4期連続TOP当選 吉田つとむとは?

過去各種選挙に15回立候補し、8勝7敗する。直近の令和4年の市議選に出て勝利し、4期連続トップ当選。個別対応形式のインターンシップが好評で若者育成を図る。自民党を排除された後、現在まで完全無所属、支持政党なし。6期目に議長も務めて改選し、7期目に町田市議選史上最高票を獲得。さらに、8期目は7期目を上回る史上最高票9206票を達成。議会内では「無所属」に参画。ユーチューブ「発見動画チャンネル」を運営。零細企業営業マンを務め、政治経験が長い。ネット関係の著作、講演もある。

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代表同士(れいわ山本×立憲枝野)の醜悪な共闘関係が選挙区選定に現れる、自分の過去の体験2021.10.10

政治問題

 直近に迫った衆議院議員選挙ですが、自民党では選挙区で同士討ち、野党では共闘関係のひびが起きています。とりわけ、衆議院東京8区(杉並区の大半のエリア)の候補者選定が問題となっています。それは、野党の中で、立憲と共産の双方が候補者を出すとしてきたものを調整の可能性を図るところ、直前になって選挙区を発表する、れいわの山本太郎代表が自身の立候補する選挙区をこの 衆議院東京8区(杉並区の大半のエリア) にすると、選挙区外の新宿駅頭の街頭演説で発表したものです。

 立憲の枝野代表は、それを「困惑」と表現し、立候補予定者の処遇をどうするべきかを迷う発言となっています。それに対し、 れいわの山本太郎代表は、別の有力立候補選挙の可能性がある江東区の演説会の会場において、東京8区に自分が立候補することの話は立憲にはついているし、「困惑」と同じ言葉を返しています。

 もう選挙は、あと10日で始まる話であり、陣営によっては選挙ポスターや選挙チラシは出来上がっているか、印刷の打ち合わせ中です。それどころか、それらを貼りだす運動員・支持者の手配も進んでいるはずです。*現実に、東京8区の中では、立憲の支持者が街頭活動やツイッターでのれいわ山本代表への一本化反対の行動を取っているという混乱ぶりが生じています。

 この話は、マスメディアのニュースで取り上げられるものであり、報道やワイドショーに出たがりと見られているれいわ山本代表も、困惑を表していますが、野党陣営の共闘関係をぶち壊す内ゲバ状態を露呈するものであり、とても関連する立候補予定者にとっては、本番に入って選挙戦にならないものでしょう。

 思うに、この野党2党の両代表は、協調、協和が苦手な人たちでしょう。共産党にしても、東京8区は立憲に歩み寄る話が出ているところに、れいわ山本代表に変わるでは、共闘の基本が崩れるというものでしょう。こうした時の選挙の立候補予定者の心境を察するものです。心労が激しくなるでしょう。東京8区において、立憲の予定候補者は、このニュース以来、活動が停止されている様が出ています。果たして、どうなるのでしょう。他人事ながら、気になります。

 さて、なぜ、この東京8区の衆議院選挙の野党共闘関係の出来事に関心があるかと言えば、私は以前に、このエリアの衆議院選挙に直にかかわって、共闘の在り方に翻弄された、対峙した経験を持つからです。

 それは、自分がその創設にも係ったサラリーマン新党が、1983年(昭和58年)に初めて導入された参議院比例代表選挙で2議席(新人2名が当選)を確保し、その年の末に行われた衆議院選挙に、旧東京4区(杉並区、中野区、渋谷区)に公認候補者を立てたことがあります。候補者は、比例区の名簿登載者で4位にランクされた人でした。関西出身ですので、落下傘候補ということになります。私は、その選挙事務実務を担当し、選挙事務所の手配(西荻窪駅の近く)、候補者の住まいなども一人で手配したことがありました。自分自身は板橋区住まいで、両区を往復しての行動でした。結果は、善戦というもので、当選には至りませんでした。その候補者は、その後の党内の抗争で離党しました。

