本日より、東京都は緊急事態宣言、小池都知事は灯火管制も要求するが、防犯も大事であり、いつも通り防犯灯を灯した昨日~今日です。
さて、昨日は、ひなた村カリヨンホールで開催された、ひなた村劇団第40回公演「青踏の女たち」を鑑賞しました。
改めて言うまでもありませんが、青踏と言えば、明治の終わり、平塚らいてうが提唱し、先進的な女性が参集して女性のために発行された雑誌「青踏」のことで、一世を風靡したことで有名です。世の中の常で、少なからぬ人が、貧困が待ち受けたり、絶命させらる運命も待ち受けているものでした。平塚らいてう自身は、様々の苦労するものの、戦後まで生き抜き、婦人運動を最後まで貫ている姿を示しています。
この「ひなた村劇団」は、一般の人が集い、町田市のひなた村カリヨンホールに練習の居を置いて、今回、第40回公演を迎える伝統を持つものです。もちろん、この伝統を作り上げてきた背景には、今日以前にそれを指導した「高垣葵氏」の存在があったように思われます。なお、私は、今回も出演者のお誘いがあって、鑑賞予約をしたものです。中で、数人の人と遠目であいさつをする機会がありました。「お忙しいのに、来られていたんですね」と言われたり、時節柄「頑張ってください」と複数の方から声をかけられました。最初の言葉も、それが背景にあった語感に受け止めれました。演劇は、やはり、余裕を持った存在のようでした。平塚らいてうは、自身の家に石を投げつけられることも起きています。今でいう、ヘイトに遭遇しているわけです。私など、単に、相手から無視をされる存在にすぎません。
思うに、青踏の時代は、この中に登場する人物の一人である、松井須磨子の生きざまにもあるように、社会批判への対抗の立場でもありました。スポットライトを浴びる分、批判の言葉も受ける状況が続いています。この中に登場する人物は、「恋愛」が人生の、生活の中で重要な位置を示しており、「愛に生きる」行動が優先しているものに見えてきます。ある意味、今の時代の方がより禁欲的行動を求めるようになっている感じもしています。また、この「青踏の女たち」の登場人物で、田村俊子という作家が、高慢ちきな存在として登場していますが、その態度も青踏の存在の中で得難いもののように感じを受けました。
この「青踏の女たち」の中で最も思い入れがあるのは、伊藤野枝です。この舞台では、平塚らいてうを慕って田舎から出てきた、特別の才能も無い存在に描かれているのですが、良く、下働きをしている姿が目立っています。歴史を見ると、平塚らいてうが青踏社から身を引くことになった後は、伊藤野枝にその経営を譲っています。また、その伊藤野枝は、同じく交流があった神近市子から大杉栄が心変わりをしたとして、神近から嫉妬を抱かせています。のちに、その大杉栄、伊藤野枝は、6歳の甥とともに、関東大震災時に突然、憲兵隊司令部に連行され、撲殺、古井戸に放り込まれる、有名な甘粕事件の犠牲者になっています。私は、その子どもの一人である、青木魔子さんとは、今から50年以上前に出会ったことがありました。博多人形の制作者で活躍しておられました。私が、博多人形の販売会社で働いていたことで、かすかな縁があったものですが、その根源にあったのは、当時の博多人形制作工房の中に、アナーキストの人物で、何社も成功した人物がありました。そうした中の一つの大きな工房の人形作家として、青木魔子さんは存在していました。姓の青木というものそうした工房の一つでしたが、私の記憶にあるのは、魔子さんは、もっと大手工房の副島におられたように思っています。彼らが事業家として成功されたのは、アナーキズムの思想の中で、サンジカリズムの伝統が行かされたのでしょう。(追記:こうした記述をすると、私が博多人形界の販売=卸売業の世界にあったのは、そうした人脈の中でのことと思う方が出るでしょうが、それとはまったく異なる縁で、その販売業界に入り、その卸屋=問屋が閉業するまで勤めていました。その後、人の縁で全く別の業界(印刷業界)に移り、社長の死亡・他社に吸収を期に退職した次第です。そうして経緯で、博多人形とは無縁の世界に移り、旧アナーキストの人材も歳を経てしまっておられました。
話は戻って、この青踏は多彩な人物が結集しました。少し足りな点は、そこから新たな人材が多数誕生したとは言い切らない点が気になります。それは、ここに結集した人材が卓越しすぎて、後に続く世代に広がりが目立つことができなかったと思う次第です。皆さん、いかがでしょう。
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