オリンピックのホストタウンになっていても
地元との地域交流は無い
大半のオリンピックは都心で行うーコンパクトな大会ににするーこれが「コスト圧縮」をうたい文句でオリンピックを東京に呼び寄せ、喝さいを浴びました。
他方で、今は忘れ去られた、あの「オモテナシ」の路線に代表される形で出てきたのが、東京都内で外国人選手が練習会場とする都市(ホストタウン、キャンプ地)では、その選手と住民と地域において国際交流を図るというものです。
果たして、地方の国際交流と言うものはどういう内容で、現実はどなっていくのか、見つめ直していくべきでしょう。
町田市陸上競技場で開催された、南アチームとキャノンチ―ムの国際大会支援
2002年に開催された日韓ワールドカップのキャンプ中津江村ー
大々的に報道された理由の愉快さとカメルーン選手チームの活躍
いつも、話題にされるのは、バスで外国人選手がサッカー場に訪れ、住民がこぞって歓迎し、温かく歓迎し、それに選手が答えたことが全国的に報道され、その町が有名になったという話しです。大分県の山の中にある中津江村の話です。
町田市が、いくつかのに競技で選手の練習場として町田市内の競技場を利用してもらおうという構想の説明に使われたのも、その話でした。市議会の会議で、担当者(部課長)で、ホストタウンで地域が有名になる話が披露されたので、私はその中身を説明してあげました。
次の内容です。そのサッカーの外国人選手団と、中津江村が有名になったのは、特異なことがあったからです。2002年に開催された日韓ワールドカップの開催で、中津江村がキャンプ地に名乗り出て、カメルーンの選手団を向か入れることになり、準備をしていました。しかし、そのカメルーンの選手団はなかなかやってこなかった。どうなっているのだろうと思案を皆がしていました。すると、それは、サッカーの外国人選手団が参加しているチームとの報酬の話がまとまらず、ストライキに入って、日本に行けるかどうかわからなくなってしまったというものでした。当然、選手団を待ち望んでいた地元の中津江村では大騒ぎになったものです。
ワールドカップが開催される直前、ストライキが収まり、飛行機で福岡空港につき、そこから大型バスでカメルーン選手団が、中津江村のキャンプ地・サッカー練習場に直行し、無事に間に合ったという話であり、中津江村は村長いかが村民上げて大感激をしたというものでした。
しかも、この話は、そこで終わらず、カメルーン選手団はワールドカップの試合で勝ち進み、あれよあれよという間に、決勝リーグに上がっていったというミラクルなチームぶりを発揮してくれました。日本も決勝リーグに進出し、ベスト16まで残った年でした。
ユニークな話であったので、私自身、その中津江村の記憶が鮮明でした。カメルーン選手のこと、福岡空港からバスで中津江村の練習場まで直行し、坂本村長らが大歓迎をしたこと、カメルーンチームがまともに練習が出来なかったにもかかわらず、活躍して、決勝リーグに勝ち上がったこと等の説明しまいた。
ついで、今度は、私が質問しました。「他に、キャンプ地になった自治体でどこが有名になったの?」と聞くと、まともに答えることができませんでした。
その中津江村は日田市と合併したのですが、当時の村長として活躍した坂本 休 氏は、その後は政治家と言うより、大会誘致の文化人として全国から招かれる人材になられました。
要するに、大会のチャンプ地なることで、中津江村が有名になったのでなく、その外国選手達がなかなか来なかった、しかも、その遅延理由が選手の報酬未払いでストライキでしていたと言うことが分かった、話がつき、福岡空港に降り立つところから、村人がこぞって集まる練習場にバスで駆けつける、グランドで村長らと手を取り合う。その選手団が試合で大活躍をして、その後、村民との一大交流に国民皆が感激したという、延々とした話のわけでした。*この時の日韓共同開催と言う背景も、歴史的なものでした。
こんなハプニングがなきゃ、キャンプ地だ、ホストタウンだというのは、誰も覆えていないというのが、教訓です。
今回の東京オリンピックでは、地域との交流無し
現実は、その国際交流は今の段階でことごとく取り止めとされています。もちろん、新型コロナ感染を防ぐためのものです。そうすると、国際交流なき、外国人選手が練習会場として地域の施設を独占的に利用することは、オリンピック第一、オリンピックオンリーの施策になってしまい、多くの自治体は、東京都のために奉仕を強いられるだけの役割となっていまうことが予想されます。果たして、個別自治体は、そこまで、オリンピックのために、日常のスポーツを排除しても良いのかという疑問を持つべきであり、東京都に言うべきことは言う。要求するべきことはべきだと思います。