民主党について(安藤さんに答えて)
 
<見だし>
民主党について - 安藤 04/19-19:10 No.4210
民主党についての感想について - 吉田 つとむ 04/20-18:06 No.4218
サラリーマン新党の挫折 - 吉田つとむ 04/23-19:32 No.4234
マドンナブームの影で、サラリー.. - 吉田つとむ 04/24-02:00 No.4236
日本新党の誕生と、政権交代 - 吉田つとむ 04/24-02:15 No.4237
羽田孜内閣はあっさり総辞職 - 吉田つとむ 04/24-08:58 No.4239
村山「自社さ」政権の発足 - 吉田つとむ 04/24-09:06 No.4240
政権を支えると言う背景の勢力、.. - 吉田つとむ 04/24-09:25 No.4241
穏健な権力委譲とドラスティック.. - 吉田つとむ 04/24-10:05 No.4242
ドラスティックな移り変わり - 吉田つとむ 04/24-10:45 No.4243
安藤さんへの答え 1 - 吉田つとむ 04/24-21:47 No.4244
国政補選は、自民3勝 - 吉田つとむ 04/25-23:24 No.4250
責任を取って、早めの党首交代が.. - 吉田つとむ 04/28-21:19 No.4261
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投稿時間:2004/04/19(Mon) 19:10
投稿者名:安藤
Eメール:
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タイトル:民主党について

提示板初登場です、よろしくお願いします。
 そして、初めて話題にしたいのは民主党についてです。どうも歯がゆいんですよね自民党の吉田さんに言うのはおかしいけど(笑い)潜在的には無党派層の僕としては、やはり応援をしたいんです。だけど・・・・歯がゆいんですよね。
 更に地方議会の様子をみてると、まとまってるだけで何も無いなと。

 吉田さんは、今の民主党についてどういう印象をお持ちですか?


投稿時間:2004/04/20(Tue) 18:06
投稿者名:吉田 つとむ
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URL :http://j-expert.com/
タイトル:民主党についての感想について

● 吉田
 安藤さん レスが遅くなりました。

 しかし、改めて、「民主党」について、私がどのように印象を持つかといえば、それをどのような視点で記すのが適当なのでしょうか。

 ご承知のように、私は自民党員であり、自民党が苦難な状況で、その公認を名乗って登場してきた人物です。今日、党内ではたまたま無役ですが、町田市議会の中では、その本流たる自由民主党会派の幹事長に就任しています。それも異論があってなったものでなく、ごく自然にそのポジションに就きました。

 され、民主党に関する感想ですが、私が、わが党の幹部が主張するような見地で批判を書いても意味がないでしょう。また、安藤さんもそうしたことを求めらておられないでしょう。

 もちろん、メディア的な批判をしてもこれまた、ナンセンスなことでしょう。

 かといって、私が民主党の内在的なみたいな批判をしても、これまた不思議なことになります。

 では、どのような見地で、この文章を書き進めるべきか、安藤さんのこの課題での書き込みがあれば、より書き進みやすいのですがいかがでしょう。もし、書き込みが遅ければ、上記の続きとして、書き出します。とりあえず、時間が来たので、水入り。


投稿時間:2004/04/23(Fri) 19:32
投稿者名:吉田つとむ
Eメール:master@j-expert.com
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タイトル:サラリーマン新党の挫折

 その後、安藤さんからの書き込みがありませんので、少し横道に入りましょう。

 表題のサラリーマン新党というのは、昭和58年の参議院選挙に、旧全国区が廃止となり、拘束名簿式の比例代表制の選挙が導入されたときに出来た時、2名の当選者を出した政党でした。

 私はその政党を作る過程の段階には、メンバーの一員でした。また、選挙時にはその候補者の一人として、議員誕生後は公設の第一秘書、政党事務局員としての立場でいたので、選挙運動とその組織運営、政策立案にもかかわっていました。

