震災地を自分が運転するレンタカーで単独移動 2
(04/11/24)

 (前回の続き)新潟中越地震に際しては、個人で現地を訪れましたが、現地はレンタカーで移動しました。本来は、バイクの方が利便性が高いのですが、大型のバイクはしばらく乗車したことがないのことと、バイクを現地で調達することが出来なかったため、レンタカーとしました。
 もとより、現地はレンタカーの需要も多く、その車が空いた時期に携帯電話に連絡してもらって、乗車したものです。
 その割りには、地理を含めた現地情報を持っていないで出かけました。幸い、レンタカーにはカーナビが備わっており、現地で購入した地図と照らし合わせて、広範囲に移動することができました。

<見出し>
レンタカーで長岡を南行・仮設住.. - 吉田つとむ 11/15-19:58 No.5282
新幹線の車両積み替え工事 - 吉田つとむ 11/15-20:17 No.5283
山古志村に至る道路は通行止め - 吉田つとむ 11/15-20:34 No.5284
越の大橋のトイレは水が出ない - 吉田つとむ 11/15-22:25 No.5285
小千谷市に入る - 吉田つとむ 11/15-22:45 No.5286
 Re: 越の大橋のトイレは水が出な.. - 塚本 清一 11/16-00:13 No.5290
 このレポートの意味について - 吉田つとむ 11/16-01:13 No.5293
営業中ののぼりのショッピングセ.. - 吉田つとむ 11/15-22:55 No.5287
小千谷駅の周りは被災地の特徴 - 吉田つとむ 11/16-00:05 No.5288
ついに、地震と遭遇 - 吉田つとむ 11/16-00:12 No.5289
川口町にいよいよ入る、道路が崩.. - 吉田つとむ 11/16-00:49 No.5291
帰途は、小千谷経由で越路町 - 吉田つとむ 11/16-01:07 No.5292
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レンタカーで長岡を南行・仮設住.. - 吉田つとむ 11/15-19:58 No.5282

タイトル:レンタカーで長岡を南行・仮設住宅建設

 早朝8時、レンタカーで長岡を南行しました。最初の見たのは、仮設住宅現場の朝礼でした。

 いくつかの班に分かれての朝礼でした。おなじみの現場関係風の感じの人たちが集合していました。以前にも別の記事で書いていましたが、私は土木資材の販売を2年間やっていましたので、こうした工事の現場には親近感を持っています。

 いや、もっと危険な作業の現場で働いている人には、より以上の親近感を持っています。これが、自分を災害復旧現場に近づかせる要員だろうと思っています。

 その横では、電信柱を立てる工作機車両のオペレーターがすでに作業をしていました。そういえば、昨日(12日)は「石巻」と書いたゴンドラを積載した電気工事関係の3台の車両を見かけました。こうした現場で仕事に励んでいるのでしょう。

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新幹線の車両積み替え工事 - 吉田つとむ 11/15-20:17 No.5283

 昨日、夜間の時間で見えなかった、新幹線の車両があったのでないかと思えるところに向かいました。

 間違いなく、新幹線列車がそこにありました。クレーン車で車台を吊り下げていました。ゆっくりしたスピードに見えますが、失敗が許させない作業です。おそらく、その車台を片方の線路に載せたところでしょう。下からは見えませんが、「玉かけ」の専門家が先のロープをはずし、車台をおろす作業を行ったはずです。誰かがそのロープを取り外すという作業をおこなったのです。

 列車の下にもぐって、ロープを巻きつける作業がこの後控えていますが、いつ震災の余震が来るか分かりません。一端、列車の車両を持ち上げた時点で、その余震がきたら、吊り下げられた新幹線車両はひとたまりも吹っ飛んでしまうでしょう。それだけで、10人ばかりの人たちに生命の危機が訪れます。慎重、かつ敏速にその時期を狙って、移し変えの作業がおこなわれるでしょう。

 私がパンを食べながらその光景を見ていると、2台、3台と私の前後に車が止まり出しました。そんな、TV局の車両が並んでいないから、そうしたドラマチックな場面はこないよ、と私はつぶやいていました。こうしたロープやクランプ類の吊り下げ用具も、自分の販売品の品目に入っていました。もちろん、こうした大掛かりのクレーン車のロープは専門の会社が扱っていましたが、一般の鉄製ロープは自分の扱う範疇でした。

 私が留まっていた反対側には、1台のTV局の中継車が留っていました。何かのチャンスを狙っているのでしょう。

 その場を私は、通り過ぎてゆきました。
<その翌週くらいに、現地ではその車両の撤去がされたようです)
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山古志村に至る道路は通行止め - 吉田つとむ 11/15-20:34 No.5284

 その後、昨晩に出向いた山古志村に至る道路に、再度出向いていきました。

 やはり、昨日と状況は変わりません。交通止めの表示がある川伝いの道も昨日と変わりません。ただし対岸の蓬平温泉方面に向かい道側から見ると、なにやら人の気配が無かった人家に人も気配がしています。それは、明るくあって家の片づけをなさっているのでしょう。

