本日、(生まれて)初めて!、国立公文書館に出向きました。2022.5.3
今日の憲法記念日に合わせ、「公文書でたどる沖縄の日本復帰」という、沖縄復帰50周年記念特別展を見学しました。
昭和42年(1972年)に沖縄が日本に復帰してから50年、それを記念して開催された展覧会です。佐藤栄作総理が沖縄返還に向けて勢力を注ぎ込んだ資料を中心に、沖縄戦、アメリカ占領下(統治下とされています)、沖縄復帰と復帰に伴う法律案などが資料として展示されていました。
佐藤栄作総理の日記(寄贈品)がありますが、日記で克明に事象が書かれていますが、首相の並々ならぬ決意が見えてきました。併せて、自分の行動、判断が沖縄の人からどのように思われるか、多くが歓迎してくれるであろうという気持ちが表れていました。のちに、ノーベル平和賞が授与される評価を受けています。その功績は、沖縄返還に当たって、いわゆる密約が存在したとしても、評価されるべきものでしょう。
ただし、沖縄戦で司令部が崩壊し、司令官が自死してのち迄、沖縄の一般住民まで戦い中に巻き込み、大多数の人々に対して死地に追い込む事態を強いたことは、未来永劫忘れずの対応が本土(人)に求められるべきことでしょうが、果たして、私たちがその視点をどこまで持ち合わせているか、はなはだ疑問に思うところですが、むしろ、沖縄にはより財政的な支出がなされているという判断が優勢を持っていると思う次第です。
不思議に思ったのが、この展示のために作成された年表に、廃藩置県で琉球が沖縄県になったことが琉球処分と書かれていたことでした。琉球という国名が無くなったことでその言葉が使われたのか気になりました。思えば、かの紛争当時、1952(昭和27)年4月28日、連合国との「対日平和条約」が発効した日、つまり、沖縄などに関する施政権を全てアメリカが持つことが合わせて提起されたことを、第二次琉球処分と称されていました。併せて、昭和42年(1972年)の沖縄返還では、現存した沖縄の米軍の存在と地位がほとんど変わらない状態に対して、第三次琉球処分と見なす見解や運動がありました。ただし、沖縄返還と言う祝い事にかき消されたのがその後の沖縄戦後史であったでしょうし、かつまた、全面否定できない事情が沖縄の米軍基地の集中という課題があるでしょう。
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コメント
[…] さて、内容はこのインターン生のレポート(第2回)と、吉田つとむの当日ブログ記事(2022.5.3)をご覧下さい。 #インターン体験記,#国立公文書館見学,#日比谷公園,#ふるさと東京応援祭,#無料PCR検査、抗原検査場,#憲法記念日,#公文書でたどる沖縄の日本復帰,#沖縄復帰50周年記念,#吉田つとむ,#平穏そのもの, 吉田つとむHP 町田市議会議員 吉田つとむのブログ […]
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