町田市議会:町丁名の変更問題 吉田つとむ 2015.12.30-2アップ 

建設常任委員会で課題になった、第79号議案:「町区域の新設及び変更について」
 2015.09.13ブログ記事を転換 
2015.09.11今期定例会の建設常任委員会が開催されました。これまで毎回住民請願が寄せられ、議論が続いたところでしたが、今期は1件も当委員会には請願審査が有りませんでした。議会伝帯でも少なく、国に意見書提出を求める請願が1件、他の委員会で審査するものが1件提出されたのみでした。

 建設常任委員会の所管部門の補正予算には質疑もあまりなく、まったく質疑が無かった「部」もありました。元来、この時期、歳入・歳出で大きなものが無いことが一番の理由になります。

 私は多摩ニュータウン環境組合(多摩清掃工場)の入札談合賠償請求にの住民訴訟に関する賠償金が組合に入り、それが町田市にも分配されたことの入金に関して質疑を行いました。

 以前に一般質問で、多摩ニュータウン環境組合に対して、その受け取りを辞退してはどうかと提案したことがあります。多摩清掃工場はいずれ設備更新が必要になり、その際、町田市もまた負担金を必要とするのだからこの際、それを辞退して多摩ニュータウン環境組合が積立金としてもらってはどうかと言うものでした。

 実際には他の構成団体で受け取りを求めたものがあって、今回、分配が行われることになったとのことでいた。町田市は言い出したわけではなさそうなので一安心しました。
 さて、一番大きな課題になったのは、第79号議案:「町区域の新設及び変更について」でした。町田市が進める内容(町谷と言われる地区が、南町田駅の北側にあるのに、南町田とする判断)で地元合意は取れているのか、と言う問いかけが前の建設常任委員会で質疑されましたが、了承されたと言う答弁が行われていました。

 しかし、今回、議会に議案として出される段階で、住民による町名の変更を変更を求めた「町名変更の請求」が提出され、結果的に、議会は行政の原案、住民の対案を審査する形式になりました。

 3月議会で、この「町区域の新設及び変更について」がその審査会で了承されたと言う説明があり、議会の委員会は何も異論が起きていないのかとの問いかけを行ったわけですが、今議会まで何も説明がなされてこなかったわけです。

 実際には、その進行に異議申立てを行った、地元要望が出されていましたが、行政判断で議会に報告するべき内容ではないと判断され、第2定例会の開催時期に説明が無かったものでした。私は、その間の住民に対する行政対応の経緯が、今回の「町名変更の請求」が提出に至った可能性を見ました。この件は、委員会が公聴会を開いて、意見を聞く機会を設定することになっており、その決定と日程を決めました。議長名で公述人池を求める告示がなされることに成りました。

 なお、公聴会の公述人となると、国会では、政党会派が選定した学者などが出席して意見を述べる(今回の安全保障関連法案審議の例)ですが、今回は当該住民の絞って一般募集し、しかも、議案に対しての賛否を事前に明らかに申し込みを受け、賛成・反対の口述が公平に時間配分されることを前提にしています。詳細は別の機会に譲ります。

 さらに、私は今回の例で、行政提案の議案は担当者の説明と質疑があるが、変更を求めた請求者にはその機会が設定されていないが、参考人としてその関係者を呼ぶことはできないかと提起しました。内容を確認したい委員の立場もありましたが、公述人が決まってからでよいとする意見が出て、それに議論を重ね続けるわけにはいかず、その意見に合わせました。

 市の広報で案内したり、当該住民を対象に全戸配布のビラを配って、先の公述人を募集する手続きが決定し、それが進行することになりました。地元では大きな政争になるでしょうが、町田市では初めての例のようです。議会の所管委員として、十分なる論議を行い、必要な調査を実施、その決定を行う責務が生じてきたわけです。

 より、関係住民の皆さんの意見を聞きたいと思っています。

 なお、この日の委員会で、私が住む成瀬が丘と言う地名の決定に関して、私が聴いている話を説明しました。私はこの町田市のこの住所に越してきた年に町名の変更があったわけですが、もともとは別の名前の自治会(南野自治会)があって、、その名称に合わせた町名になるところ、今の成瀬が丘に変わったとのことでした。その経過では、住民アンケートが実施され、この成瀬が丘に地元で決定したとのことでした。

 このエリアはもともと大きな範囲で「成瀬」と言う名称であったものが、区画整理で住宅エリアが開発された成瀬駅が前後して出来た当時、その成瀬駅の北側が「南成瀬」と言う地名に変更されていました。駅の北側にあるのに「南成瀬」、しかも駅の南側もまだ「成瀬」部分が住所がそのままでの残された次第でした。そのことが、将来的に「成瀬が丘」と言う地名を生み出す経緯になった次第です。

 合せて、隣接した場所で、横浜線の南側に「高ヶ坂」の領域があり、それが金森地域の地番整理で新たな町丁名が設置させる段階で、「金森東」に全域が入る構想が進んでいましたが、その一部の新興住宅住民の皆さんが成瀬が丘に入ることを望み、それが実現しました。もともとの「高ヶ坂」の地名地区と分離し、自治会の領域エリアの関係で「金森」になるのであれば、他の名称の地区に編入されることも住民合意の事ですので、成立した次第でした。その成瀬が丘となったエリアの皆さんは、参加自治会は成瀬が丘自治会となった次第でした。前後して加入されたか記憶があります。当時、新興住宅地住民の方から最初に相談があり、そのことに淡々とですが全面的に関わりました。

 今回の鶴間地区の「町区域の新設及び変更について」は、成瀬の場合ともいろいろ相違点があります。

 多面的に検討するべきだと指摘に、また、別の機会に論議を譲ります。
 
                                        町田市議会議員 吉田 つとむ  保守連合        2015年      市議会のページ  吉田つとむのHP