2003年統一地方選挙、選挙戦最終日の取り組み
(03/05/19) 

 選挙運動の最終日、相撲や興行でいう、「千秋楽」というものです。基本的には、本人が選挙区中をまわるか、もっとも最も地盤とするところをめぐるか、それはその陣営によって異なることです。
 選挙運動の締めくくり方法もそれぞれで、街頭の「最終演説会」で終了する場合。「マイク収め」と称する陣営もあります。もしくは、「打ち上げ」と称する候補もいます。
 上記以外では、選挙事務所を中心に故障するものもあり、「出陣式」に対して、「帰陣式」を行う陣営もあります。比較的に、古典的な名称です。
 最近では、選挙事務所の本体がマイクをしまった後も、候補者本人が駅頭などに立つ方法を取る陣営も目立ちます。
 変わったところでは、最終日、午後8時以降に、「個人演説会」を設定する候補者もありました。もちろん、公職選挙法では認めた活動です。

見出し

選挙戦の最終日
選挙戦の最終日遊説
選挙戦の最終日遊説 2 
選挙戦の最終日遊説 3
出陣式と第一声 - 吉田 つとむ
マイク収めか、帰陣式で収束 1
マイク収めか、帰陣式で収束 2
選挙戦は、午後の12時まで 1
選挙戦は、午後の12時まで 2

選挙戦の最終日

 選挙戦の最終日、候補者にとっては最後の訴えをすることになります。よく、宣伝カーで「最後のお訴え(お願い)にやって参りました。よろしくお願いいたします」と言う言葉を聞くことがあります。

 私は、連日統一地方選候補者の応援に出向いていますが、その場所については、インターン生の石田寛和さんの書き込みの通りでした。

 候補者の遊説の締めくくりについてはいろいろの方式があります。最終日、若干のレポートをお送りしましょう。

選挙戦の最終日遊説

<この記事は、すでに選挙戦が終了した時点で書いています>

 最終日は、インターン生の石田寛和さんを同行して、各候補者の事務所周りを行いました。

 その現職候補者は選挙カーから降りて、運動員が変わって乗っていました。結果的に候補者に合えませんでした。運動員の皆さんは、一生懸命に頑張っていました。事務所の立ち寄った選挙カーを、私も拍手で送り出しました。

 次に訪問した新人候補者の事務所では、ほとんどの人が出払っていました。候補者の奥さんの友人ら数人が、その事務所を守っていました。(留守番をしていたわけですが、結構しっかりした対応でした)

 そこで、候補者が乗った遊説カーを追いかけ、最後の商店街「桃太郎」に合流することにしました。この候補が、私の宣伝カーを貸し出し、選挙カーとしている候補の陣営でした。

 一同、部隊がそろい、商店街を練り歩きました。当初の比べ、挨拶する候補者の声が力強くなっており、頼もしく思えてきました。

 奥さんが時折、候補者に代わって候補者紹介をして回りました。5歳のお子さんも含めた、3人のお子さんも一緒に歩きました。上の小学生の二人の女の子は、実にしっかりしていました。この時期が、尋常でないことを理解しているようです。

 私を紹介した秘書さんや、その奥さん、そしてその子どもさんも加わってきました。本人の友人らも一緒になっての、「桃太郎」でしたが、めだかの学校風でもありましたが、それもすがすがしいものを持っていたようです。

 気温も上がった、4月26日の午後、選挙の「桃太郎」にはかなり暑くなる天候でした。ですが、その桃太郎部隊の参加者は、元気に予定コースを歩きとおしました。

 最後は商店街の入り口で、本人のミニ演説を行いました。私も応援の言葉を添えることになりました。相変わらず、うまく話せないのが吉田つとむの特徴です。私は、その場で遊説部隊を見送り、次の候補者の所に向かいました。なお、この候補者は、最後は「帰陣式」(後述)をやることになっていますが、それを見ることはできませんでした。

選挙戦の最終日遊説 2 

<この記事は、すでに選挙戦が終了した時点で書いています>

 続いて、また別の地域に出向きました。事務所を訪問しましたが、ひっそりしていました。

 前回訪問したときもご本人と会い出せませんでしたので、できることなら、ご本人と会いだそうと考え、バスで遊説予定コースを追いかけました。

 候補者の最後の街頭演説が計画された場所に到着しました。スーパーマーケットの前で行われましたが、決して応援者が多く集まっているとは思えませんでした。本人は熱心に演説をされていましたが、その地域は団地のためか、買い物の人たちは、通り過ぎるばかりのように見えました。

 私は道路を挟んだ側に位置して、演説に拍手を送りました。

 私をその候補者を見送った後は、また別の地区に出向く予定をしていましたので、またバスに乗ることにしました。

 そのバスを待った入る時間に、その周辺に大勢の人だかりがしました。次の候補者(他の陣営)が、その場所で街頭演説を行うようです。200人ばかりの人が、いっせいに集まりました。車を通り過ぎるたびに、ウウイス嬢らが一斉に頭を90度下げる姿がそろっています。滅多にそうした陣営の街頭演説会に遭遇することはありませんでしたが、その見事なまでの統一性は、私たちには持ち合わせないスタイルでした。

