本日、中曽根元総理の逝去が大きく報じられました。101歳だということです。私は中曽根総理の時代に、最初の参議院比例代表選挙があり、そこに登場したサラリーマン新党の候補者人の中にありました。それをきっかけに、当選者の一人である八木大介参議院の第一秘書、そして政党事務局を務めることになりました。一方で、その3年後にはすでに政党事務局専従となり、衆参同時選挙となった、衆議院選挙に同党公認で出ています。それが現在の衆議院東京第23選挙区を含む、旧東京11区という巨大なエリアと大勢の人と直面しました。
選挙の終了とともに、サラリーマン新党は参議院議員が当初の2名とわずかに1名が増え、単独で3名となり、参議院の院内会派資格を取得し、国会議事堂内に単独の会派室ができました。そこが私の仕事場になりましたが、そこを去るまでの間、決して充実した仕事ができたとは思っていません。
ただ一つ、良き思い出があります。それは、国会で予算が通ると、総理大臣が主要閣僚を従え、各会派室をあいさつに回る慣習があり、そのたった3名の国会議員しかいないサラリーマン新党の控室にも、中曽根総理は主要閣僚(記憶では、竹下蔵相や安倍外相)を従え、丁重な礼を持って国会が無事に閉じることができた挨拶をされていました。
中曽根総理は国会の答弁は見事でした。必要な回答は自ら答え、多弁はせず、些細とすることは部下に任せました。そのことをその場で見たもの、知る政治家は皆、いかに安倍内閣が長命になろうとも、いかに選挙で大勝しようが、 逝去された中曽根総理と並ぶ尊敬の念を持つものは一人もいないのでしょう。 #中曽根元総理 #逝去 #サラリーマン新党 #候補者 #政党事務局専従 #衆参同時選挙 #院内会派資格 #会派室 #町田市議会議員 #吉田つとむ
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