 その長所、短所を身近に見てきました。

 さて、58年の選挙で、選挙前の段階ではサラリーマン新党の当選ラインは、<0±1>と言う数値でした。それが、選挙戦最終日の段階では1±1と言う読みがメディアの評価でした。結果は、230万票を獲得して、当選者2名が誕生しました。

 選挙では、自前の候補者が少なく、「公募」と言う方法も導入しましたが、その公募で複数の立候補が集まりました。2名の当選者は、法則名簿のため、事前に順位付けする名簿となり、党首と公募で立候補した候補者が1位と2位になり、それぞれ当選できました。もとより、他の人は落選でした。

 その後、組織的な問題は省くとして、元来の政策は、サラリーマンの不公平税制の廃止=源泉徴収制度の撤廃(確定申告をする)などを政策として掲げました。現実には、この制度はいまだ出来ていません。

 上記の考えは、直接税を削減させ、間接税でもって埋め合わせようという発想につながるものでした。

 ところが、そのサラリーマン新党の中では、この種の議論は検討されず、おおむねの立場で社会民主連合、社会党に追随する立場をとりました。そうした中で、平成2年の選挙では、社会党のマドンナブームに埋没し、短い政党史を終えました。

 サラリーマン新党は、「初心」もあいまいになりましたし、存在感も目立たない中で、党首を含めて、2期目の当選を果たした人はおらず、その役割を自ら廃棄することになりました。


投稿時間:2004/04/24(Sat) 02:00
投稿者名:吉田つとむ
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タイトル:マドンナブームの影で、サラリーマン新党消滅

 そのサラリーマン新党は、第1回目の選挙では、「給料日の怒りを国会へ!」と言うキャッチフレーズをその選挙で使いました。政党名もユニークでしたし、その候補者群も第1回目はユニークでした。

 いざ、議員が当選した。「さて次は、なに」に答えが用意されていませんでした。最初の源泉徴収制度の撤廃の課題は、いまだ政治課題となっていません。(なんと、この課題では、直近の自民党総裁選挙で、亀井静香さんがその政策に大書していました。ご存知の通り、その亀井さんは大敗でした)

 その課題はたとえ達成できなくとも、その他の課題で展望を出せればよかったのですが、種種の個別課題では社民連や社会党に追随する立場でしたので、その存在感が薄れて言ったものと思います。

 当時、「マニフェスト」の用語はありませんでしたが、あったとしたら、むしろより、その提唱した課題がどうなったか、問われていたでしょう。

 また、その現職議員が国民の前に目だって登場する機会もなかなか少なく、ましてやそれ以外の人物がメディアなどで、幅広く知られることはまったくありませんでした。むしろ、小さな組織内部の紛糾や、第2回目の選挙で候補者人選で、裁判などが発生してその不健全性が出てきました。

 最初の昭和58年には、2名当選。昭和61年には1名当選。平成元年では当選者ゼロとなりました。

 ちょうど、その過程を通じて、平成元年には、社会党のマドンナブームがあり、社会党は参議院選挙で、自民党を上回る支持を集めました。思い起こせば、土井党首の絶頂の時期でした。

 消費税導入反対の時期にあったのですが、現実にそれが浸透していく間に、その社会党は急速に没落過程をたどりました。今にして思えば、「山が動いた」とされる一瞬の出来事でした。(ちなみに、私はその時の平成2年の衆議院議員選挙で、無所属ー泡沫並みの選挙結果でした。まだ、衆議院議員選挙は中選挙区の時代でした。東京第11区は5名当選で、社会党は現職1名プラス新人1名とで、2名も当選しました。まさに、ベレー帽のマドンナ議員誕生でした)


投稿時間:2004/04/24(Sat) 02:15
投稿者名:吉田つとむ
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タイトル:日本新党の誕生と、政権交代

 その後、平成4年には細川さんが起こした日本新党が参議院の比例代表選挙で登場しました。現環境大臣の小池百合子衆議院議員が、この時に、イエローのスーツで街頭に颯爽と登場しました。

