国会の開設は1890年(明治23年)ですが、神奈川県議会はそれに先立ち、1878年(明治11年)に設置されています。当初の投票は選挙人(有権者)も、被選挙人の資格は地租納税者という選挙でした。その一方で、被選挙人は立候補ではなく、一定額の以上の地租納税者であればだれに投票しても良い制度になっており、当選しても辞退者も出ていたそうです。当時、議員の報酬は無く、議員の職務を務めると、商人などは収入を生む時間が奪われるためとのことでした。
また、投票は記名式で誰がどの人に投票したかが分かる制度になっており、政治は争いであることで凄惨な結果を生むことが起きたとのことでした。のちに、記名式は廃止になり、無記名投票になっています。
これらのことを町田市立自由民権資料館を訪ね、展示資料を見学しながら学芸員の方の説明で知りました。以前から、神奈川県議会議員の方のプライドが高く立派な態度の方が目立っていると感じたことがありましたが、それは国会に先立ち、投票者に制限があるとはいえ、民選の議員であったがための伝統がおのずとその自立心と気高さをはぐくんだのかも知れないと思い返しました。

以下は、学芸員の方の説明ではなく、自分が前から思っていたことです。
一方で、当時、県知事の方は敗戦後に至るまで民選ではなく、中央からきた存在となっています。その意味では、神奈川県議会議員その重みが違っていたと言えましょう。*他の地方も同様ですが、ある意味、この神奈川県が特異性があり、それはここが自由民権運動の一大拠点であったことが背景にあるようです。この町田市立自由民権資料館を訪れるたびに思いますが、実は当時の町田市というのは、神奈川県の中央に位置していた、現在の東京の西部である多摩地域は、三多摩(北多摩、西多摩、南多摩郡)と称され、町田市はその南多摩郡の一番南に位置していたわけです。そのエリア(三多摩全域)が東京に移管したものです。当時、住民投票が行われていたら、どうなっていたかはわからないというのが歴史の経過です。
#神奈川県議会,#国会の開設,#自由民権運動,#町田市立自由民権資料館,#三多摩地域,#学芸員,#民選,#町田市議会議員,#吉田つとむ,#被選挙人,
吉田つとむHP 町田市議会議員 吉田つとむのブログ
コメント
[…] 6月20日のインターンシップでは、同じ日に3カ所の見学、面談を実施にしました。1カ所の見学記録は、吉田つとむのブログにアップしました。 https://yoshidaben.jp/wp/2024/06/21/町田市立自由民権市資料館見学/ […]