3期連続TOP当選 吉田つとむとは?

過去各種選挙に14回立候補し、7勝7敗する。直近の令和3年都議選に出て、6位落選。平成30年町田市議選(7期目)を3期連続トップ当選。個別対応形式のインターンシップが好評で若者育成を図る。自民党を排除された後、現在まで完全無所属、支持政党なし。6期目に議長も務めて改選し、町田市議選史上最高票を獲得。議会内では「保守の会」に参画。ユーチューブ「発見動画チャンネル」を運営。零細企業営業マンを務め、政治経験が長い。ネット関係の著作、講演もある。

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(続)駅で憂国忌のパンフをいただく2021.11.26

用語の説明
富士山の遠景

 さて、駅で、憂国忌のパンフをいただくの続きの記事です。
  駅で憂国忌のパンフをいただく2021.11.25

 昨日、11月25日の憂国忌というのは、故 三島由紀夫と故 森田必勝の没後51年の追悼の集いです。令和3年11月25日 星稜会館の大ホールで開催とパンフレットに記載されています。

  故 三島由紀夫と故 森田必勝の2氏は、学生紛争が盛んだった1970年(昭和45年)11月25日に、作家・三島由紀夫氏が楯の会隊員ら合計5名と、自衛隊の市ヶ谷駐屯地内に入り、東部方面総監部を拉致して占拠し、隊員らをバルコニー前に集めることを求めた後、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後に、三島氏と森田氏がその場で割腹自殺をした事件のことで、三島事件、あるいは楯の会事件です。TVニュースでリアルに全国に伝えられました。自衛隊(員)には、反応が無かったことが印象的でした。

 この事件には、新左翼に多くの影響を与えました。それ以前の1969年には、大菩薩峠事件(赤軍派の多数が集まり、武装訓練を行うところ、事前に情報漏れがあり、その場に居合わせたものは一網打尽となった。その後、先軍派の一部(田宮麿ら)は、1970年(昭和45年)3月31日に福岡空港でよど号ハイジャック事件を起こし、朝鮮に渡った。当時、福岡市に住んでいたこともあり、その半容を知るものです。

 また、別の赤軍派の一部は、他の左派と合同し、連合赤軍となる。これが軍事組織化を目指し、山岳行動中に、内部でリンチ殺人事件を次々に起こし、最後は追い詰められ、あさま山荘事件を引き起こし、警察の一大捜査部隊の突入によって壊滅したのは、TVの同時中継で数日間に放映されました。
 学生紛争は、各大学内でことごとく鎮圧、制圧をされ、他方で、赤軍系の軍事路線は、部隊とメンバーの捕捉で壊滅していき、新左翼勢力の運動は一挙に衰退していきました。

 そうした意味では、日本において、極左、極右の運動が一般性を失った時期に相当したものと思います。

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  吉田つとむHP         前町田市議会議員 吉田つとむのブログ

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