2024.09.26宇宙航空研究開発機構(JAXA)を訪ねる:思い出を書きました。本日は、同行者を伴って宇宙航空研究開発機構(JAXA)相模原キャンパスを訪ねました。
私は、ペンシルロケットに注目しました。子どもの頃(1955年)に、ペンシルロケットを飛ばしたというニュースに心がときめきました。それはロケットの研究開発ができなかった時代からに、日本もようやく糸川教授らがロケットの開発を進めたもので、そのロケットがペンシルロケットとお呼ばれる、写真のものである。
しかし、世界の宇宙開発はアメリカ人も知らない間に、ソ連(現在のロシア)が宇宙ロケットの開発を進め、世界で最初の人工衛星(スプートシクス1号)1957年に打ち上げ、世界を驚かせました。私はこのニュースを聞き、ソ連(現在のロシア)のモスクワ放送に手紙を送ったものでした。
当時から、アメリカはVOA(ボイス・オブ・アメリカ)で日本語放送を行っていましたし、ソ連(現在のロシア)はモスクワ放送が日本語放送を行っていました。自宅には中波のラジオがあり、それでモスクワ放送が日本語放送を聞いていました。この、モスクワ放送が日本語放送を聞いていたのが先か、ソ連(現在のロシア)が人工衛星を打ちあがたのが先か、記憶が定かではありませんが、相互はそれほど異なった年代ではありませんでした。このモスクワ放送の日本語放送というのは、誰かに聞いて知ったのではなく、ラジオの周波数のダイヤルをいじっているうちに、偶然知ってそれからいつも聴きだしたものだと思います。何度も、その放送内容に関して、モスクワ放送に手紙を書いていた記憶があります。モスクワ放送からは、その都度、返信とパンフレット類が送ってきていました。
そうした意識が、自分を宇宙少年にしても良かったのでしょうが、自分の生活環境が急速に、次々、変化したことで意識が一新していった感がありました。小学3年生の途中で筑後市という小都市に引っ越し、多感なタイプになり、小学5年生を終える時期に福岡市に越しました。友達も一変していますが、それ以上に自分の生活環境が次々と変わり、性格は繊細なタイプにだいぶ変わった行ったようでした。そのころには、ロケットの事が頭をよぎることはほとんどなくなりました。
ですが、こうしたものを見ると、自分の少年時代の記憶が簡単に戻ってくるものです。
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