3期連続TOP当選 吉田つとむとは?

直近の平成30年町田市議選(7期目)を3期連続トップ当選。個別対応形式のインターンシップが好評で若者育成を図る。自民党を排除された後、現在まで完全無所属、支持政党なし。過去各種選挙に13回立候補し、7勝6敗する。6期目に議長も務めて改選し、町田市議選史上最高票を獲得。議会内では「保守の会」に参画。ユーチューブ「発見動画チャンネル」を運営。零細企業営業マンを務め、政治経験が長い。ネット関係の著作、講演もある。

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片山光代さんの訃報に接して2020.2.12

町田市・東京都・日本
町田駅を上空から見ています。

平成6年(1994年)に町田市議会議員に初当選された、税理士の片山光代さんが亡くなられたという知らせがありました。お悔やみ申し上げます。

 この故 片山光代さんは、私と初当選が同じ、つまり同期生です。片山さんは市議を2期務めましたが、お互い当時は決して選挙に強い方では無く、むしろ下位当選でした。そうした会話をお互いに交わした記憶があります。

 それでいて、その片山光代議員は議会内で全て前向きと言うか、前のめりの発言・行動に何度も驚いたこと、おどろかされたこともあります。その中で、議長選出のことがありました。議長は立候補制でその演説を本会議場でやるべきだというものでした。「わかってないなー!議長は順送りで決まっているのでなく、党派(会派)間で死ぬもの狂いの戦い、抜け駆け、蹴落とし、夜討ち朝駆けの総力戦なのですよ」と思っていました。片山さんが初当選した時の議長選挙は壮絶でした。前期の議長は大逆転があったとのことで、私が入会した系統の会派から議長が滑り落ちていました。私は入会した会派が、前回議長選挙で敗れた議員がようやく議長に就任することになりました。その後の後半の議長選挙では、一件平穏にも見えましたが、私がいた会派の中では壮絶な内部闘争が行われました。そして、議員が改選した時の選挙は特にまた違った戦いがあり、今までのライバル会派が解消して、私がいた会派が一挙に水ぶくれ状態になりました。これから会派をトップで担うはずの議員が傍流に追いやられ、中途入社組から議長が出る事態になりました。そうした間に、片山光代さんは別のステージに、さらにエリアも飛びぬけて、衆議院選挙に打って出ることになりました。*そうした会派抗争、分裂を経て、私が幹事長の時には、議長選挙は1票差で私がいる会派に決まりましたが、私がほんとの適齢期になった時には、他会派会派の引き抜きもあって、私は居続けた会派は議会内で最弱の会派になっていました。この4期目の議長選挙では、会派から私が推されることもありませんでした。まだまだ、この続きがあるのですが、この記事は片山光代さんの先見性を言うものでした。全国的には、所信表明演説を行って、議長選出を行う議会も出ているようです。

 片山光代さんの良さは、そうした議会内の話より、話のスケールがでかく、行政の会計が単年度予算の大福帳方式であることに対する批判し、公会計に複式簿記による企業会計原則を導入することを訴えたことでした。町田市議会、町田市政にはその主張が組み入れられませんでしたが、当時の菅直人さんに「公会計に企業会計を取り入れる」考えが見いだされ、民主党の公認候補として、衆議院選挙を戦うことになりました。不運にも、当時、東京では最強の自民党候補とぶつかることになり、それが片山さんにとって最後の選挙となりました。惜しい人材でした。市長選を戦う舞台を作れば全く違った展開になったのではないしょうか。町田市は今の市長の現職時代になってそれを導入していると誇っていますが、 片山さんが 町田市で活躍され続けておれば、全く違った展開になっていたでしょう。

 片山光代さんは、以前から本職の税理士として、都心に事務所を構え、ずっと活躍され続けておられたようです。政治の世界から見ると惜しい経歴となりましたが、改めてお悔やみ申し上げます。 ご冥福をお祈り申し上げます。
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