盆踊りのお駄賃
(03/08/27) 

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盆踊り参加の効用
おどらにゃ、そんそん!
現場におけるお駄賃の話
Re:お駄賃と考える議員

盆踊り参加の効用

 タイトルの建て方は即物的ですが、下記のような次第です。

 この時期、私は各地の盆踊りにそれぞれ出かけます。大勢の人垣で埋め尽くされた町内もありますし、ささやかな団地の盆踊りもあります。中には、案内をいただいたのに、今年もまた訪問もしないままのところもあります。そうした案内に関しても、それぞれの議員で行動が異なるようです。議員によっては、盆踊り開催の案内を受けた町内全部に顔を出すこともあるようです。

 そうした中で、風の知らせのように盆踊りの会場に出くわすこともあります。本来は、地域の町並み、行事に精通しているはずなのですが、自分でもびっくりすることがあります。そうした時でも、盆踊りの輪に自然に入っていけるようになりました。

おどらにゃ、そんそん!

 私が顔を出す盆踊りの会場では、そこにいる間中、その盆踊りに興じています。1日に1箇所を訪れる時には、その2時間を踊りだけに費やすときがあります。

 先日は、3箇所を訪問しました。次の会場に移動しようとすると、まだまだ踊っていきなさい、テントの接待所で飲み物を飲んでいきなさい、そうしたお誘いを受けることもあります。一旦、そうした場所に座ると、顔役の皆さんに挨拶をしてまわる羽目になり、あまり自分が得意でない対応になります。無理して、自分をつくろうよりも、盆踊りの輪の中に自然に納まっているのが、性にあっていると思います。

 盆踊りは、おどらにゃ、そんそん!

現場におけるお駄賃の話

大勢の来賓が、盆踊りの会場には訪れます。地元以外では、大半の来賓は次の会場に回ることになりますので、そこの人たちと会話をすることはなかなか困難です。そうした中で、盆踊りを踊って休憩の時間まで居残っていると、その主催者や関係者の人が話しかけてくることがあります。盆踊りは、踊り手がいてこその盆踊りです。

 さて、そうした時の話では、地元中の地元の話が出てくることがあります。地元の問題では、さっとうわさになる話もあれば、大きな事件になるまで、まったく知れないこともあります。後者の話をわれわれが知っているか、いないか。そのことによって、自分が情報通と見られるか、昼行灯と見られるか、別れ目になる時もあります。

 一方で、「聞かなければ良かった」と言う難問を耳にこともあります。政治家にとって、解決が難しい話などはその一つの例になるでしょう。しかし、議員と言うものは、難問を頼まれてこそ、その存在価値があろうというものです。

 盆踊りも終了して、その実行委員が集まった席などで、われわれとじっくりした会話が始まるときもあります。実感として、こうなるにはかなりの歴史を刻まないとできない会話と考えています。そうしたものの中から、行政担当者と一緒に解決する課題が出てきたり、議会の質問に発展することもあります。これが、現場におけるお駄賃と言うものでは無いでしょうか。

参考 Re:お駄賃と考える議員

>  そうしたものの中から、行政担当者と一緒に解決する課題が出てきたり、議会の質問に発展することもあります。これが、現場におけるお駄賃と言うものでは無いでしょうか。

お駄賃とは、吉田さんらしい言いかたです。

ふつうの議員(吉田さんも普通の議員ですが)は、この様な
課題を見つけることを主目的として盆踊りに参加します。
盆踊りなどはどうでもよいのです。勿論あとかたずけ等
少数の有志が行う裏方の作業協力等、もってのほかです。
要は人がたくさん集まるところに顔を出して、
顔を売り、課題のネタを血眼になって探します。

吉田さんがお駄賃と考えている限り、安泰です。
(最後の記事は、文章の流れで掲載しました)