2003年統一地方選挙、選挙事務所の撤収
(03/05/20) 

見だし

選挙運動、事務所の撤収
落選した候補の事務所撤収
自分の落選体験記述
落選事務所の撤収、人を作る
 Re:艱難汝を玉にす - 塚本 清一
Re^2:艱難汝を玉にす
当選者の場合、まず電話
選挙事務所が店舗になる


選挙運動、事務所の撤収

 選挙運動、事務所の撤収に関して、その状況を記してみましょう。

 その事務所が常設のものなら、日常活動に戻るだけですので、それほど大きな相違はありません。自宅を事務所にしている候補者も同様です。

 ですが、事務所を借り入れる場合は、今までのものをすべて整理する必要があります。

 そうした意味では、あまりその事務所の開設期間が長くなるのは、相応しくないかも知れません。ましてや、現職の議員であるのなら、本来の活動で自己の評価を受けるべきであり、選挙運動で支持を増やそうと言うのは、正攻法とは言えない可能性もあります。

 合わせて、選挙運動、事務所の撤収はそれなりの大掛かりな事業です。その候補者が当選した場合は、それなりに問題が解消されますが、落選と言う事態を招いた場合は、特に困難性が伴います。

落選した候補の事務所撤収

 まず、選挙運動が終了すると、2-3日の間に、人の出入りが極端に少なくなります。特に、落選した候補者の事務所の場合は、その傾向が著しいものがあります。

 大半の後援者も、選挙までを前提に「休暇」、「空白日程」などを予定しており、選挙後に手伝いをしようと言う人はほとんどいません。

 借りていた事務所を返却すること、事務用品などを搬出すること、ごみの整理、室内の清掃など、数多くの仕事があります。中には、政党ポスターの撤去忘れのクレーム電話を受けた際のアクションや、各種の公共料金や後払いの品物の支払いも待っています。

 そうした行為を、ほとんど自分で遣り通すことになります。中には、夜逃げをする人も出てきます。

 そうしたことを経験すると、2度とやりたくなくなるはずですが、なぜか性懲りも無く、選挙に挑戦する人物が後を絶ちません。今回の選挙では、4回目の落選を体験した友人がありました。それなりに当選の展望もあったのですが、後から出てきた新人にその支持を持っていかれたのでしょう。この世界では、4年もたつと一挙に昔の話にされてしまいます。

自分の落選体験記述

 私の落選体験

(1)参議院比例代表選挙
 今の方法と違って、順位が確定した政党選挙でした。もとより、私自身がこの政党(サラリーマン新党)の創出にかかわっており、そのスタートに候補者としても登録していました。

 開票の日には、同じ事務所に当選者と落選者が入り混じっていました。片方では当選者にお目でとうの声が飛び交い、他方の側では残念がる人が付き添った落選候補者がありました。私の順位は、当選可能性が低かったため、その事態を冷静に見つめていました。
 その後の人間関係に大きな亀裂が生じてきました。

(2)昭和61年衆議院議員選挙 
 サラリーマン新党という政党の公認で立候補しました。27,000票近くを獲得しましたが、それでも供託金が没収されました。後、3,000票あれば、供託金は戻ってくる得票でした。再起を期して、それなりの活動を続けました。

(3)平成2年衆議院議員選挙
 そのころには、上記の政党は崩壊状況に近づいており、衆議院選挙をやる意思はないと表明されていました。私は、独自に立候補の準備を進め、無所属で立候補しました。さらに、得票を減らしました。泡沫候補と言われる人物が多数立候補しました。その中では、トップ得票でした。(あほうな話です)

(4)平成2年町田市議選挙
 その直後、町田市議選がありました。しぶとく、(一般の評価では、あつかましく)その選挙に立候補しました。次点と言う結果になりました。資金的にも、自己破産が相応しいような財政状況でした。世田谷区の阿部俊之都議会議員(当時)に救済され、その事務所で働くことになりました。私にとっては、地方議員の活動を、一から学び返す基盤になりました。
 約3年半、地方議員秘書として勉強を重ね、休みの日には地元出の活動を継続し、まさに臥薪嘗胆の思いで活動してきました。事務所の撤収では、悲惨の一言につきました。そうした中で、小学校時代(福岡県に住んでいた当時)の旧友が、あれこれ応援してくれたことが救いでした。
 様様の負債も背負ったのですが、「次点」と言う、選挙結果のポジションが、次期の選挙に向かわせる意欲を保持させました。