 また、その翌年の平成5年には、日本新党で当選した参議院議員の大半の議員が、次の衆議院選挙に打って出たことが、時よく新党ブームとなりました。あたかも、ちょうど、小沢一郎さんが自民党を割って出て新政党を作り、また、武村正義衆議院議員が、自民党を抜け、「新党さきがけ」を結成し、この3党が一大ブームを引き起こしました。
 結果、公明党、社会党などを含めた8党グループの連立がなり、自民党政権を覆し、新政権の誕生となりました。その細川政権は、新税構想であっけなく、政権を放棄しました。


投稿時間:2004/04/24(Sat) 08:58
投稿者名:吉田つとむ
Eメール:master@j-expert.com
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タイトル:羽田孜内閣はあっさり総辞職

 細川政権を継いだのは、羽田孜内閣です。選挙を経ずに、反自民の勢力で組閣したものですが、旧細川政権構成の党派の中で社会党(新党さきがけを含む)を除いて作られました。

 元来、少数内閣で構成されたものであり、本来は衆議院改選を目指して組閣するべき体制であるものが、その延命を目標にしたところに矛盾があります。つまり、いつでも内閣不信任決議が出される体制にありました。社会党勢力を排除するのがこの政権中枢の目的であったのに、閣外協力を求める点がアキレス腱となったわけです。

 この羽田孜内閣は、国会の解散を選択せず、内閣総辞職の選択肢を採用しましたが、わずか2ヶ月の短命政権となりました。


投稿時間:2004/04/24(Sat) 09:06
投稿者名:吉田つとむ
Eメール:master@j-expert.com
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タイトル:村山「自社さ」政権の発足

 このあと、自民党が巻き返しをはかり、社会党首班の村山富一委員長を総理に擁立した、「自社さ」3党連立政権を打ち立てました。

 この功績は、野中広務衆議院議員でした。羽田内閣の突然の総辞職を受けて、総理大臣を国会選出することになりましたが、時の自民党総裁である河野洋平衆議院議員は、自分の総理の椅子をはずしてまで、政権交代を求めました。

 この国会の解散を経ないで組閣された村山内閣は、意外なほどに延命できました。とにかく、この村山内閣を支えて、政権側に自分を置くのだという、わが自民党の執念を示すものでした。

 そのことが、あとの自民党政権を強固にさせる素地を作りました。こうした過程を通じて、自民党は「自・自」、「自・公」などの連立政権を構成するノウハウを、自然に構築していくことが出来ていくのでした。


投稿時間:2004/04/24(Sat) 09:25
投稿者名:吉田つとむ
Eメール:master@j-expert.com
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タイトル:政権を支えると言う背景の勢力、人材

 こうした新勢力の構築、政権誕生の基礎となるものに、その政権を生み出す、支えると言う背景の勢力、人材を要しているかどうか、これが政権維持の根幹ではないでしょうか。

 細川政権には、小沢一郎。
 村山内閣には、野中広務。

 この両者の違いが、政権の正確を決めていますが、今日の状況では、「自公連立」を生み出した野中広務元幹事長は国会から去り、小沢一郎元自由党党首は、民主党内でいまだその真価を発揮できないでいます。


投稿時間:2004/04/24(Sat) 10:05
投稿者名:吉田つとむ
Eメール:master@j-expert.com
URL :http://j-expert.com/
タイトル:穏健な権力委譲とドラスティックさ

 「自社さ」政権の村山内閣は、その内閣を総辞職させ、自民党側に総理の椅子をゆだねる選択をしました。その間、社会党は自衛隊の存在と活動を容認し、阪神大震災の被災から脱却するプロセスを担いました。

 その間には、野党側では「新進党」と言う政党に合体する動きがあり、この政党は参議院選挙でやはり自民党を上回る得票を得ました。それが、持続的な力になりえなかったのは、住専国会で審議阻止のため、国会座り込みの戦術が功を奏しなかったことでした。

