避難所から仮設住宅への移転について
(04/11/24)

<見出し>
避難所から仮設住宅への移転 - 吉田つとむ 11/15-15:13 No.5275
山古志村の仮設住宅について - 吉田つとむ 11/15-15:43 No.5276
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タイトル:避難所から仮設住宅への移転

 以下の記事は、長岡市議桑原望の災害情報プログ
http://blog.livedoor.jp/nozomu69/
 の関係記事の書込みしたものです。
http://blog.livedoor.jp/nozomu69/archives/9289907.html

以下は、その全文です。

 12日は、当地でお世話になりました。

 「仮設住宅」の記事
http://blog.livedoor.jp/nozomu69/archives/9335318.html
 によると、「操車場跡地の仮設住宅建設現場を視察」とありました。長岡市議の桑原さんがこの仮設住宅を視察なさったということは、この仮設住宅は長岡市民ようのものであり、山古志村民用のものでないと理解しました。

 この場所に仮設住宅が出来るの出れば、サラリーマン所帯にとっては最適の場所と考えられます。つまり、通勤に最も費用がかからないところだからです。もっとも、新潟の人はほとんどが車を使って通勤するのかも知れませんが、パートの人の職場、子どもさんがたの学校を考えれば、最良のコミュニティが形成できると思います。また、その場所は、お年寄りにとっても、遠来・近郊の別なく来訪者が訪ねて気安いところであり、最適の居住地と考えます。

 見たところ、数百戸の仮設は建設できるでしょうから、関係者にとっては一安心だと思います。
 
 ただし、被災にあった住所からはかなり遠くに住むことになりそうで、店舗を持って自営業を営んでいた人にとっては、生活の根本から検討せざるを得ないと考えます。

 早ければ、11月末にも仮設住宅への入居が始まるとのことですが、避難所から仮設住宅に住民が移って最も変化することは、食事の手当ては自分でしなければならないことです。1ヶ月以上のわたって、ものの不足や彩のさえは低かったにしても、食事の面倒は基本的には人がしてくれる体制が出来ていました。それが一挙になるなるわけです。

 日常生活は、一変します。仮設住宅に移ると、例え家賃は不要でも水光熱費は自前で払うことになります。毎日の食事も自分で全て買い揃えるという、ごく当たり前の生活を送ることになります。

 また、避難所ではいらなかった家電製品も、仮設住宅の大きさに合わせた品々をそろえる必要が出てきます。特に冬場を迎えて、暖房器具も思ってもいなかった品々が必要になるでしょう。いくらでもお金が必要になってきます。

 そうした時に、定期収入がきちんと入ってくる仕事か、そうでない仕事か、それによって仮設住宅住民の生活様相が大きく変化をしてきます。

 そうした時に最も重要なのは、就業先を見つける「ボランティア」があれば本当に良いのですが、とにかく仕事を見つけられる環境を作るのが、遅延支援タイプのボランティアだと考えます。
Posted by 吉田 つとむ(町田市議) at 2004年11月15日 14:31
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タイトル:山古志村の仮設住宅について

 山古志村の人たちは、比較的に早く仮設住宅の移れそうです。居住者の一人に聞いたところ、すでにその引越し先も決まっているようでした。(内定ではないかと思う)

 長岡市内の数ヶ所に分かれるが、旧来の居住区単位(聞いた名称を記憶していない)に仮設住宅は建設されるという。

 全村民が長岡市に避難している現状であり、先に山古志村は長岡市の合併が決まっていることもあって、この山古志村の役場は仮庁舎として長岡市がその建物を全面的に提供しているという。その場所は、現在の長岡市役所のそばにあって、タクシーの運転手さんの話によれば、通称「分室」と呼ばれていた建物がそれに当たるという。

 その中はのぞかなかったが、ほぼ村の機能がそこで運営されているのであろう。また、避難所は限られた場所にしかなく、村民の把握には十分すぐる機能を持った施設といえよう。その点、元の住民が東京内外に広がっている「三宅村」より、はるかにスムーズに機能しているであろう。

 ところで、この山古志村の仮設住宅の一つは、長岡ニュータウンの近くに出来ているとのことであった。時間が許せば現地を見学したが、その場所は長岡駅から4キロ以内のところで、山沿いの道から丘陵を登ったところにあると思える看板を見た。思い返せば、到着した12日の夜にレンタカーを運転して時であった。その先の仮設住宅が建設中と分かれば見にいったが、孤立したという情報も無い新興住宅のニュータウンには、その時点でいきだそうとはそこまで思い至らなかった。

 今になっても、途中の道の痛みが激しく、暗い道路を運転するには無謀すぎた感がある。そうした道に出くわすと、性分としてそうした前に進みたくなるのが常である。

 そうした場所に数百戸の仮設住宅が出来ることになるが、阪神大震災の時、西神地区に建てられて仮設住民が味わった孤立感を持たねばと願っている。新興住宅と仮設住宅とは、最も相性が良くない関係の一つです。幸い、近くには、決まったスーパー状態と想像できます。

 仮設住宅の住民は、そろって自家用車で移動する人ばかりでしょう。
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