この記事は、バナナのたたき売りと港の特性(1)門司港2021.11.13 の続きです。ここでは、タイトル事態を変え、北九州市のあり様、下関市との関係について記載したいと思います。
その前に、この北九州市について記載しますと、北九州市というのは、五大都市(昭和31年9月1日、最初に政令指定都市になった5自治体ー大阪市、京都市、名古屋市、横浜市、神戸市)に続いて、政令指定都市になった自治体です。人口100万人を超える自治体がこの政令指定都市になれたのですが、国内で人口100万になる自治体は他に無かったわけですが、5市の合併で北九州市が実現すると、その要件が満たされる先鞭をつけたわけでした。下関市と一体になっておれば、もっとこの地域は都市化が進展したものとも思ています。私が、少年、幼年時代に下関市に行った記憶では、下関大丸がありました。九州では、デパートと言えば、地場の名門企業が経営していましたが、下関では異なっているのが特徴でした。海峡の巌流島を下関側から見たことがありました。
この北九州市の特徴は、対岸の山口県下関市と一体の体をなしています。そこで、本来は、この北九州市は、下関市を含めた6市が合併して一つの自治体を作るものでした。実際にこの地域の一体感は、関門鉄道トンネル(山陽本線、下関駅ー門司駅、戦前にできた世界で最初の海底トンネル)、関門国道トンネル(下関市ー門司市、1958年(昭和33年)に開通)がありました。私は、この 関門鉄道トンネル を通った時の感動を今でも覚えています。当時の山陽本線や鹿児島本線はまだ電化されておらず、この関門トンネルだけは電化されていました。ただし、この区間は交流ではなく、直流の電気をエネルギー源にしていました。そのため、トンネルを通る場合は、専用の電気機関車を使っていました。私の少年期は、九州管内では蒸気機関車が一般的で、その後、ディーゼル車が普及していたように思いますが、私が福岡市に住んでいた時期に、鹿児島本線の電化(鳥栖駅までの交流電化、今風の電車)が行われました。
関門トンネル(国道2号線)は、1958年(昭和33年)に開通しています。開通してほどなくして、私は姉に連れていかれて、この歩道専用トンネルを徒歩で歩き、九州と本州(福岡県と山口県)の県境を跨いだ記憶が大きいのですが、写真を撮ったか、取っていないかも定かでありません。通るだけで感動したものです。その後の先の九州管内は国道3号線となっており、鹿児島までの一本道となっています。
最近、姉が亡くなって、その遺品の中に、関門国道トンネルの開通時に、当地を訪れた写真がありました。関係者も兄弟である私を除いて誰もおらず、その写真をこの記事に掲載するものです。なお、この写真では、姉はかなり太めになっていますが、その後の姉はずっとスリムになっています。当時、仕事にもっとも充実した時期を送っていたようで、同じ福岡県内であっても遠方にいた私を小倉に何度も呼び、あちこち連れて行ってくれていました。良き思い出です。掲載の写真は、私が連れて行ってもらった時のものとは違っています。この場所は、国道トンネルの入り口に当たる場所であり、私は関門海峡の最短部の歩いて渡る部分で、エレベーターで下って行ったという記憶です。
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吉田つとむHP 前町田市議会議員 吉田つとむのブログ
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