2011.07.09 小宮 春菜 インターンレポート
<第4回:インターンシップの概要> 町田市議会議員 吉田つとむ 研修生 第28期研修生 小宮春菜 国際基督教大学(ICU)3年 <概要> 町田市役所で、薗田君と三人で、今後の活動についてのミーティング <名刺交換時の指摘を通して> 先日の、吉田議員のご指摘を受けて以来、名刺交換をする際に「吉田先生のインターンシップをしている・・・」という間違った言い回しを使わないようになった。「吉田議員の・・・」という言い回しが、ようやく定着をしてきたのだ。そんな中、新たなる課題を私は今日、吉田議員から宣告された。それは、「照れ笑いせずに、びしっと名刺を渡す」というものだった。 私はいつも、なんとなくにやついてしまう。なんで笑ってんだろうなあ自分、なんて思っても、なんとなくにやついてしまう。もう、クセなのだ。何事もクールにさわやかにやってのける人たちを横目で見ては、内心いいなあなんて思っても、自分はといえばいつまでもにやついている。もはや重症だ。 こんな私に、にやつき改善令が出されたのだ。はっとさせられた。 注意深くあれば、名刺交換の際もそのときはにやつかず、「ほほえみ」くらいであれるのかもしれない。しかし、前の口癖とは違い気を抜いた瞬間にやつき症候群は発症するはずだ。 今回の吉田議員の指摘を期に、にやつき癖を直せたらと思う。 <自由民権運動の説明を受けて> 町田と自由民権運動のかかわりなど、私は今まで20年間町田で育ってきたにも関わらず、何も知らなかった。しかし今日、初めて両者の係わり合いの強さを知ることができた。学んだことを簡単に要点のみ書きたい。 主に武士により武士の利益寄りの自由民権運動が起きた発端が、かの有名な板垣退助の土佐。そして、農民によって農民の利益寄りの運動が起きたのが、町田によるところが大きい。 しかし、裕福な農民のみが運動に参加できた。 かつての三多摩に、民権運動から生まれた自由党の議員が日本全体からみても多数いた。 自由党の財政面で、町田は大きな貢献を果たしていた。 町田には民権運動以前は大きな格差が無かったが、民権運動に関わる人々の金貸し業に端を発し、資本主義的な色合いが初めて出てきた。 町田ではクリスチャンが被部落差別者であった。 |