寺田和雄(前)町田市長を訪問する
(平成18年4月14日)

 先日、桜が満開の頃、前町田市長の寺田和雄氏を訪問しました。こうやって寺田さんとお会いするのは、実ははじめてのことです。

 寺田(前)市長が市長に初当選された時に、私自身は市議選に落選しており、しかも寺田さんとはライバルの候補であった人物と親しくしていました。そのため、自民党が寺田市長を推薦した時も、その当該人物が選挙に立候補しなかったにもかかわらず、しっくりしない中でのことでした。

 その後は、自分が自民党の中でそれほど重要な役割をするチャンスがなく、寺田前市長とそれほど話す機会もありませんでした。その後も、私が2期目終盤の時にも、市議会の同僚が市長選挙に出ることになり、その候補を自分としては押す立場でした。当時の寺田市長が4期目の選挙に立候補しても、縁を持つ立場にはありませんでした。それが、現職市長の寺田さんとたびたび話すようになったのは、自分が3期目になってからのことでした。

 この期を自分の最後の仕事時期と考えた寺田さんが、疎遠であった私などとも親しくする立場にあったでしょうし、前の市長選挙のこともこの時期になってみれば、こちらが頑なになる理由も薄くなっていました。特に3期目の後半に入ってからは、何かにつけて話していた感じになりました。

 そして、寺田さんの引退がはっきりしたところで、4期目の時には自分の選挙に関してその推薦も依頼をしていたため、 選挙がひと段落した時点で挨拶に出向いた次第です。

 せっかくですので、エピソードなどを下記に記しました。

<目次>
寺田和雄 前町田市長を訪ねる(23区にも多摩にも遠い町田)
寺田前市長を訪ねる(発展途上の町田市)
寺田前市長を訪ねる(道路整備)
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寺田和雄 前町田市長を訪ねる(23区にも多摩にも遠い町田)

 2ヶ月ぶりに、寺田和雄 前町田市長にお会いした。

 ひるがえってみると、2月26日の改選選挙で、当時は現職であった寺田和雄市長に対して、私は推薦人の一人にお願いした立場からすると、もっと早い時期にご挨拶をせねばならなかったと考える。勝手ではあるが、昨日お会いした際には、そのことを話しそびれたので、ネット上でお詫びしたい。インターネットを多用する私のことゆえ、寺田さんにはご理解してもらえるだろう。

 その寺田前市長は、今期引退まで市長職を16年間も務めており、蔵書の整理に忙しい毎日が続いているようであった。これまでも、仕事の合間に山歩き関係の随筆をたしなみ、その種の著作も有している人物である。そんp随筆の基礎のなった本が、自宅には膨大にあるようだ。

 お会いした際に、「都政新報」に寄稿された、「16年、市政を担当して 〜多摩最南端の町田から〜」の写しをいただいた。市政に職員の時代より長くかかわった当事者として、町田市が東京23区と多いばかりでなく、多摩とも遠い存在であることが冒頭述べられている。かなり長い説明となっているのは、町田市が下水道処理において、多摩川流域下水道に参加できず、市独自の公共下水道を構築せざるを得なかった経験が語らせるものだろう。(続く)
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寺田前市長を訪ねる(発展途上の町田市)

 寺田前市長を訪ねた記事の続きです。

 例の「都政新報」記事の続きによると、寺田市長の記述では、町田市の地形の特徴は、いわゆる武蔵野大地が広がる多摩地区とは違って、大部分が多摩丘陵のに属して、その谷戸が無数にあることであるそうです。「この地形はまちづくりに金ばかりがかかって」という記述の中に、これまで都市化を進めてきた取り組み姿勢とその思いがこめられているようでした。

 しかも、この町田市は「かっては五ヶ町村にわかれていたように、それぞれに鉄道駅や地区の核を有しているのである」と記し、そのバランスを取ることの難しさを、全国の合併自治体の苦悩になぞらえています。


 さらに、町田市のイメージを、JR横浜線と小田急線が交わる商業都市より、大きな調整区域を持ち、それを包むかのような住宅地が広域に展開する都市と位置づけています。そのことによって、町田市が中央線沿いの都市と比較して、「発展途上」とも位置づけています。


 寺田前市長はその退任に際して、「革新市政の終焉」とする見方があったが、断固としてその見解を退けています。つまり、自分の役割を「バランスの取れた近代都市をつくること」とし、「各地から集まってきた住民の融和をはかることこそ大事であると思ってやってきた」としています。私は、この寺田前市長の言葉を改めて再認識したところです。
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寺田前市長を訪ねる(道路整備)

 地方の皆さんから見れば、町田市は東京であり、関東周辺の人から見れば「神奈川」となるのが、町田市の特徴です。箱根方面に行く時に小田急線の途中にあるのが町田市です。そこが「東京都」だとは関心が無い人には思えず、「神奈川県町田市」だと思う人は未だに大勢います。

 そうした町田市であるために、「東京都」の行政施策の恩恵に預かることはなかなかなく、多摩地域に関する個別の事業が立案されても、町田市がその対象エリアになることはなかなかなく、いつも政治的に孤立した環境にあるわけです。


 そうした中で、寺田前市長が町田市を近代都市とするための努力は並大抵ではなかったろうと思います。特に、鎌倉街道、町田街道、鶴川街道など都道整備の遅れを進捗させる事業の要請が実を結びつつありますが、その状況を生み出すだけでも大変であったろうと推測する次第です。

 その中で、寺田市長自身は余り触れておられませんが、市が市財政で持って緑地の購入を計ったことが大きな財産と考えます。場所的には、北部丘陵を中心にしたエリアが中心ですが、限られた予算の中で、こうした目立たない公共財産を拡充していくことは、より豊かな町田市の形成のために欠かせない施策と考えられるからです。

 ともかく、寺田市長の市政は終了しました。長い間お疲れさんでした。これからの石阪丈一新市長の手によって、これまでに良かった施策が続けられ、改善点は取り入れていく、そうした新しい市政になって行ってもらいたいと願っています。
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