2003年統一地方選挙、当落結果について
(03/05/19) 

見だし

統一地方選、当落結果
開票前の時間に私の依頼を引き受..
5期目の選挙、当選
新人の選挙、当選
ベテラン議員候補の選挙、当選
4期中堅の選挙、当選
3期中堅の選挙、明暗
事務所は自宅の3期生、2位当選
Re: 統一地方選、当落結果 - 中学3年生
議員の行動と意見の表明が仕事

統一地方選、当落結果

<統一地方選挙の結果について>

 もとより、ここで取り扱うのは、2003年に行われた統一地方選挙で、自分が係わり合う自治体の選挙のことに限定いたします。

 今回の統一地方選挙では、約30箇所の選挙に応援や、陣中見舞いに行きました。特に、その後半戦では、たくさんの選挙事務所を訪問しました。

 当選できた候補者もありますし、そうでない候補者もありました。最も気の毒なのは連続落選が4回と言う友人もありました。その友人は、未だ一回の当選もありません。

 市議から、県議に挑戦して落選した友人もありましたし、市議会3期目の選挙で落選した友人もありました。落胆の度合いも、一般には想像できないものがあります。

 また一方の当選者では、トップで当選した候補者もあり、最下位で当選した候補者もありました。また前回から、投票や順位を上げた候補者もあれば、逆にそれを下げた候補者もありました。

 市議に2度目の挑戦した候補者で当選した友人もあり、初挑戦で見事に当選した人もいました。その中には、直前までサラリーマンをしていて、当選できた候補者もありました。

 忘れてならないのは、市議→都道府県議挑戦して落選→市議にカンバックと言うケースです。

 知名度はできているとは言え、「何をいまさら」の声がある中で、自分をさらけ出した挑戦です。友人の2人がそうしたケースに挑戦しましたが、カンバックできました。

 一人は、市議→県知事挑戦して落選→市議のカンバックがなりました。今回の統一地方選挙では、まだまだ、多くのエピソードがあります。


開票前の時間に私の依頼を引き受ける

 私の後輩秘書は、区議会議員として2期目の選挙でした。阿部俊之元都議会議員の事務所で秘書を務めていましたが、阿部元都議の再選より先に、区議会議員に当選していました。

 その後輩は、現役の学生時代から秘書として政治の活動を続けてきましたが、上位当選した前回の順位をさらに伸ばして、第2位で当選しました。

 議会の活動は、日ごろからまじめにしているようで、提起する問題をきちんと実現している姿が、演説を通してうかがえます。

 また日常の活動も力強く、常設の事務所を置き、活発の広報活動を続けてきたようです。その常設事務所をそのまま選挙戦でも利用し、日常活動の延長で選挙戦を進めたようです。この4年間も定期的に街頭演説を行い、支持をさらに広げたのでしょう。

 私は、統一地方選挙の最終日、その選挙戦の打ち上げを確認し、電子投票が実施される宮城県白石市に向かいました。もとより、そうしたこともお互いに了解した上での行動です。

 現地にも、候補者本人から電話がありました。実際には、区議の開票は遅く、同時期の選挙の開票結果の連絡が先行しました。

 そのため、私は、自分が赴いている宮城県白石市の電子投票選挙の開票状況の記事を、私に代わって、吉田のHP掲示板に書き込んでくれるように頼みました。もとより、記事の名前は書き込んでもらうその議員(1期目の議員資格です)の名前で書き込みを依頼しました。

 後で見てみると、掲示板(通常)の2度の書き込みが、私の依頼時間のすぐ後に、実行されていました。私は、彼が自分の後輩秘書として、そうした依頼を気軽に頼みますし、彼の当選を信じていました。

 そうしたわれわれは、ともの阿部俊之元都議の門下生です。ご本人は議席を失っておられますが、われわれには共に、「師」の関係です。今回の選挙でも、ずっとその選挙戦を支えておられました。

5期目の選挙、当選

 私が町田市に来る以前からの知り合いの先輩議員の選挙に、何度か出向きました。

 たまたま時間の都合がよかったので、出陣式や個人演説会にも出ることができました。そこで見た姿は、後援会の体制は実に充実していまし、応援する人もそろっていました。

 当選はできましたが、選挙の順位は伸ばせませんでした。最も前回が大きく得票が伸びた選挙でしたので、それが維持できなかったと言うことかも知れません。とにかく、私は他の陣営の状況が分かりませんので、そうしたことを比較をすることができません。

