クラッシックでした。

 私にとっては、検査入院の際に、私の著作を購入してお読みいただいていたことが、最後の思い出となりました。

 どうぞ、ご冥福をお祈り申し上げます。


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