 1986年(昭和61年)の参議院選挙に合わせ、衆議院選挙が同時選挙として設定されました。私は、この選挙に出るべき、サラリーマン新党内で調整中であり、まだ解散がないだろうと思われていた時期に、なじみ深い旧東京4区で立候補する準備(私は、昭和58年に福岡から東京に出てきており、衆議院選挙区として具体的に知っているのは、この旧東京4区のみでした)をしていましたが、党首から、その選挙区は、「社民連」の候補者が決定しているので、他の選挙区に変更することにしてくれと言われました。党首が、その社民連の菅直人衆議院議員(旧東京7区)と親しかったことで、そうした一方的な申し入れがあったというものです。それでは、旧東京11区(町田市や八王子市、あるいは東京多摩地域の人口で半分以上になる、桧原村や奥多摩町を含む広大なエリア)を選挙区に決めると、そこもだめだと、菅直人氏から党首に話が来たというものでした。内容を確認すると、労組の電機連合が支持する社会党の山花貞夫衆議院議員がいる選挙区だから、そこはだめだというものでした。千葉県内で出ればよいではないかという話は現実論として出されました。ちなみに、その時、旧千葉4区にサラリーマン新党公認の候補(松戸市議)が立候補の準備を進めており、私とは同時期に公認となっています。ですが、私は当然また別のエリアになり、全くなじみも、縁もないところに行き、勝手にやれと他党のトップから指示されるような状況になてっていました。

 それでは、菅直人氏が選挙区とする、旧東京7区で立候補したいと主張しました。そこで生活をしたことはありませんが、一定のなじみがあったことに基づきます。そのままでは、収拾がつかないことになるので、私が旧東京11区を選挙区とすることが容認されましたが、党首からは、指示に逆らったことで、さらに反感を持たれました。*結果的に、サラリーマン新党は2名の衆議院選挙の候補者がそろうことになりましたが、もともと千葉県の衆議院選挙区旧4区で立候補する候補者は、 サラリーマン新党 の参議院選挙の後から加わってきた人物で、それに立候補する前提で加入したものです。そのため、党首が衆議院選挙において、公認候補の運動にかかわることはほとんどありませんでした。もっとも、同時選挙となった参議院選挙の候補者選挙で、当時は比例区の全候補の順位を党が他にはその選考プロセスが一切明示されない方法で決定されたために、立候補予定者が離党したり、あるいは除名だとされたり、候補者選定を巡って裁判沙汰に陥ちっていました。どうこう言っても、政治家にとって一度決めれば、そこが陣地であり、戦場ですので、私は町田市を含む東京11区のエリアで活動することにし、2度の衆議院選挙を戦いました。

 翻って、山本太郎氏は、東京都知事選挙の立候補で混乱しました。そのこともあってか、振るいませんでした。今回の衆議院選挙にあたっては、話題の選挙区で立候補するかのような言動をしてきました。安部元総理の側近で、辣腕ぶりが有名な萩生田経済産業大臣の選挙区をほのめかしたり、維新の本拠地に乗り込む様子を示していたりしてきましたが、その先鋭さを慕った人には、なんで相手が石原伸晃衆議院議員なのかと映るものとなっているように思います。最終的な衆議院選挙の結果は別として、 山本太郎氏の評価を自身で下げたことは間違いありません。

 他方で、立憲の枝野代表も評価を下げました、前回の東京第8区の候補者が落選して4年間活動してきたものを絶対支持ではなく、突発事故に遭ったかの如く、「困惑」では、立候補予定者の方がはるかに混迷で、暗闇に置いてけぼりにされた心境でしょう。これでは、大半の人は、身がすくんで人前に出ることもできなくなってしまいます。政権を取ろうという政党の党首がそれでは、リーダーシップに欠けるものだと思います。衆議院選挙は、まだ国会解散もしていない状況で、野党リーダーのふがいなさがあからさまになたっと言えるでしょう。

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吉田つとむHP         前町田市議会議員 吉田つとむのブログ

 

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