山古志村の避難所とその子どもたち
(04/11/24)

 11月12日から14日の間、ようやく自分自身が新潟中越地震の震災地を訪れることができました。もちろん、吉田流の単独の行動です。
 ただし、長岡市内に置かれている山古志村の避難所には、友人と一緒に訪れました。日帰りで、その避難所を訪問した山古志村出身の町田市民の方とご一緒しました。

<見出し>
山古志村の避難所 - 吉田つとむ 11/15-12:51 No.5273
山古志村の避難所の子どもたち - 吉田つとむ 11/15-13:22 No.5274
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タイトル:山古志村の避難所

 全村民が合併予定の長岡市に避難しておられます。数ヶ所の避難所がありますが、新潟県立長岡明徳高校の体育館には、500名近い人がいるようです。百数十所帯以上の家族に相当しています。

 体育館の建物の靴置き場(学生用)の部屋の部分の中は、一面が毛布と人並みが見て取れます。私自身は、阪神大震災時に、こうした光景は何度も見ていますので、被災しぶりに見る感じを受けました。初めてこうした避難所を見るボランティアの人は、頭が混乱するかも知れません。こうした場所で、数週間以上も暮らすのは参ってしまう人が出るかも知れません。

 その体育館の中に入ると、受付がありました。内部と外界を結ぶ地点であり、放送センターでもありました。

 来場者は、そこで尋ね人の名前を告げ、名簿にその名前を記載することになっています。グループで訪ねる際には、代表者名と人数を書き入れます。

 私は、そこを訪れた友人の山古志村出身者の方と待ち合わせていたため、スムーズに中に入りました。

 阪神大震災との違いは、この山古志村避難所の場合には、出身ごとに区割りがしてあることでした。全員が村を自衛隊のヘリで離れ、長岡市内の避難所に移動することになった際に、その用に決めたためでした。

 結果、避難所内では、ほとんどの(かなりの)人が知り合いの様子でした。考えるに、町田市ではそうはいかないでしょう。なぜなら、私が済む狭い成瀬が丘でも居住者が5000人規模を超しています。その全員が避難しなければならない事態は、想定しようもありません。とりあえず近くに公園や広場に集まり、その後、小川高校に避難する方法になると思います。

 その体育館に500人規模で寝起きするなど想像もつかないのですが、ライフラインが欠損した震災時には他に方法がありません。最も、この地域の住宅は新しい住居も多く、倒壊する家屋は限られた範囲と考えています。震災後、直ちに自宅に戻る人が大半でしょう。何より、自分の自宅を含めた財産が気になるからです。

 なお、この新潟県立長岡明徳高校の体育館避難所の中は、とにかく細かく区分した各所帯用のスペースが提供されています。夫婦二人だと、4uくらいしかありません。最も、山古志村の人たちはほとんど生活用品を持ち出さずに、この場所に自衛隊のヘリコブターでいきなり移動してきたのです。

 その後は1回のみ、1所帯で1人のみがマイクロバスで村内に入ることができ、貴重品を持ち出せたと言うことです。言ってみれば、第2次大戦の引き上げ家族とほぼ同じ状態で、生活がスタートすることになります。(私の両親は外地の引揚者であり、私以外の兄弟はその外地引揚を経験しています)

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タイトル:山古志村の避難所の子どもたち

 私が住む町田市成瀬が丘町内より、人口が少ない山古志村の人たちは、数ヶ所の避難所に集まったことで初めて集団生活をしているのではないでしょうか。

 私が訪れたのは、11月13日の土曜日昼過ぎの時間でした。中には、昼食をとっている人も多く、食器を持って、配食場所に三々五々行き来をしていました。もちろん、私たちは昼食を済ませてから訪問したのですが、いささか早かったようです。

 ウイークデイは、子どもたちは近くの学校を借りて、授業を行っているそうです。プレハブを建てて教室が必要という事態でなくて、済んでいました。空き教室があることで、スムーズにその授業が進んでいる様子がうかがえます。

 休日の子どもたちは元気でした。毛布を敷きしめた以外のスペース(通路)を走り回っています。中には赤ん坊もいるので、子どもをその赤ん坊の相手をしてあげたくなる様子でした。いささか、その赤ん坊にとっては迷惑の感じがしています。

 この世代の子どもであれば、週末にはファミレスでも連れて行ってもらうのがごく自然の姿でしょうが、これから先の仮設住宅への移転、これからの生活設計を考える必要があり、収入が途絶えた今の時点では、ただ黙して、板張りの上に敷いた毛布で休まるしか無いような気がします。

 今日の新聞各紙(11月14日)に寄れば、昨日午前8時50分から10人ずつ、山古志村の児童と保護者ら145人が自衛隊のヘリコプターで、上空から村内を眺めたと言う記事が載っています。(人数的に村内の全児童を対称にしたものか、県立長岡工業高校の避難所にいる人たちのみか分かりません)

 私は、その時間帯、「越の大橋」を代替バスにのって移動していました。たまたま、上空に2台のヘリコプターが山古志村方面に向かっていく姿が見えました。今にして思うと、そのヘリコプターも小中学生の児童らが乗り込んだものだろうと推測しています。

 ともかく、現地の子どもらは元気です。
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