遠藤 実氏の講演を聞いた感動

<記事>
一流の講演と、普通の政治家挨拶 - 吉田 つとむ 01/30-00:28 No.3899
文化功労者受賞の遠藤実氏 - 吉田 つとむ 01/30-00:38 No.3900
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一流の講演と、普通の政治家挨拶 - 吉田 つとむ 01/30-00:28 No.3899

 地元の伊藤公介代議士の新年行事がありました。
 政治家の挨拶と「講演」という決まりきった第1部と、懇親会がありました。
 私が入場した時には、既に政治家の挨拶が始まっており、毎回のパターンで進行しました。こう言ってしまうと、自分は一度壇上で紹介されて、頭を下げる役なので失礼かと思うが、客観的な描写です。

 伊藤代議士のいつものような流暢な挨拶が挨拶の締めくくりでした。あわせて、参議院関係の方もきておられました。

 最期の講演は、作曲家の遠藤実氏でした。文化功労者を受賞されたとのことでしたが、作曲と言う分野での1人者ですが、やはりその道を極め他人の話は聞かせるものがあります。

 その日の講演は、「歌は人生を支える」と言うタイトルでした。遠藤実氏が、自分の人生と人生観を話されました。

 遠藤実さんは、中学にはいけず、高等小学校卒だとのことでした。父と兄が病気で、母は遠藤さんが一家の支えとして働いてくれることを希望したそうです。本人は何度も「中学に行かしてくれ」と母に懇願したそうですが、「ごめんね」と言いながら、ただ遠藤さんに謝るばかりであったそうです。その日以来、遠藤さんは、中学に行きたいという話を止したとのことでした。

 紡績関係の仕事についたのですが、歌が上手でそ、の仕事につきたい気持ちでいっぱい出会ったそうです。そのうち、旅回りの楽団の1千人歌手となったそうですが、実際には荷物運びの役目が半分であったようです。生活も非常に厳しく、背広の調達もままならなかったようでした。

 地元の小学校の公演では、背広を調達するために、唯一の親の着物と兄弟の学生ズボン(半ズボンをたし合わせて)で、1着の背広としたそうです。また、その公演では地元の著名人の祝儀がよせられて喜んでいると、中身がまったく入っていない空封筒で、腹が立って破り捨て様としたが、よくその字を見ると、それは父親が書いた文字であったそうで。

 父が、遠藤さんの舞台を盛り上げるために打った芝居であったとのことでした。

 各地に演奏会に出かけたとのことですが、非常に厳しい生活であったそうでした。

 そうした時の思いが、舟木一夫の「高校三年生」や、千昌夫の「星影のワルツ」につながったとのことでした。

 まだ、この話は続くのですが、この遠藤実氏の話を聞かず、挨拶だけで帰った人がありました。本来、その日は、「遠藤実氏」講演が主目的に書いてありました。忙しいのは理解できますが、こうした一流の人の話を聞かずに、政治家の挨拶のみで帰った人は気の毒でした。こうした方の話をじっくり聞ける機会はなかなか無いものです。

 800人以上の人が、その遠藤実氏の講演を黙々と聞いていました。私も、良い機会を得さしていただきました。

 懇親会場は、別フロアーにありましたが、私はざわつく会場内には入らず、ロビーで数人の方と話しただけで、失礼しました。

文化功労者受賞の遠藤実氏 - 吉田 つとむ 01/30-00:38 No.3900

 文化功労者受賞の際、皇后様が「作曲の仕事は、ピアノから入られたのですか」とお聞きになったそうですが、遠藤実氏は、「いえ、寂しさ癒すためにギターを引いていたのが、その道に入るきっかけになりました」と皇后様にお返事されたとのことでした。

 その他、印象的ないくつかの話と、ご自身の考えも若干ですが披露されましたが、私が記したいことは、上記の通りです。

 こうした話を聞かず、この日の政治家挨拶だけで帰った人や、懇親会のみの参加者の心境は、少なくとも私には知れません。この遠藤実氏の話にこそ、お金を払う勝ちがあると思っています。
(注:タイトルが遠藤実氏の名前が違っていましたので、訂正しました。2月2日)

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