 自民党は、本来、その時点で功績が高かった河野洋平総裁が総理になるべきところ、自民党内では橋本龍太郎内閣が誕生した。総裁の決選投票があればどうなったか、もちろん、橋本総裁となっていたでしょうが、その後の選択枝が異なったかも知れません。歴史に「もし」は無いと言い、その河野洋平元総裁は今期の衆議院議長に就任されています。どちらの選択肢が正しいか、歴史さえ、その証明が出来ないものでしょう。

 自民党内は、こうしたドラスティックな権力移動をこの間に経験してきました。


投稿時間:2004/04/24(Sat) 10:45
投稿者名:吉田つとむ
Eメール:master@j-expert.com
URL :http://j-expert.com/
タイトル:ドラスティックな移り変わり

 旧民主党の誕生

 今の民主党は、第3次民主党といえましょう。

 では、第1次民主党と言えば、「旧さきがけ」の鳩山由紀夫、菅直人の両議員は、旧日本新党所属議員をも吸収して、勢力を伸ばしていました。その勢力を基礎に、新しく「民主党」を打ち立てました。その際、この間に社民党に名前を変えて旧社会党勢力をも吸収しましたが、一方で、その創業者である「武村正義」元大蔵大臣を排除し、リーダーから失墜させました。

 しかし、衆議院選挙では、大きな勝利を収め、野党第1党の地歩をつかむことになりました。

 その後は、ぱっとする時期が無いままでしたが、「武村正義」元大蔵大臣を排除した勢いで、鳩山由紀夫、菅直人の両首脳が相手を蹴落とすことに時間と勢力をかけてきました。もちろん、その間、社民党は凋落を続け、その受け皿となって議席数を伸ばしてきました。さらに、旧民社党系をはじめとする旧新進党グループからの流入もあって、さらに自然成長的にその議席数を伸ばしてきました。

 さらに、その後も、党勢としては低迷を続けますが、小沢一郎党首率いる、自由党の合流で、平成15年の衆議院議員選挙で、大躍進を遂げたのでした。

しかし、その民主党の宿命は、次回の総選挙で政権交代に至らねば、党首交代、世代交代が待ったいます。いや、時期の参議院選挙の結果次第でも、そうした政党党首の交代を生み出す可能性を持っています。


投稿時間:2004/04/24(Sat) 21:47
投稿者名:吉田つとむ
Eメール:master@j-expert.com
URL :http://j-expert.com/
タイトル:安藤さんへの答え 1

 と言うことで、私が民主党に持つイメージに関しては、おおよそ推測できるのではないでしょうか。

 弱者は、自分を防御するのに手段を選ぶ余裕までもちえませんが、強者は一定の歯止めを持った行動をするべきだと理解しています。

 また、自分の現在を作ってくれた人には、それなりの礼節で接するのが、新しいリーダーの必要な配慮と言うものだと考えます。

 行ってみれば、今は民主党も自民党も、両方のトップが同じ性格の人材が出現したと言うことでしょう。

 安藤さん いかがでしょう。感想を一言入れていただければ幸いです。もっと理念的なこと、政策的なことという場合は、再度、別途にスレッドを立てていただけないでしょうか。

 これが、答え 1の結論です。ここらで、管理者には、一休みさせてください。


投稿時間:2004/04/25(Sun) 23:24
投稿者名:吉田つとむ
Eメール:master@j-expert.com
URL :http://j-expert.com/
タイトル:国政補選は、自民3勝

 本日行われた、3か所の衆議院選挙の補欠選挙で、3か所とも自民党が議席を独占しました。

 鹿児島、広島は自民党が有利と見られていたところですが、埼玉は民主党が有利と見なされていたとことです。それが、逆転して自民党の新人が当選できました。

 両党とも、党の命運をかけて全力で戦ったところであり、民主党に個別の敗北の言い訳は立ちません。

 新聞などによれば、これによって、自民党は公明党の協力を得て、年金法案の成立、イラクへの自衛隊派遣の維持などの見通しがついたとの判断をするようです。

 また、選挙の結果として、最近になって問題となった、大臣の国保未加入、不払いは、この選挙に直接影響を与えるレベルでは問題にならなかったのか、それとも選挙の当事者の問題ではなかったので、将来の予測とは別問題なのか、まだそこまでは不明です。