 道路の街路灯は電気がついているのですから、この付近は間違いなく電気は通じています。他の生活上の必須品がかけているのでしょう。夜の時間のみの避難所暮らしであると思いました。

 その先は、昨日と同じで、パトカーと、赤色灯を手にした警察官が、車の行く手を静止していました。

 その少し手間には、崖から落ちて来た直径が5ー60センチの岩が路肩に転がっていました。昨晩には無かったと思います。その地点で車を引き返し、さらに先の方に南下することにしました。

 今日は、小千谷市方面にも足を伸ばしてみようと考えました。
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越の大橋のトイレは水が出ない - 吉田つとむ 11/15-22:25 No.5285

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小千谷市に入る - 吉田つとむ 11/15-22:45 No.5286

 山古志村方面に至る至る地点までやってきました。その路線の入り口には警察車両が止まっていました。道路は封鎖され、警察官が進入しない様に誘導したています。

 その地点を過ぎると、越の大橋を渡る地点になります。反対側の河川敷には自衛隊の車両やトラックから何か大きな機材をおろしていました。

 こちら側は、小千谷市に入っているようです。この信濃川の堤防には、延々とブルーシートがかかっており、土砂の流出を起こさないようにしています。

 私は、河川敷に降りてみることにしました。ずっと先の地点から迂回する必要がありましたが、なんとか土手の位置にある自衛隊車両のそばまで到達しました。

 そこには、レーダー積載車両が2台、送信アンテナ積載車1台、その他の河川敷の中にも車両と人員が見えました。

 そこで自衛隊の皆さんが何をしていたか、私には理解できませんでした。そのレーダーが天候を観測しているのか、それ以外のものを調べていたのか、少しばかり不思議な光景でした。「ここでは、何を調べているのですか」と聞けば簡単に答えてくれたでしょうが、自分で考えて結論を出すのが、吉田流です。分からない時は、そのまま放置する。

 そこには、1棟のトイレがあります。「鯉の里」と記していますが、手洗いの水が出ませんので、あとにご利用になる人はご用心を!

 なお、土手の下では、畑で野菜を収穫している人がいました。こうして野菜を取れる人は幸せです。ただし、その先の家々はビニールシートがかかっていました。
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小千谷市に入る - 吉田つとむ 11/15-22:45 No.5286

 震災地の感じがひたひたと伝わってきます。阪神大震災に似た感じです。連なった家々には、緑色紙・黄色紙・赤色紙が次々に貼られています。

 阪神大震災にもあった建築物の検査表示で、町田市の職員もこの作業を行うために新潟中越地震の被災地に来ています。私は、阪神大車震災時にこの紙を数千枚と見ましたので、ある意味では建物を見ただけでそれなりの判断を下すことも可能です。家の曲がり、基礎とのずれ、柱や梁の損傷具合等などです。

 道の痛みによる損傷も激しくなっています。家を空かして、避難をしているのでないか、そうした気配の家家がびっしりと並んでいるのが分かります。ここら当たりは、小千谷市の中学校に避難をしているのでしょうか。そうした感じを受けました。

 次に、駅前のアーケード街を通りました。半数以上のお店がシャッターを下ろしています。震災以前から閉店していた店舗もあったでしょうが、その災害が仕事に止めをさすような感じで訪れたのでないでしょうか。ガンバローのスローガンがありますが、決して事態はそれほど甘くないのでないでしょうか。駅前通の商店街の様相を見て感じたことでした。
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 Re: 越の大橋のトイレは水が出ない - 塚本 清一 11/16-00:13 No.5290

臨場感あふれるレポートです。
TV局のレポーターの上っ面を舐めただけのレポートと凄みが違いますね。
ゴミ処理場でゴミの処理作業の体験をして、オムツから飛び散った糞尿
にひるむ自分を、叱咤した吉田議員の反骨精神からすれば、本人に気負い
は何もないでしょう。しかし、このレポートを見れば、吉田市議のいでたち
が即ち判る。食料、水、衣類を自己完結したことはいうまでも無く、野宿
も辞さない装備であったと考える。
勿論、議員さんだ等と誰も現地の人は思わない。
この”旅行で”文化生活とは以下にもろいものかを実感して帰ってくるのだろう。現地で得たものを市政に反映させて欲しい。
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 このレポートの意味について - 吉田つとむ 11/16-01:13 No.5293

 震災関連で初めての書き込みをいただきました。閲覧ありがとうございます。
 
 メールマガジン記事を見た人は大勢いるようですが、掲示板記事がもっともリアルに書いています。今回は、レンタカーでの移動が主体でしたので、程ほどの装備でした。

 ただし、服装は、まさか議員と思われる様相をするわけにもいかず、「目立たないドライバー」の雰囲気でした。

 こうしたレポートを見て、これからボランティアに行く人が、それなりの心構えでいってほしいと願っています。
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営業中ののぼりのショッピングセ.. - 吉田つとむ 11/15-22:55 No.5287

