8月6日は、アメリカによって広島市に原爆が投下され、8月9日には長崎市に続いて再度の原爆投下が行われ、多大な犠牲者、そして被災者が出ています。さらに、その後の世代にまで及び原爆の爆発による放射性物質による後遺症が発生しており、その後遺症被害を巡って、国がその存否を争う姿勢を直近まで争い、あるべき解決まで本当に至るものかどうかも明確にされないものです。
私は、高校1年生の時に、広島・長崎を訪れています。その際、原爆資料館もそれぞれ見ていますが、悲惨の言葉では言い表せない残忍な状態を知ることができるものでした。その時の年齢では珍しく、原子幕禁止の大会に参加する目的で、その両市を訪れていた次第です。
その後、社会人になってからは、長崎は月1ほどで訪れていました。唐人館、四海楼を主に、土産品店を主体に博多人形を卸す仕事を10年やっていました。
さらに、その後も職を変えますが、サラリーマンとして生活しながら、新党創設の取り組みに参加しています。昭和58年参議院選挙に比例区選挙が導入実施されることになったことと、その選挙に「サラリーマン新党」という政党がノミネートするということのPRを全国に先駆け、いち早く実施することになり、正味4日間(5泊)ほどをかけて、九州を一周しました。看板は、サラリーマン新党のPRでしたが、長崎の長崎平和記念像がある長崎平和記念公園をスタート地点としました。33歳を迎える直前でしたが、実はたった一人でそのスタートを切った次第です。2名の参議院議員が当選。
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