 しばらく、順調な国会となって行くのでしょう。

 いずれにしても、民主党の執行部は、その指導責任をも問われる、敗北をきしたわけです。

 自民党は、あれこれ言われながらも、こうして重要な国政選挙で完勝することが出来、総じて今の小泉内閣が支持されたと見なす状況に入ります。


投稿時間:2004/04/28(Wed) 21:19
投稿者名:吉田つとむ
Eメール:master@j-expert.com
URL :http://j-expert.com/
タイトル:責任を取って、早めの党首交代が全部を生かす

 実は、メールマガジンでは「続き」を書いていました。

 その内容は、民主党の補選全敗の責任で、代表交代の話をし、小沢代表代行が党首に成り代わって、参議院選挙を取り仕切る話を書きました。

 今回の国民年金の未納付問題で、菅直人代表が厚生大臣の時、それを未納だったことが明らかになりました。あれだけ、内閣の3大臣を批判したわけですので、ここは菅代表は、あっさり「党首を辞任する」=「小沢代表代行」にすべてを託す。これが、党を生かせ、甦らせる唯一の方法では無いでしょうか。

 結論は、早いほど良いと、3類側のスタンドの観客は見なしています。

情報公開のエキスパート<吉田つとむ>の週刊メールマガジンvol.399
を発行。当面、週1回刊行。 2004年4月27日

内容は、(1)コメント、(2)ニュース、(3)予定と案内。

(1)コメント
国政補選は自民3勝、今後の焦点

 本日行われた、3か所の衆議院選挙の補欠選挙で、3か所とも自民党
が議席を独占しました。

 鹿児島、広島は自民党が有利と見られていたところですが、埼玉は民
主党が有利と見なされていたとことです。それが、逆転して自民党の新
人が当選できました。

 両党とも、党の命運をかけて全力で戦ったところであり、民主党に個
別の敗北の言い訳は立ちません。

 新聞などによれば、これによって、自民党は公明党の協力を得て、年
金法案の成立、イラクへの自衛隊派遣の維持などの見通しがついたとの
判断をするようです。

 また、選挙の結果として、最近になって問題となった、大臣の国保未
加入、不払いは、この選挙に直接影響を与えるレベルでは問題にならな
かったのか、それとも選挙の当事者の問題ではなかったので、将来の予
測とは別問題なのか、まだそこまでは不明です。

 しばらく、順調な国会となって行くのでしょう。

 いずれにしても、民主党の執行部は、その指導責任をも問われる、敗
北を記したわけです。

 自民党は、あれこれ言われながらも、こうして重要な国政選挙で干渉
することが出来、総じて今の小泉内閣が支持されたと見なす状況に入り
ます。

 さて、民主党はどうする

 さて、この後、民主党はどのようにしていくのでしょうか。政策が再
検証されるか。つまり、「マニフェスト」自体の修正や改定、取替えが
あるのでっしょうか。

 それとも、現在の指導部が辞職して、新しい体制に組み代わるのか、
そのことによって、小沢一郎代表代行がこのピンチに対して、トップに
躍り出てくるのか。前回の衆議院議員選挙では、自由党の合流という離
れ業で、ピンチを脱しました。

 自民党が「3度目の正直」の小泉総裁を選出したことで、大敗予想の
都議選・参議院選挙に圧勝しました。

 民主党では、代表代行の小沢一郎元自由党党首が、党首に成り代わっ
て最後の選挙戦術を見せてくれるのか、少なくとも選挙の観客席は、期
待しているのではないでしょうか。もとより、こうした強力なリーダー
シップを求める声は、単なるお世辞かも知れません。
(以上、メールマガジン記事の転載)



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