4期連続TOP当選 吉田つとむとは?

過去各種選挙に15回立候補し、8勝7敗する。直近の令和4年の市議選に出て勝利し、4期連続トップ当選。個別対応形式のインターンシップが好評で若者育成を図る。自民党を排除された後、現在まで完全無所属、支持政党なし。6期目に議長も務めて改選し、7期目に町田市議選史上最高票を獲得。さらに、8期目は7期目を上回る史上最高票9206票を達成。議会内では「無所属」に参画。ユーチューブ「発見動画チャンネル」を運営。零細企業営業マンを務め、政治経験が長い。ネット関係の著作、講演もある。

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(1)町田市議会の議員の役職就任について2022.3.14

用語の説明
市美展会場を訪れた時の写真です。

 町田市議会は、その改選が2月20日が行われ、新たな議員が誕生しました。もちろん、引き続き継続して議席を得た議員も多数います。議員はまずは当選を目指しますが、期数を重ねるごとに経験を活かして、議会の役職や会派の役職を担っていくようになります。これは大半の会派に共通しており、ごく一部の会派を除いて、基本的にはキャリアが重要視されています。

 まず、1期4年の後半に入ると、新人議員は常任委員会(あるいは、議会運営委員会)の副委員長に就任することを目指します。1期に一人づつがいて、順次それが更新していく会派の場合は問題が少ないのですが、ある時は当選者数が多く、ある時は少なくなる時があります。私が初当選した時の会派(自民党)では、4人もいてそれに全員が満たされることなく、その時点で副委員長になった議員と、なれなかった議員がありました。先輩や会派の幹事長はその競合の矛盾をいかに避ける役職を配分できるかが苦心の元です。特に、町田市議会をはじめ、多くの地方議会では役職が会派の議員数に応じたドント方式と呼ばれる方法でえり分けられ、昔の自民党では、その幹事長の采配が重要視されていました。

 議員としての第一コーナーの1期目後半には、副委員長になることが重要でした。その他の役では、特別委員会委員長があり、当時は決算審査が委員会を組織して審査を行っており、それ等の特別委員長になった議員もありました。私は、副委員長の一人でした。

 2期目の前半には、委員長職の配分になります。そこで副委員長に就任する議員もあります。無事に務め終えることが自民党では肝要でした。後半の改選までには、どの議員も委員長を務める配分が行われます。それで、改選を迎えることになります。大会派の自民党では、会派に幹事長職以外に、副幹事長を置いていました。2期目後半では、一番の成長株議員は、幹事長につける議員も登場しました。私は副幹事長に終わりました。

 3期前半になると、同期生トップの議員は会派内で議長候補になり、現実に議長に当選しました。私は幹事長を目指しましたが、それもできなく、次いで、議運の委員長を目指した上で、先輩議員と争った末に、その役につきました。その時期に、議会中継の実現とそれをインターネットで果たすことでしたが、議長と連動し、任期中にそれを実現しました。その間に、所属していた自民党系の大会派が分裂し、私はそこに残りました。幹事長に就任しました。自民党系会派は議長候補を出し、1票差でそれが実現しました。薄氷の思いで、3期目を終えていきました。選挙の直後には、その議長もライバル派閥に移籍する事態になり、私が所属した会派はそのまま自民党でしたが、議長候補を出せないほど衰弱する事態でした。私の不運と言うか、低落と称すべきかと言う状況に陥りました。要するに、順次ポイションは巡ってくるという大部屋思想の染みつきでその弱さが生じていました。要するに、腕力と構想力の不足が目立った時代でした。

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