4期連続TOP当選 吉田つとむとは?

過去各種選挙に15回立候補し、8勝7敗する。直近の令和4年の市議選に出て勝利し、4期連続トップ当選。個別対応形式のインターンシップが好評で若者育成を図る。自民党を排除された後、現在まで完全無所属、支持政党なし。6期目に議長も務めて改選し、7期目に町田市議選史上最高票を獲得。さらに、8期目は7期目を上回る史上最高票9206票を達成。議会内では「無所属」に参画。ユーチューブ「発見動画チャンネル」を運営。零細企業営業マンを務め、政治経験が長い。ネット関係の著作、講演もある。

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本日は終戦記念日、つまり日本が敗戦した日、かつ、初めて日本が無条件降伏をして被占領国を受け入れた日2022.8.15

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妻の友人から置くてもらった沖縄のマンゴー

 本日は終戦記念日、つまり日本が敗戦した日、かつ、初めて日本が無条件降伏をして被占領国を受け入れた日2022.8.15ということになります。(先行して1日前に書く)

 日本人にとって、枢軸国の一員として第二次世界大戦を終戦にもたらした最後の国家であり、当時の日本の意識からすると大東亜戦争(アジアを欧米から解放する)の破綻であり、また少なからぬ日本人にとっては戦争と言う呪縛からの開放であったと思われる。太平洋戦争と言う観点で見ると、その終結の勝利者はアメリカであり、環太平洋における戦後世界の主役が保証されたと理解するべきものだろう。また、一番長い戦争のスパンで見ると、日中戦争とも言われるが、中国の中で主役交代の闘いも行われており、それぞれが自分の存在と将来を勝ち取る存在であったと言えよう。ともかく、日本は敗れ、獲得していた外地(日本化していた)は全てを放棄し、連合国(実質、アメリカ)無条件降伏をして、日本と日本人に初めて、国家主権を外国に手渡す状況になった日である。当然、そうした被占領国になり果てる結果になった責任は、その当事者が負うべきであったが、占領軍(実質、アメリカ)による裁判が行われることで、戦争責任(敗戦)まで日本は都合よく放棄し、軍人や政府の要人が日本人から戦争責任を問われることも無く、戦後復興の中に合一してしまったということである。

 私は戦後生まれであるので、この戦争の経緯を直接知る立場になるが、「戦後」を通じて、先の大戦(第二次世界大戦・大東亜戦争・環太平洋戦争・日中戦争)を知り得る立場がもたらされたと考えている。

 我が家は外地からの引き揚げ者である。今の韓国(朝鮮)の釜山に住んでいたそうで、親のその親の代が、親子連れで韓国(朝鮮)の釜山に移住した記録になっている。当時あることで、大勢の子どもがあるが、私以外は全員(一人は戦後すぐに死亡)が外地生まれ、歳が離れていることで、私以外は外地の暮らしを知っており、かつ、引き上げを知っていた。それらは、皆、外地引き上げの標準的な体験をしており、親戚には引き揚げで亡くなったものもいるようだ。ただし、そうした死亡は特別のものでなく、どこにでもある光景であったと推察される。もっとも近いものは、今のアフリカや中東からヨーロッパへの「不法移民」のボートを思い浮かべるのが適当な感じとされている。多額の金を託し、命をその船舶業者にゆだね、玄界灘を渡ってきたという。悲劇と言うか、喜劇とした理解のしようがないものに、当時の日本の国債やそれに類する供出した書類を後生大事に柳行李内の入れ込み、他に貴重な品々を省いたことがうかがえるものでした。父は後で別々に帰ることになったらしいが、これまた、特別のことでなく、引き揚げが可能なものから、引き揚げ船に乗り込んだというものである。引き揚げと言うと、舞鶴港が有名であるが、私の親兄弟は、全て佐賀県唐津港に引き揚げていると聞くがそれらの写真も無ければ、記録も無い。親にとってみれば、当時の日本の国債やそれに類する供出した書類の方が、何より大事なものであったようだ。死ぬまで、その書類を持っていた。父親は唱和32年に死亡(それらの種類に関心を示した記憶がない)、母親は平成5年に死亡までと言うことになる。私がその一部=もっとも大事にしていたものはお棺に入れてあげたことで、永遠の煙になってしまった。

 引き揚げ地は、母の生まれた場所の近くである、福岡県筑後地方に移り住んだが、決して芳しい生活が訪れることは無かったと言えよう。ただし、父が生まれた福井市に行かなかったのは、それだけの理由があるのだろう。とはいえ、兄弟が引き揚げの途中で亡くなることなく、本土までたどりついたことをよしとするべきであろう。兄弟の思いについては、朝鮮の生活を一番と考えていたふしがあり、特に兄は人生の総括が釜山に尽きるようで、元の家にも立ち寄った、「この家は自分ちだった」と戦後の韓国で言い放なったと本人から聞いたことがあるが、それらもすべで亡くなったことで、戦後生まれ、内地生まれの私には、外地は全て過去のことになる。

 そういうことで、先の大戦(第二次世界大戦・大東亜戦争・環太平洋戦争・日中戦争)の結果は、親にとっては、国家には財産を放棄させられた、だまされて国債などを無数に持たされたという心境を死ぬまで持っていたと理解している。他の兄弟(昨年までに全て死亡)は、戦争は自分たちを富から貧の中に追いやったというのが、その総括であろう。私は、戦後の「無」から始まっている。
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コメント

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