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若者育成の街・交通文化都市

詳細版:吉田つとむの政治 発言・行動Political remarks / actions

政治家と選挙について レジュメ(1)政治家はどのように生きたか
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「政治家と選挙について」を作成。
まずは、政治家の変遷を見つめる。

1)政治家はどのように生きたか
  自由民権資料館を訪ねる1)政治家はどのように生きたか
  自由民権資料館を訪ねる



  a)議会と議員の誕生→「選挙が始まった」ということは、「一般市民が意見を言うことができるシステムが導入されたこと」、を意味する

 明治政府の誕生で、列強に対抗するため、富国強兵が課題になる

 明治6年(1873年 明治政府の対外外交問題(朝鮮との外交)

政府内の内争が発端。いわば、「海外に視線を向ける(=征韓論)」板垣・西郷と「国内の革新に走る」者で対立する。征韓論の板垣退助、西郷隆盛らが参議を辞し、下野する

 明治7年1874年)1月12日、板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣らが愛国公党を結成。1月17日、民撰議院設立建白書を政府に提出した。
 時の政府は、時期尚早で却下する。
 板垣退助は、地元に戻り、政治結社(立志社)を起こす。なおこの際、西郷は当該結社に所属していなかった。
明治8年(1875年)、板垣退助は、国会開設運動を全国組織に拡大することを目指し、大阪で愛国社の結成に奔走。他方で、政府内に戻り、参議に復帰。西郷は板垣に従わず。

 明治10年(1877年)、西郷隆盛が西南戦争を起こし、す。全国各地で内乱が起こる形となり、江藤新平が佐賀の乱をおこすが、無残に平定される。政府の大久保利通が主導する。
政変に同調したグループの国会開設運動がとん挫する。

 明治11年(1878年)、板垣退助は愛国社を再興し、明治13年(1880年)の第四回大会で国会期成同盟が結成される。

 明治15年(1882年)4月に板垣退助は、岐阜県で刺客によって襲撃
  (「板垣死すとも自由は死せず」)・・・(格言)政治家は名言を発すべし(★格言)

全国で、国会開設を求めた演説会が開かれる。
 *1883.10.12 岸田俊子が、大津で「函入娘」の題で演説し、内容が政治演説、つまり当時の政治を批判したとみなされ、だとして、集会条例違反で罰金刑を受ける
 岸田俊子(★人材)は、全国を遊説し、九州まで足を伸ばし、各地にその記録が残る
なお、諸説あるものの、岸田は、当時は女性であったり、ファッショナブルであったり饒舌であったことから全国を遊説した際は各公演場所において、売上が発生したと思われる。(なお、岸田の夫は出馬している。)

岸田俊子 参考資料
2015.07.28 岡澤 優紀 第9回インターンレポート
            町田市議会議員 吉田つとむ 研修生



 明治16年(1883年頃)自由民権運動家 川上音二郎(街頭遊説、講談、芝居)
  自由童子と名乗り、政府批判を展開。逮捕、弾圧で、講談、演劇に転換、オッペケペー節で一般に訴え、喝さいを受ける。

 自由民権思想家
   私擬憲法の提唱した人物など多岐にわたる
  明治14年(1881年)植木枝盛 東洋大日本国国憲按 起草
五日市憲法(千葉 卓三郎 起草とされる)1968年(昭和43年)に発見
  中江兆民
  幸徳秋水

 *映像がなかった当時の政治家は弁士(★アピールする力)であったのに対し、当時思想家は、より抽象度の高い次元で現世を捉え学問として論じる役割で間接的に政治家を支えていたと考えられる。 辻立ち、演説会の開催
 
 *政党、結社の組織化 
  国会開設運動 第1回総選挙の当選者は、多数の政党、結社のメンバが選出される
 
1889年(明治22年)の大日本帝国憲法制定を迎えた。
翌1890年(明治23年)に第1回総選挙が行われ、帝国議会が開かれた12.24

   *議員の誕生
 帝国議会(衆議院議員 300名)
 *別に貴族院があり、こちらは民選ではない

被選挙権
日本人で25歳以上の男子、かつ、多額の納税者(代替えが可能)であった。多額の納税という経済的負担も大きかったため、当時は「代替え」が可能であり、出馬する者と納税者が異なることもあった。

昭和21年(1946年)4月10日、戦後初めての衆議院議員総選挙
女性の参政権が、選挙権、被選挙権が同時にスタート

明治23年(1890年)7月1日、第1回の衆議院議員総選挙
 日本人で25歳以上の男子、かつ、一定額の納税者
 外地の居住者にも選挙権が無かった
 普選運動、女性参政権運動(平塚雷鳥、与謝野晶子)
大正14年(1925年)5月5日 普通選挙法(25歳以上の男子)
昭和21年(1946年)4月10日、戦後初めての衆議院議員総選挙 
 女性の参政権が初めて執行

政治家の活動(資金)は何が支えたか
 政党の運動資金は何で支えられたか
  寄付金

 演説会、出版、新聞発行、寄付金
→@情報発信がうまくAそれに対してお金を払う方がいる、そして政治家がなりたつ、「政治家が話し、お金を払いたい人がいる」

 演説会 上記の岸田俊子が登場した演説会は満員になっている
     各地で、篤志家が演説会場を確保する
 出版物 海外の出版本の翻訳や新聞社を運営。萬朝報(万朝報)が有名
     平塚らいてう等の青鞜社が発行した、雑誌「青踏」はたびたび発行禁止の措置を受け、破綻する。

 新聞発行 戦後、紙など印刷物が少ない時代、割り当ての用紙を使って、有料新聞発行で、読者を得る(衆議院選挙立候補者 井原末九郎氏の説明を聞く)

 寄付  政治家への寄付の習慣(欧米では一般的、日本も政治の初期は寄付でまかなう)

 1-2に続く 

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