 この党の陣営では、こうした見事なまでの統一性で、得票まで同水準にそろえることができるのでしょう。私には、こうした事象が理解できないことがらです。

*(追記)
 1998年の市議選の際、民主党の官直人代表が、民主党候補の応援においでになっていました。主に、私の町内に来て、その候補者の応援を駅前でされたのですが、吉田つとむ陣営の運動員も幾人も見に行った人がありました。
 そうした人気者が応援に来られると、その反対陣営(つまり、そのときは吉田陣営ですが、)は、かなり浮ついた状況になり、芳しくありません。候補者本人にしてみれば、ただただ台風の過ぎ行くときを待つ心境です。
 
選挙戦の最終日遊説 3

<この記事は、すでに選挙戦が終了した時点で書いています>

 最後に訪れたのは、大人口の自治体でした。3,000票前後が当選ラインになっています。

 そのために候補者数も多く、さらに首長選挙などの候補者や、確認団体の車両も町中を走り回っています。

 とにかく、自転車の遊説が多く、車の前後に無数の自転車が見え隠れしています。

 さて、その候補者の遊説光景です。駅頭の最後の演説を終えて、宣伝カーの前を徒歩で歩き、事務所に向けた最後の遊説コースに入りました。候補者が、人通りの多い街路の左右になじみの顔を見せると、両側の商店街のお店の中から、幾人もの人が手を振りました。中には、お店の中からわざわざ出てくる人もあります。こうした大都会では、極めて珍しいことです。それだけ、候補者の人気の高さを示しています。

 最後の街頭演説が、通りの事務所前で行われました。車の通りも多いのですが、選挙の最終日と言うことで、少々の渋滞があっても皆さんが我慢してくれていたようです。話の内容は、(駅頭の演説で行っていたためでしょうか、政策を展開する分が少なく、)近隣の人たちへの気遣いが大半でした。常設の事務所ですが、選挙中に特に迷惑をかけたことへのお詫びと、それによって無事選挙戦が行えたことが報告の主体でした。

 街頭では、最後の投票依頼を持って、マイクを収める事になりました。

 宣伝カーなどを駐車場に配置し、事務所に遊説運動員と事務所スタッフが集合しました。候補者が選挙戦の御礼を述べ、責任者が候補者は、この後は候補者はマイクを使わず、12時まで駅頭に立ち続けることを宣言し、その選挙戦の運動の締めくくりなりました。

 今回、こうしたタイプの候補者を幾人も見かけました。街頭などの演説では通行人だけを対象に話しかけ、事務所にもそれほど人が集まることが無い、つまり、動員型選挙が主力でない選挙戦が都心部で一層多くなってきました。さらに、結果として、そうした候補者が結構、よい成績を示しているのも特徴です。

 私は、事務所を辞し、最寄り駅に向かいましたが、既にその時間には、その候補者が駅の出入り口にたっていました。翌日の選挙で、この候補者は、第2位という成績で再選を果たしました。

出陣式と第一声(参考)

 選挙のスタートは、出陣式か、宣伝カーの第一声となります。そのいずれに重点を置くかは、それぞれの陣営でやり方が異なります。

 後援会型の選挙では、事務所前で出陣式を行うのが通常です。そのため、届け出た宣伝カーがまず事務所に戻り、そこで運動員の全員が集合すると言うスタイルです。

 この方法では、大勢の来賓が顔をそろえる形が通常です。そうした場では、その皆さんの顔を立てて、来賓に応援演説をお願いしますが、その際に来賓は長々と演説をすることもあります。選対本部役員が、「しまった」と思ってもなかなか手が下させません。後は成り行きに任せるか、ばっさり時間を切っていくことです。

 選挙運動のスタート方法では、第一声を優先する方法もあります。これは駅頭や、ショッピングセンターやモールなど、あるいは団地などの広場などで、運動員と後援者、そして通行人を巻き込んで、選挙のスタートを行う形式です。国会議員や首長クラスの選挙では、一般にこの方法が優先されます。有利に選挙戦を進めるために、地元の有力者が挨拶に立つことがあります。

 どちらの方法が、相応しいか、一概には言えないし、判断できません。

 また、そうした遊説に対して、一部の運動員の皆さんは、公営掲示場のポスター貼りが終了せずに、その時間帯に戻ってこれないと言うこともあります。選対本部の役員が、それに対して、後ほど丁重にねぎらいの言葉を投げます。

 こうしたことを順調進めることができるかどうか、選対本部長、事務長の力量にかかっています。しかし、最終的には、候補者とその家族の人徳に尽きると称されるのが、一般の見解です。