 そうした結果、平成6年の町田市議会選挙で当選できました。他の人は、もっとスムーズに当選を果たしているようです。

落選事務所の撤収、人を作る

 落選候補、激痛の毎日
(1)落選した身体の傷に、塩が塗りこまれる事態。

 「気の毒に」といわっれるのは、わずか数日のことです。そのうち、やっぱり、「あの人ではねー」の声を聞くようになります。事務所の撤収をもたもたしていると、「未練たらしい」の声も聞こえてきます。
 落選した身体の傷に、「塩」が塗りこまれる事態と言えましょう。考えようによっては、早く自分の考えを見定めることにつながりますし、臥薪嘗胆の心をはぐくむことにもつながります。
 落選したあとの慰めの言葉は、「何の足しにもならない」という開き直りが、次の選挙での前進につながります。

(2)事務所の撤収
 電気類は、そそくさと消したくなります。
 とにかく、人出が少ない中での片付けですので、手順が進みませんし、大道具類のものなど、なぜそうしたものを搬入したのか、自分でも不思議なものを事務所に入れ込んでいます。
 そのまま、そこでフリーマーケットにして、格安で販売したくらいの状況です。

 時間に余裕があれば、借り物を返して回るのも一つの方法です。お世話になった御礼も、その場を借りていえます。

 いや、そうした時こそ、人情が知れるというものです。

(3)落選は、人を育てる
 月並みですが、落選によって、自分がどのような人を頼りとすべきか、どんな点に気をはらうべきか、人を見る目ができてきます。けっては、猜疑心が強まることがあります。 

 Re:艱難汝を玉にす - 塚本 清一
 
吉田つとむの、転んでもただでは起きない、したたかさはこのような
辛酸の日々に鍛えられたものと理解します。
受験に失敗した学生さんにも共通することですね。
「艱難汝を玉にす」。
このような苦労をした人とそうでない人は、人の失敗により自分が
迷惑を受けた、そのときにどの様な態度で臨むかで、すぐにわかり
ます。 

 Re^2:艱難汝を玉にす- 吉田 つとむ

 良い言葉を選んでいただきました。
 インターン生の石田寛和君には、古典の味わいが伝わっていくことでしょう。

 今回、都議選に挑戦したが敗退し、その後再度、市議・区議にカンバックすることができた友人の将来にも注目していきたいと思っています。

 前回落選し、今回初当選した、候補者もありました。
 自分が落選を重ねたためか、どうしてもこうした人物が気にかかります。

当選者の場合、まず電話

 選挙のお礼はしてはいけない、言ってはならない。
 しかし、現実にはその法の精神を守っていると、「あの人は当選したのに、お礼も言わない」と陰口をたたかれます。

 では、それぞれの候補者は、どのような行動を取っているのでしょうか。
 一つの考えは、選挙関係者に事務連絡をしていると言うことでしょう。これは、法的に問題ないことです。しかし、数百人、あるいはそれ以上となると、「事務連絡」とはいえない人数になるかも知れません。
 そうした方法以外では、選挙で当選して、「かくかくしかじかの段階に入っている。これはあなたのおかげです」と、報告する人もあるようです。あるいは、早速、議会日程を報告することは議員として、必要は議員活動だという認識でその活動に入っている当選者もいました。本来は、当選者が顔を合わせてその日程を決めるのですが、仮の日程で先まで予定しているスケジュールがあります。そうしたことを案内するのは、これからの政治家ではありうることでしょう。

選挙事務所が店舗になる

 選挙の当選という経過で、その事務所に使用していた場所が、店舗や会社の事務所になることがあります。
 今回の選挙でも、しばらく空き店舗や空きビルだったところを選挙事務所にしたところがありました。そうして、その事務所を使った候補者が当選すると、その場所を店舗や会社の事務所にしようと言う人も出てきます。
 商売人や経営者にとって、「運」をタイミングよく掴み取ろうと人たちが現れてくることがあります。
 私の場合も、2度もそうした経過になっています。初当選の時の事務所は、ビルの2階の空いた部屋でしたが、窓が外向きで美容室になり、今日までしっかり営業が続いています。そこは、10年ほど空いた部屋でした。
 3度目当選(昨年)の場合は、元の教会から、カイロプラティクの店と会社事務所に変貌しています。そこも、5年ほど空いた場所でした。

 このように、選挙の当選者は、ハッピーを運んでくれる可能性を持っています。