2011.07.24 小宮 春菜 第10回インターンレポート
            町田市議会議員 吉田つとむ 研修生

第10回:インターンシップの概要> 
         第28期研修生 小宮春菜 国際基督教大学(ICU)3年

<概要>
・ 町田市内の子ども柔道大会の吉田議員観戦への同行
・ 吉田議員のボウリング仲間の納涼会に参加出席
・ 吉田議員と今後の作成物の内容に関して打ち合わせ

<柔道の観戦>

「よし!よくやった!!」
「違う!もっと顔を上げろ!逃げろ!そうだ!よくやったあああああああ!!!!!!(凄い歓声)」

 こわもてのお父さんに、威勢のよさそうなおかあさん。やけによく笑うおじいさんに、やけに厳しいお父さん。いろんなご家族の方々が、一生懸命に自身の子供を応援していた。もう、親の熱気でむんむんしていたし、まったくの部外者である私は、その会場の「熱さ」にとてもじゃないがついてはゆけない。しかし、自身の子どもがもしもこの場にいたのなら、きっと楽しくってわくわくして、仕方がないのだろうな、とも思いながら、私は試合を隅っこのほうで、細ぼそと観戦していた。
 しばしば日本人は謙遜をする。そしてそれが美学だ。などといわれることがあるだろう。そのため、自身の子ども等のことをよそ様に言う時にも、「いかに自分の子どもがどうしようもないか」ということを、「謙遜の裏の自慢」があることを考慮しても言うことが多いのではないだろうか。以前吉田議員と、「愚妻」という表現についてお話したことがあったが、それも良い例だ。いつもお世話になっている妻を横目に、まさか「愚か」というなんて、失礼にも程があるのに(本意から言っているのではないのは重々承知だが)。

 しかし、この表現方法が日本人の特徴であり、伝統であったとしても、あんまりいつもこんなことを言われてばかりでは、寂しくならないか。その人のいいところを内で言い合う家族やらなんなりは、とっても素敵だと思うが、そういうことをあんまり言い合わない人間関係も、とっても多いと思う。小さな子供には「○○ちゃんはえらいねえ」などとほめられることも多いだろうが、ある程度大きくなえると、そのように言われることも少ないはずだ。だが、もしそうだとすると、謙遜ばかりでけなされる言葉は聞いても、ほめられる言葉を聞くことは微々たるもの、ということになりかねない。

 そういうとき、この柔道の試合で聞いたような家族の声援は、貴重な「自分への強い期待」や、「ほめ言葉」を堂々といってもらえる、貴重な場になるのだと思う。こういう試合は子供自身の精神力の強化、達成感等を得る場、というだけではなく、「親との信頼感構築の場」とも、同時に言えるのではないだろうか。
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記:町田市議会議員 吉田つとむ 志政クラブ 2011.07.29 コメント

 予想以上に、少年柔道の観戦は大変だったようです。それは、来賓でもなかなかその時間まで観戦する例は少ないことで分かります。小宮さんに前に言っていましたが、吉田は観戦や鑑賞がとても得意なことです。いつも午前中まるまる観戦しています。この日は、後の予定が入っていました。

 ところで、この柔道の試合を周辺から良く見ていました。この日、最も大きな声を出していた人はコーチ(道場の先生)が一番であり、自分の弟子の子を励ましていました。以前は強くなかった子が、1年後に強くなっている姿を見ると、私でもけっこう感動します。私が挨拶で言っていたことはそのことです。

 「愚妻」という表現がありましたが、吉田夫婦では、妻を「愚妻」と言う表現はしたことがありません。この間に、吉田が選挙に何度も落選しても、家計を支え、家事をこなし、破綻せずにやってこれました。私は、見かけとはかなり違ってドンキホーテのようなタイプであるため、周りはかなり苦労しているようです。

 話を戻して、やはり、子どもはほめて育てるべきでしょう。

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