 しかし、ともかく当選ですし、「5期目」と言うことで議会でも中枢を担うことになるはずです。そうした議会の重責をこなして、地元の発展に貢献されることでしょう。若いときから議員をされているので、もっともっと議員活動を続けていかれることでしょう。

新人の選挙、当選

 今回、新人の市議会議員選挙では、5名の候補者の選挙事務所、それぞれの5箇所に出向きました。

<選挙カーを貸し出した候補者>
 そのうちの一人は、国政の政治家の秘書さんから、選挙カーの貸し出しを依頼されたことから、候補者との付き合いが始まりました。元来は、まったく「縁」が無かった間柄でした。

 私は事務所開きに出席し、個人演説会にも出席し、あるいは事務所激励に夫婦で出向きました。どんな人が車を使っているか、「妻」にも見せるためです。気立ての良い、しっかりしたその奥さんと、吉田妻も会話をする時間がありました。実際には、ちょっとした事件(事故)があり、現地ではあわただしい時間が過ぎたのでした。

 最終日は、桃太郎(徒歩遊説)にもお付き合いしました。当初、出会ったころ=1ヶ月前ころとは、まったく力強さが違って見えました。体重が減量でき、精悍になっていました。ひょっとしたら、善戦できるのではないか、そのようにも感じました。

 結果は、立派に当選を果たすことができました。
 私がこのように係わったのは、この候補者がサラリーマンの身で選挙に立候補を決意したという理由のためです。何か、自分の30歳代を見ているようでした。最も、私は4度も落選しましたが、・・・。

 自分の車を使って選挙が行われるのですから、できるだけの結果を残してもらいたいと考えていました。その経過を見届けたくなりました。この統一地方選挙で、「当選」と言う傾向をこの車に与えてくれました。

 まもなく、私の宣伝カーが、帰ってくるでしょう。

<2回目の挑戦で当選。携帯電話でたびたび会話>
 「東京ねっとわーく」と言うグループを、東京都内の地方議員・候補者で作っています。ここ数回は選挙の勉強会をやりました。そうしたところに、新人で立候補を予定していた人も加わりました。

 せっかくことですので、そこにも激励に行きました。ネット関係のことを主体に、いくつかの質問を受けました。本人の遊説中にも質問を受けましたが、これも乗りかかった船と言う気持ちで応対しました。

 現地には、何度も足を運べる場所でありませんでしたが、携帯電話で会話をするということは、私のとっては極めて珍しいことです。

 私は、本人の「安心係り」と言う関係であったでしょう。これもまた、自分が選挙の経験を重ね、他の候補者の支えになることも出てきたのでしょう。

<都議との関係で、縁ができた区議候補者の激励>
 決して、十分な体制といえない事務所を作っていました。ビルの脇にベニヤ板で区切ったような事務所を利用する候補者、おそらくそこは駐車場だろうと思います。本人とは会わずに次の候補者のところに向かいました。

 後は、閉店したラーメン屋さんをそのまま利用した形の事務所で選挙戦をやっていた候補者もありました。その候補者本人が遊説から戻ってこられると言うので、しばらく待っていました。遠方と言うことで、激励を大変喜んでいただきました。

 あと1ヶ所、激励に訪れた新人候補者の事務所では、応援中の地元代議士と出会いました。先方も私の顔を知っておられるので、一緒に食事をするように奨められました。せっかくの機会と思い、カレーライスを美味しく頂きました。その代わりに、東京中の情勢を次々と説明しました。その後の日程もあり、挨拶して近場のバス停に向かいました。

 なお、これらの5名の新人は、全員が当選を果たしました。決して、上位といえない、むしろ下位当選の候補者が大半でした。しかし、「落選」と言うこととは、天地の開きを生じる「初当選」と言う栄光に輝きました。

ベテラン議員候補の選挙、当選

 5・6期目に達する当選。こうしたベテラン議員の選挙は、毎回が新しい勝負となるようです。何時、地元近辺に新人候補者が出てくるか分かりません。少しでも気を抜くと、あっと言う間に新人が登場してきます。

 昨年行われた町田市の選挙では、幾人ものベテラン議員が引退しました。議員定数の3分の1が、新人議員となりました。そうした皆さんは、決して、「年」とはいえない年齢での引退でした。

 話を戻しましょう。
 私が事務所に訪問した ベテラン議員は、議会の要職も既に経験し、住民にも人望が深い人たちでした。特徴としては、毎回の選挙で工夫を凝らし、新しい試みを行ってきていました。こうした候補者に特徴的なのは、議会の報告をきちんと行っていると言うことです。

 やはり、議員にとって、賞味期限が過ぎないように、自己変革を遂げていくことが重要と思われます。

4期中堅の選挙、当選

 区部の自民党では、この当選回数前後で会派の幹事長に就任する議員が目立つのでしょうか?

