2013.12.18 小泉愛佳 第3回インターンレポート
            町田市議会議員 吉田つとむ 研修生

 
         第33期研修生 小泉愛佳 フェリス女学院大学2年生

≪本日の研修内容と感想≫

 今回は、町田市役所の広報本多さんと対談する機会を設けて頂きました。将来マスコミ関係志望の私にとって、この経験は、実りあるもだったと感じています。広報というお仕事を余り知らなかった私にもわかるように、まずは似た系統の広告との違いを手にとって資料を使い、丁寧に説明して頂きました。

 広報のお仕事の一つ、企業の謝罪会見での内容すべてを考えている件について、中にはどうしても企業側の起こした事故等に納得がいかず、引き受けるのを躊躇するような会見も多々あるそうです。
そんなとき、本多さんが上司から言われた言葉として「その人達(問題を起こした企業の人間)を助けてるのではなく、その家族を助けているんだ」と言う言葉です。私にとってもこの言葉は今回のお話の中で印象に残るものの一つだったと思います。

 また、本多さんに広報と言う仕事のやりがいを聞いたところ、以前、新しく出来た医療機械が従来より病気の早期発見に優れたことについて述べた記事を書いた時のお話をして頂きました。その記事を見て、ある患者さんがその機械を使うために検診に行ったところ早期での病気発見に繋がったそうです。

 その方は本多さんの書いた記事を見なければきっと病院にいくという機会を作らなかったのではないかと感じます。発信側に立つ使命、やりがいはまさにそこにあるのだと私は感じました。

 私がメディア関係に就きたい理由の一つは現場の声、状況を伝えたい、それにより一人でも多くのひとが自分が届けた情報により何か行動を起こしてもらえたら幸いだという思いから中学の頃からの夢はマスメディア関係に就くということでした。その夢はもちろん今も継続中です。今回本多さんとお話をさせて頂いたことにより、一層その思いは強くなりました。

 また、この日は獣医でジャーナリストという佐草一優さんの追悼式が町田市民ホールで行われました。私も吉田議員と一緒に足を運ばせて頂きました。会場には佐草氏の獣医師としての生涯を写真や文章で展示されていました。佐草氏は、動物にとってよりよい環境とは何か、保護された動物達がまた自然へ帰り、元のように暮らせるのかなど様々な問題を抱え悩みながらも、日々動物のために動いている様子が展示を通して見てとれることができました。その後に行われた追悼式では、大勢の方が佐草氏を偲んで会場に足を運んでいました。佐草氏の長男は、父親の意思を継いで現在活躍父親と同じ道での活躍の幅を広げているそうです。彼にとって、父親「佐草一優」は偉大な存在であり、誇りある人物だったのだと感じました。それは、彼のみならず会場にいるご遺族初め、関係者の皆さんにとっても同じことだったと感じます。

 私もこの席に参加することができとても光栄におもっています。

 今回は、とても濃い一日だったと思います。このような機会を設けて頂いた吉田議員には感謝しています。

                               フェリス女学院大学2年 小泉愛佳(第33期研修生)
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2013.12.24コメント  記:町田市議会議員 吉田つとむ 

 この日、小泉愛佳さん(フェリス女学院大学2年生)は一部単独行動しました。つまり、私は時間の都合で同行できなかった次第です。小泉さんの希望の分野であるメディアのことを知るには、身近な存在では、町田市の本多広報担当部長が一番適していると思いました。本多さんは町田市の一般職員でなく、メディア出身で公募で選ばれた任期制の担当部長職を務める人材だからです。以前の経歴でも優れた人で、大変魅力あることがひと目でわかります。

 その話の中で、小泉さんが広報と広告の違いを説明してもらったのは、大変意義があったと思います。これからの学習でも役立つでしょう。

 その後、友人であった故佐草一優さんの追悼式に出向きました。小泉さんの世代では、「追悼式」と言う形の会に出たことはまずないと思います。お通夜や葬式とはまたまったく異なった形式やスタイルの会となります。この種の会では、出向く服装の選択が非常に難しくなります。その意味で、小泉さんがスーツで来たのは正解であったでしょう。私は、一般のダークスーツで出席しました。

 ここで、小泉さんは佐草さんのジャーナリストの側面に注目しています。私は獣医としての佐草先生と言う考えでいましたが、小泉さんのような視点も大切なことでしょう。

 なお話しは変わりますが、ジャーナリストと言うと、私が尊敬している人は、故人の黒田清氏です。黒田氏は、元読売新聞記者で社会部長を務め、黒田軍団と呼ばれる記者群を作った逸材です。その後、会社から疎まれ、自分で黒田ジャーナルを始め、「窓友新聞」を発行していました。私は、その一読者でした。決して、マスメディアの主流派ではありませんが、故黒田清氏を慕うジャーナリストは多数います。
 

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