2015.07.28 岡澤 優紀 第9回インターンレポート
            町田市議会議員 吉田つとむ 研修生

 
            第36期研修生 岡澤 優紀 明治大学3年生

≪本日の研修内容と感想≫

 町田市の野津田にある自由民権資料館へ訪問をしました。学芸員の方に説明をしていただきながら、中島信行と岸田俊子についての特別展を見ました。お話を聞いていくうちに、岸田俊子について興味を持ちました。彼女は平民で初めて宮中へと出仕をし、憧れの的になりましたが、病気のためにわずか1年でやめてしまします。おそらく鬱病であると推測されると説明をしていただきました。しかし、彼女は日本各地で講演をします。なぜ宮中の仕事を、病気を理由にやめたにも関わらず講演をしていったのかが疑問として残りました。




 彼らはこの武相地域において民権運動を進めていました。町田市と隣の市である相模原市はもともと一つであったとききました。確かに、市外局番も町田市は東京都であるのに相模原市民にとって町田市が裏切ったという印象が強くあり私もそう考えていましたが、当時の自由民権運動の勢力を衰えさせるために上の方で分断をしたのだと聞き、当時の権力はとても強く市民が口出しできるものではない市制であったことがわかりました。
 

                                 明治大学3年生 岡澤 優紀 (第36期研修生)
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2015.08.04 コメント  記:町田市議会議員 吉田つとむ
 
 岡澤さんが関心を抱いたように、私も岸田俊子に大変興味を持ちました。特別な学校教育を受けているわけではないのに、宮内庁に入り、時の皇后に孟子を御進講する役目を果たしていることです。さらに、折角なった役目を病気を理由に短期間で辞めてしまっていることが不思議でした。さらに、その直後に全国政治講演(政談演説)を始めていることで健康に問題があったとは考えられないからです。

 その政治講演は雄弁で、多くの人を引き付けたと言います。今の時代に、そのように弾圧を受けてまで人を引き付ける話の内容や、その話しぶりとはどのようなものでしょうか。どこかに、その文章や、レコードが残っていたら、是非、目にしたり、耳にしたいと思います。展示会の資料では、岸田俊子の演説会講演の様子を描いた絵や、あるいは当局から中止を求められることを風刺した新聞挿絵などがありました。


 その後、フェリス和英女学校(現在のェリス女学院大学の前身)で教鞭を取っていたとも記されていますが、とても博学であったことがうかがえます。

 岡澤さんは、この地域(武相地域)の自由民権運動に関して書いていますが、当時の政治に「自治体」と言う意識はなく、政府権力の考えに沿って考えらていたのでしょう。その自由民権運動の影響下、政府によって町田市は東京都、相模原市は神奈川県に分離されています。

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