 私の友人の中で、4期生を目指した40歳台の議員は決して楽な選挙ができなかったようです。もとより、選挙に楽な場合は決してないのでしょうが、この期を目指すころは議会の職務で忙しい時期にあたるのでしょう。

 後援者もメンバーが定着(固定化)し、定型的な選挙運動が行われていました。後援会のメンバー数、その組織性からすると、もっと、得票が出てよいはずですが、選挙の結果は予想していたほどの伸びが出ずというのが、選挙対策本部の結論でしょう。

 時として、新人に追われる選挙になったのでしょう。さて、議会の役取りでは、頑張ってください。

3期中堅の選挙、明暗

 私は、当選3回。統一地方選挙の1年前に選挙があるということで、統一地方選組の議員とでは、時期的にちっとだけ先輩になります。

 友人の中で、この3期目挑戦組みは、明暗を分けました。今回訪問した全部の候補者中で、只一人のトップ当選者がいました。選挙戦は特徴があり、事務所は告示日にオープンすると言うものです。選挙に必要な道具や、印刷物は全て時間をかけても自前でやってしまうと言う芸当でした。私には、全面的には真似が出来無いことだと思いました。

 その議員は、日ごろの後援会行事もやらず、冠婚葬祭には出席していないようです。しかし、広報活動はしっかりこなしていました。

 東京以外の神奈川県では、友人で一人が落選しました。しかも、大敗といっても決して過言ではない得票でした。客観的なことでは、年齢が少々上の方では無いかと言うくらいが懸念材料と言う程度でした。

 後援会は行事を行っても、前回を上回る人数を集めていました。前回に比べて、少しだけ後援会メンバーの年齢が上昇しただけのように見えました。聞いてみると、つけ加えるべき課題が出てきました。しかし、それを私が解消できるものではありません。

 選挙後、選対の解散式がありました。これから、後援会はどうなっていくのか、それは本人が取り組まれる課題です。しばらくは、じっくり選挙を振り返ることが必要でしょう。

 他の3期目挑戦の議員は、真ん中より下の成績でした。決して、安閑としておれない順位でした。ともあれ、一人を除いて当選でした。

事務所は自宅の3期生、2位当選

 選挙の前日になっても看板の見えず、前回に続いて今回も小さな自宅を事務所にして、選挙戦を行った候補者がいました。

 遊説の方は、いろいろ国会議員などが応援に駆けつけるようですが、個人演説会を開く様子も無く、基本的にはこの4年間の評価を求めようと言う選挙になっています。

 遊説の車も極端に小さく、ドライバーを含めて2名の乗車しか不可能でした。つまり、自分が乗るときは自分だけ、応援者が乗るときは自分が運転するか、ドライバーと応援弁士でまわってもらう構想です。

 その運動形態は、見事なまでにすっきりしていました。

Re: 統一地方選、当落結果 - 中学3年生

 以下は、上記のタイトルとハンドルネームで、2003/04/30(Wed) 14:27 、私のHP掲示板にあった書きこみの要旨です。
書きこみの内容上、無断引用としないために要旨としました。

1 選挙って大変なんだと皆感心した
2 吉田は30か所も応援に行ってるそうだが、町田市の議員の仕事は休んでいるのか?
3 生徒会の選挙では、昼休みと放課後に運動する

議員の行動と意見の表明が仕事

 議員の仕事がどのようなものか、それは別途に詳しく触れることにします。とりあえず簡略に答えましょう。
 
 先ず、議員と言うものは、議会に日勤するものではありません。
 その仕事と言うのは、議会の会議で議案や請願を審議して、それに対する自分の立場を表決の際に明かにすることが、第一の仕事です。
 次に、会議で質問をしたり、議案を提案することです。今後は、後者の役割が重要といわれています。

 そうした行動と意見を会議の場に出て、表明することが議員の仕事内容です。そのために、日ごろどのような行動を取るかは、一切自由なのが議員の仕事の特徴です。

 中学生は、社会に出てからの判断基準を勉強する場でしょうから、どうぞ十分に学校で勉強してください。

* 掲示板記事をスレッド単位でまとめました。