マイク収めか、帰陣式で収束 1

 選挙運動の締めくくりには、「マイク収め」か、「帰陣式」を行います。

 選挙運動のスタートを、「出陣式」か、「宣伝カーによる候補者の第一声」のどちらに重点を置いたかで、その収束方法も異なるところです。

 そのいづれの場合も、責任者が指揮をとり、司会者がその次第にそって進行していきます。(滑稽なものには、候補者がその全てを行っている例もありますが、選挙戦の結果とはまた別物です。そうしたことで、選挙の当落に影響する大事とは断定できません)

 さて、選挙遊説を「マイク収め」で収束する方法では、運動員を主体とするのでなく、駅頭や街路において、あくまで一般通行人が見込まれ、しかもその儀式の最中に、その人たちが相当数立ち止まることを前提にしたスタイルになっています。反面、通行人からまったく相手にされないような、マイク収めは自己満足の世界の話であり、集票効果を保たないと思われます。

 午後8時の街頭での演説時間終了に合わせて、マイクのスイッチを切ります。さらに、こだわりを持つ候補者は、そのマイクを箱にしまって、「マイク収め」としていますが、政治家が山口百恵さんのような感動を呼ぶことは期待できません。

マイク収めか、帰陣式で収束 2

 選挙運動の締めくくりの方法で、「マイク収め」を説明しましが、次は「帰陣式」の話を行います。

 この方法は、(全域の遊説や、駅頭などの最終演説会を終えて、)宣伝カーが遊説から事務所に戻ってきたさいに行うものです。午後の8時以降に、事務所内で行うものもありますが、通常、事務所の前で、近隣の皆さんにお世話になったことの感謝も、その帰陣式の中で、マイクを通じて行うものです。

 その選挙戦で、特に事務所の皆さんには、車両などの駐車や人の出入りで迷惑をかけたことにお詫びをマイクで行います。また、そうした経過で選挙戦が、十分に戦えたことに感謝の御礼を述べることも、最終番の欠かせない行為です。

 選対本部長が、まず運動員に感謝を延べ述べ、近隣の皆さんに、ご迷惑のおわびとあたったかく見守っていただいたことの感謝をマイクを述べます。次に、事務長が選挙戦の経過を述べ、この選挙戦が勝利につながることの信念を明らかにします。 

 最後に、候補者が全員に感謝をし、最終遊説の報告を行います。最後に、投票への期待を示して、8時を迎えます。

 午後の8時の時間、候補者本人がマイクを持っていることが、一般的には多くなります。

 陣営によっては、ウグイス嬢が最終をしめるケースもあります。

選挙戦は、午後の12時まで 1

 午後8時で遊説カーの予定を終えると、大半の陣営では事務所に戻り、選挙戦の片付けに入ります。

 つまり、選挙の開票に備えて、選挙速報版を掲示し、それを応援者が見物できる配置にする仕事が待っています。最も、こうした仕事を投票を終えた日曜日に行う事務所もあります。

 あるいは、投票日に、「選挙にいかれましたか」と言う電話かけをする陣営もありますが、大半は区切りを付ける意味で、選挙戦の最終日をもって終わりとします。

 選対本部長、事務長が運動員をねぎらい、候補者が皆さんの感謝を述べることで持って、終了するのが一般的な選挙陣営の最終日の姿です。

 その間、政治家「妻」は、選挙事務所の掃除をしているか、炊事場の片づけをしています。あるいは、電話の応対を続ける候補者「妻」もあります。

 状況や陣営によっては、候補者「妻」も皆さんへの感謝の挨拶をする場合もあります。つまり、候補者「妻」が選対の事務長役を果たしている陣営もあるということです。

選挙戦は、午後の12時まで 2

 マイクを使った選挙運動は午後の8時で終了しますが、それ以外は規制されていないと言うことで、候補者がタスキをかけて、午後の12時まで駅頭に立つケースが増えています。

 都心部や、郊外のターミナル駅ではその傾向が著しくなっています。

 私が、選挙戦の最終日を共にした候補者は、連日の午後12時まで駅頭に立ち、通勤者の帰宅を迎えました。2期目を迎えて変わらないその姿を貫きました。そうした手法を守り続けることが、支持を強めた結果につながったのでしょう。

 午後8時30分、私はその候補者の姿を駅頭の入り口で確認しました。自分自身は、それから、「電子投票の見学」のために、はるか宮城県白石市に向かいました。東京駅新幹線の最終は、午後9時30分ですので、ぐずぐずしてはおれませんでした。

 私は、地下鉄を乗り継ぎ、東京駅に到着。新幹線の入り口まで、その日同行していた「インターン生の石田寛和さん」が、その見送りをしました。

 私は、東北新幹線の蔵王白石駅を目指して、その最終列車に飛び乗りました。ぎりぎり、セーフでした。5分も遅れると間に合わない時間で行動しました。

 午後11時30分に新幹線が到着し、タクシーで予約したホテルに向かいました。ちょうど、部屋に入ったら、午前0時になっていました。さー、いよいよ、統一地方選挙の投票日を迎えました。7時間後には、選挙の投票が始まる時間でした。

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