2012.2.10 大谷優樹 第1回インターンレポート
            町田市議会議員 吉田つとむ 研修生

第1回:インターンシップ1日目> 
              第29期研修生 大谷 優樹 明治大学4年生
 
 町田市議会議員吉田つとむさんのインターンシップが始まった。前口上を述べるのは苦手な上に面倒くさいので早速初日の活動内容の報告をしていきたい。午前中は町田市役所内の志政クラブオフィス(吉田さんの職場)で町田市議会議長にご挨拶した後、名刺交換時のマナー?というか自己紹介のときはフルネームで挨拶するよう指導を受ける。そんなわかっているはずのこともできていなかったあたり、あのときの自分は相当緊張していたんだろうなと思う。その後、吉田さんのPCに印刷ソフトをインストールしたり本人企画の音楽コンサートのチラシ等を刷ったりブログ用の論説を打ち込んだりと雑務をこなしつつ午前の仕事を終える。

 午後は講演会を拝聴するために市役所から町田フォーラムへと移動。その間吉田さんは道行く人に(主に学生に)挨拶をしながら歩いていた。本人曰く制服を見ただけでどこの学校かわかるとか。それはともかく学生の反応はあまり芳しくない。まあ道端で通りすがりにいきなり挨拶されたら戸惑うのも無理はないだろう。たとえ市議会議員でも道を歩けばただの人。女生徒たちは「何あの親父?」と思ったに違いない。

 話を戻して、講演は「ミニコンサートと鎮魂の集い」一言で言えば第二次世界大戦で兵役に就いた三橋國民さんの話を聞くものだった。戦争体験談は何度か聞いたことがあるが、兵隊だった人の話を聞くのは初めてだ。その話は……筆舌にし難くうまく説明することができないが、ともかく戦争映画とかでよく見る非常にスプラッタな光景は現実でも起こることであると、現実では映画でも見ないような残酷な光景が起こりうるものだと、そして三橋さんはそんな景色を見てきたということをまざまざと語られた。

 戦争犠牲者の慰霊・鎮魂イベントはよく行われるがその中で常に使われるフレーズが「戦争の悲惨さを後世に伝え続けなけらばならない。」である。そうなると自分含め今の若い世代も後世に伝えなければならないということであるが、今回の講演会を聞いて確信した。無理であると。百聞は一見にしかずとあるように戦争を知らない人たちが戦争体験者と同じ立場で語るのはそもそも不可能だ。平和に対する価値観・言葉の重み・どれをとっても段違い。戦争を知らない人が戦争を語り継ぐというあまりに難しいテーマをどうすれば達成することができるか。ぜひこれを読んだ皆様にもお考えいただきたい。そして方法を教えてほしいものである。 以上
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                             記:町田市議会議員 吉田つとむ 志政クラブ 
2012.2.10 コメント

 さて、新たなインターン生が登場しました。大学4年生で、この春から法科大学院に進学する予定になっている大谷優樹さんです。レポートは、「自由なスタイルで書いて言いよ」と話していましたが、このところのインターン生とは違って、いきなりの書き出しです。

 この日は、誘いを受けていた「ミニコンサートと鎮魂の集い」に参加しました。ソプラノ歌手である義嫁の三橋國民先生の歌がありました。もちろん、ピアノの伴奏が入ったものでした。三橋先生の話にあったように、戦地では、軍歌ではなく童謡などが好んで歌われていたとの話でしたが、その話にそった内容の演目が歌われました。三橋國民先生のニューギニア戦線の戦争体験の講演は、日本が侵攻した戦線の中で最もかごく(戦死者の割合が最も多い)なエリアであったとの話が印象的でした。

 大谷優樹さんと講演者の三橋國民先生の中間の世代が私の世代です。私にとって戦争体験の話は様々の方から、その人たちの人数に応じて様々に違った話を聞きました。自分が学んだ学校やメディアから見聞きした内容と絶えず比較して考えています。われわれが学ぶことも、それぞれに違ってもそれは当然のことでしょう。一つの考え方として、戦争世代の人も、さらに戦争の直接の体験者と言っても、私たちにそれぞれに違った事実を語ってくれる姿を様々に見てきました。聞いてきました。それでも、伝承は必要だと思っています。

 以上、初日と言うことで、この辺で終わりましょう。

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