私の20歳代は、ずっと「人形界」でした。「人形界」と言ってもなかなかお分かりにくいと思いますが、日本人形、フランス人形、そして博多人形がデパートの人形売り場の主役でした。
他方、特設会場には、羽子板、ひな人形、武者人形、盆提灯が季節ごとに販売されていました。その中では、ひな人形が金額的にもっとも高価なものでした。なお、私が知っている「吉徳人形」は、人形、際物、ぬいぐるみの総合商社でした。
その人形売り場の先には、リカちゃん人形やバービー人形の着せ替え系の人形がデパートでは、大きな面積を占めていました。キャラクター系はまだ主流派では、無かったと思います。
次いで、ぬいぐるみが並び、その先には「おもちゃ」=玩具やゲーム類があり、その先の片隅に、花札・トランプがあり、ひっそり商いがされちました。その中から、老舗の任天堂がゲーム機の開発から今のニンテンドーに飛躍するなど思いもよりませんでした。
私は博多人形の専門卸の零細企業で働いていました。会社は他に、博多人形のガラスケースに加えて、フランス人形と日本人形のガラスケース、一部の民芸品も扱っていました。サービスの一環で、割れたガラスの取り換え、ガラス切りを使ったガラスのカットを現地で行っていました。そのため、企業の応接間、お屋敷の床の間にも何度も入ったことがあります。ガラス屋さんが持っている先端にダイヤモンドの「ガラス切り」をいつも持っていました。つまり、特技ではなく、販売サービスの一環として普通にガラスをカットしていました。
2度のオイルショックと日本の家屋が和室から洋間に替わる時代に、博多人形は衰退していき、私がいた会社は会社整理があり、初の失業を経験しました。
民芸品の扱いでは、仕入れも担当していました。たまに、売り込みに来た人と話すことがありました。その中で、小型の「ふぐ提灯」はヒットしました。観光地に行くと、いつも、各地の民芸品を見つめていました。自社の商いになるのはないかという思いからでした。実際に、一時は、自分の販売高(実際には、粗利益)の3分の1くらいになっていました。もっと、突き詰めていたら、全く、別の人生があったかもしれませんが、懐かしい思い出に限られたものです。
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