昨日のTVニュースで、戦渦のアフガニスタンで殺害された中村哲医師(73)の告別式の様子が映っていました。先日来、 中村哲医師が福岡出身であることはこの間、何度も報道されてきましたが、そのTV ニュース を妻と一緒に見ていたら、妻があの葬儀場は、私が済んでいた地区にある葬祭場で、私の母を送り出したところではないかと言いだしました。そう言えば、 故人の中村哲医師を乗せた霊柩車が見送られながら出て行く時の映像を見ると、その建物の入口の勾配がそっくりだと言いだしました。
ネットの新聞記事を見ると、その場所は福岡では以前からある大きな葬祭場で、福岡市中央区古小烏町70の1、ユウベル積善社福岡斎場でした。以前は「積善社」でしたが、経営が変わったのでしょう。旧市内電車の古子烏電停の側にあって、私が住んでいたアパートから5分もかからない場所にありました。*その路線には、地下鉄が走り、駅の場所は少し次の旧電停の寄りになったのではないでしょうか。
母を一人残し、私は昭和58年に、自分もその比例区名簿登載者の一人(落選)になった参議院選挙の終了後、当選者2名の内の八木大介氏の公設第一秘書、兼政党事務局として上京しました。その後、紆余曲折が続き、町田市に越した後、3度の選挙(国政2度、市政1度)で落選し、捲土重来を期して活動中の平成4年11月に、母が危篤となり、急きょ、妻と福岡に戻り、母の死に立ちあいました。その後、簡素な葬儀を行ったのが、この積善社でした。母にはなにも成果を見せることなく、分かれることになった次第です。
故人となられた、偉大な 中村哲医師のことを書くべきところ、私の母のことと、その葬祭場の話に終始しました。#TVニュース,#アフガニスタン,#殺害された,#中村哲医師,#告別式,#福岡出身,#ユウベル積善社福岡斎場,#市内電車の古子烏電停,#町田市議会議員,#吉田つとむ
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