情報発信力が高いことで定評があるのが、河野太郎行政・規制改革相です。就任早々に、自分のHPに「行政改革目安箱」を開設したところ、4000件の意見が集まり、たった1日で停止となっています。常識的に考えて、それに目を通すだけでも大きな作業になり、その現実的な処理は行えるはずもなく、即座に停止となったものです。
次いで、内閣府のHPに設置されたのが、(縦割り110番という)専用のホットラインです。こちらも、2カ月で約7200件の意見と情報が良さられ、対応できなくなったものです。
これらは、即決、即効が売りのはずですが、結果的には、行政業務の停滞になりかねない事態に陥りかけたわけです。これは、トップの思いつき、あるいは持論を施策に展開、反映させる際に、どれくらいの反応があるか、量的、質的な要求がどれくらい集まるかが焦点になりますが、要はスタッフをどれくらい集めるかもよりますが、以前にいた職場から有能な人材を引き抜き、事務処理能力が優れていることを発揮してもらうものであり、単に、そのスタッフが事務処理能力が高くても、それを伝えられた先の現場に、与えられた課題を迅速に処理できる布陣が前提になっています。ただし、それは叶うべき体制でなく、大臣就任(防衛相から、行政・規制改革相)早々のメッセージが、行政役人を効果的に動かすことが前提の施策となっては、大臣本人が人気が高く、その情報発信に一般が反応し過ぎ、結果的に、行政運営(役人配置)の停滞を招く結果につながったものです。ただし、河野大臣の絶対的な人気度で、今回の失敗の評価は大きくならないでしょう。
私は、小さな新興政党のスタッフをしたことがあります。サラリーマン新党と言う、ずいぶん前に、10年間も持たずに破たんした政党ですが、そのスタート直後、私は、2人の所属議員の内の一人の公設秘書(第一秘書、まだ、政策秘書が無い時代)兼、新設事務所設置準備の時期から、たった二人の事務局員(私と、女性1名のみ)として、職務をしていました。事務所開設して間もなく、ある日、新聞に載ったことで「サラリーマンの駆け込み寺」が党の事務局に設置され、年中無休で対応するというものでした。当事者である、二人に事務局員(上記のように、私はその一人)は何も知らず、その内容も新聞記事の範囲でしかわからず、どのように対応するべきかも不明のものでした。
私は、直ぐに党首に連絡を取ると、またまた、メディアにヒットしたもので、「しばらく、(休みなく、休日も開けて)対応してくれ」と言うものでした。現実は、多数の駆け込み電話を単に受けるのみ、その具体的な対応ができるはずもないものでした。電話がつながり、その対応をしただけで、満足される方も大勢ありました。当時、昭和58年は、まだ、小事務所にFAXがようやく入ったほどの時代で、個人の送信者側がそれを持っていない様相でした。一般紙に次いで、スポーツ、週間誌に一巡し、1ヶ月ほどで収れんしましたが、具体的な政治的な施策成果なく、国会議員が何度か、メディアに登場したのみでした。
私は、秘書や政党事務局の事務局員を経ていますが、自分の職務の行動に関して何も知らない内に、こうした業務をやることに辟易していましたが、外面的には職務だと淡々としていました。思うに、実権を振るう人は、その収束、あるいは目標成果は何を得たいか、単に、メディアで出て自分が売れたでははかないものだと理解していました。
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