4期連続TOP当選 吉田つとむとは?

過去各種選挙に15回立候補し、8勝7敗する。直近の令和4年の市議選に出て勝利し、4期連続トップ当選。個別対応形式のインターンシップが好評で若者育成を図る。自民党を排除された後、現在まで完全無所属、支持政党なし。6期目に議長も務めて改選し、7期目に町田市議選史上最高票を獲得。さらに、8期目は7期目を上回る史上最高票9206票を達成。議会内では「無所属」に参画。ユーチューブ「発見動画チャンネル」を運営。零細企業営業マンを務め、政治経験が長い。ネット関係の著作、講演もある。

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乙武ひろたださんを応援③:山本太郎氏との相違について2022.5.29

政治問題

 乙武ひろたださんと山本太郎氏との相違点では、同じ政治活動でも見て目の運動形態が著しいものがあります。乙武ひろたださんの活動は数人のスタッフ、それにSNSで協力参加の呼びかけに応じた人物が数人の状態です。とても東京と言う大きなステージで戦う人物、陣営とは思えないのです。そこらの無所属の市議選予定候補者でももっと多い人を集めているでしょう。それは、乙武ひろたださんが参議院選挙の予定候補者だと知られていないからでしょう。時が来れば、相応の支持が広がるものと思われます。それは、政党と準政党の立候補予定者が勢ぞろいするのが東京選挙区(定数6)であり、天王山でもあり、関ヶ原でもあるのでしょう。実際には、乙武ひろたださんは、たった一人の政党に所属をしない個人でも有名な立候補予定者であり、政党公認の有力候補予定者とそん色なく政治主張ができる人物でしょう。

 他方の山本太郎氏は、遊説場所に人を集めるのが上手い人物であり、街頭演説もその予定した場所にステージを置き、大きなモニターや音響装置で取り囲み、目立った幟を林立させ、さらに、多数の運動員を効果的に配置できる能力があります。3年前の参議院選挙の取組でもでも、各所でコマンドを配置し、あの雄弁で人を集めていました。私は、3年前の参議院選挙では、東京選挙区に立候補した野末陳平氏(元参議院議員)を応援(本人が街頭にほとんど出ないで、我々ボランティアの選挙カーの乗員だけでした)しました。結果は不振で、野末氏が東京選挙区の参議院候補者であったことを大半の人が知らず、知っても古の人の*ちなみに、参議院比例区は、現職の山東昭子議員の応援に可能な範囲入っていました。
 その際、都区部のターミナル駅で彼の陣営(れいわ新選組)の遊説に出くわしました。本人が到着する前に、前座が出てきて、「もうすぐ、山本太郎がやってくる!」と大声で呼びかけていました。それだけで、人が集まっていました。すごい反響でした。本人が到着して、演説を始めると大きなうねりになっていたようです。

 私は、1983年(昭和58年)の比例区参議院選挙で本格的に遊説にかかわりました。当時は、順位が完全に固定されたもので、新政党は10人の候補者(名簿登載者)を並べる選挙で、党として全国を回る、あるいは全国を区分して動く選挙でした。貧弱な勢力しか持たないサラリーマン新党と言う政党でした。実は、同じ時期の選挙に野末陳平氏は、「税金党」という名称でしたが、東京選挙区から立候補し、幸いにも、サラリーマン新党とは直接ぶつかることをしない選挙戦でした。サラリーマン新党は、その名称に相応しいというか、その静かなる戦いの選挙でしたが、だれもが驚く定数50の内2議席を得る選挙でした。地方を含めて、議員が一人もいない陣営で、参議院比例区選挙と言う国政選挙で2名も当選する選挙でした。私は、乙武ひろたださんの政治活動に、サラリーマン新党の立ち上がりを彷彿とさせました。

 他方の山本太郎氏は、その登場の過程から、政治運動で組織運動員を効果的に配置し、街頭演説などを盛り上がらせる手段に立てた、1983年の参議院比例区に挑戦した、平和と民主運動(MPD)の陣容(当時、冒頭1議席を取ると見られたが、結果はゼロ)と活動形態を今に伝える伝統を脈々と受け継いでいます。戦力を集中させることが得意でした。その平和と民主運動(MPD)は、新左翼セクトの共産同ML派に端を発する親中国派からスタートしたものでした。そのリーダーたる斉藤まさし氏は、スタート以来有名人への潜り込み戦術を得意とし、山本太郎氏とれいわ新選組の選挙を実質的に担っていると言えましょう。

  静と動、言うまでもなく、乙武ひろたださんが静であり、山本太郎氏が動でしょう。
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  吉田つとむHP         町田市議会議員 吉田つとむのブログ

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