タイトル:営業中ののぼりのショッピングセンター

 大きなショッピングセンターがありました。駐車場に金属類などの瓦礫が積まれています。お店は開いている感じがなぜかしません。店の横川には、テントがあり、営業中ののぼり旗が数本立っていました。

 他に、建物が損傷している感じがするのに、開店しているパチンコやさんがありました。この種の仕事は、阪神大震災の際にもとにかく開業していました。

 倒壊した家やお店のなかで閉店しているのは、建物に古さを感じる店舗でした。こうした真新しいショッピングセンターでダメージをおっているところはなかなか見当たりませんでした。その意味では、阪神大震災程の破壊力を直には感じていませんでした。ただし、まだ川口町に至っていないところです。
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小千谷駅の周りは被災地の特徴 - 吉田つとむ 11/16-00:05 No.5288

 小千谷駅の周りを見ると、震災地をどの建物も感じさせます。かなりの建物に赤紙「危険」の表示がされているためです。

 あちこちで、家の中を片付ける光景を目にしました。学校などの避難所で日常生活を送りながら、自宅の片付けに戻ってきた、そうした印象を受けました。

 市役所の前なども通りましたが、一切そうした機関には立ち寄らず、ただただ各地を観察して回る。この表現に現れた通りの印象を記しています。

 まだ、家屋の危険度調査が終わっていないのでしょうか、お役所の人物らしきタイプで、そうしたスタイルの二人連れが歩いていました。(町田市も、2回ほどこの地に建設部の職員を派遣したはずです)

 そういえば、アーケードの上にもそうした感じの人がいましたが、この時期のなって、商店街のアーケードの点検では遅すぎるので、自主的な点検かも知れません。
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ついに、地震と遭遇 - 吉田つとむ 11/16-00:12 No.5289

 運転中に地震に遭遇しました。
 その日(11月13日)の午前10時頃であったと記憶しています。一般の道路を運転している最中に、ぶるぶるとした感じが伝わってきました。

 「来た、来た!」と思うだけで、何も身構える対応をしませんでした。その日に運転していた人はどうだったのでしょう。もちろん、道路が隆起したり、陥没したり、地割れを起こしたり、想像を絶する中での運転であったのでしょう。
 
 その時は、ゆれは1回で終わりました。後のニュースでは震度2クラスであったとことでした。では、震度3か4。あるいはそれ以上のケースで自分がどんな反応を示すか、幸いその日の運転中には、それ以上のゆれは発生しませんでした。
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川口町にいよいよ入る、道路が崩壊 - 吉田つとむ 11/16-00:49 No.5291

 道路の渋滞が激しくなってきました。(このあと、避難所を一緒に訪問する人と待ち合わせている時間が迫ってきました)

 しかし、道路の渋滞が一層激しくなってきました。道路が崩れ去った地点がありました。すでに大きく迂回する道路がそばに造られており、その見事な普請ぶりに感心していました。

 道路の復旧現場には、大きな重機が運ばれていました。まだまだ元の道路が復旧するには時間がかかるでしょう。

 驚いたのは、その反対側の厳しく勾配の法面を二人の作業員さんが、単管(建設現場で型枠を固定するために使われる丸くて、長い菅ーー通常6メートル)を数本まとめて担いで下りていきました。人力で運ばずに、重機で吊り上げればよいと思ったのですが、その反対側に重機を動かすのが、通過車両に面倒だと思われると考えての行動でしょう。

 下には、すぐ鉄道が通っているらしく、その被害も相当なものでしょう。そこを詳しく見るために車を止めるわけにもいかず、その渋滞に添ってやむなく前進していました。

 それでもその先もずっと、渋滞が続いていました。明日は別の方法でその先にたどりつこうと考え、そこでUターンをしました。まだ、川口町に入ったばかりの地点でした。
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帰途は、小千谷経由で越路町 - 吉田つとむ 11/16-01:07 No.5292

 時間の都合で長岡に戻り始めました。

 帰りはまた別の道を通るつもりで、再度、小千谷市内を通って行きました。その最中で、共産党の大型宣伝カーと遭遇しました。のぼり旗をステージに積み込み、小国町方面に走って行きました。何かの救援活動をやっていることは間違いないでしょう。方向違いのため、そのままあとについていくわけにもいかず、私は越路町に向かいました。途中の山道は、地震のあとが未整備に近いところが目立ちました。

 ところが越路町内では、震災があったとは思えない道路を走りました。まだ新装風道路で長岡片貝小千谷線という名称ですが、かなりのスピードが出せる道路です。両側は畑が広がり、震災を忘れさせるような道路です。

 途中で、花火を打ちあげる筒が見本でおいてあるところを通りました。停車する余裕も無く、一路長岡に戻りました。

 別記のように、山古志村の人が避難する新潟県立長岡明徳高校の建物に向かって用件を済ませ、レンタカーを返却して、24時間の震災地の運転を終えました。
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