<概要>
江戸時代から発掘が始まった(発掘物が大量に一般や外国にまで出回った)亀ヶ岡石器時代遺跡は、教科書にも掲載される遮光器土偶が発見され、その土偶は現在、東京国立博物館に収蔵されています。その収蔵物は、縄文住居展示資料館、木造亀ヶ岡考古資料室に展示、あるいは収納されている。遮光器土偶は、そのレプリカが縄文住居展示資料館に展示され、それを模した大きな彫像が亀ヶ岡エリアに立っています。
近くには、田小屋野貝塚があり、今年の7月1日から新たな発掘作業が行われており、ロープを張った地点まで立ち入りができ、訪問者の利便性が確保されている。ここでは、住居跡のくぼみには大量の貝殻(小型のヤマトシジミの貝殻)が埋められており、貝塚の一角をなしています。また、田小屋野貝塚からは成人の人骨が発掘されており、つがる市縄文住居展示資料館(カルコ)に展示されていました。
昔は、汽水湖の十三湖の水域がもっと大きく、田小屋野貝塚の近くまで広がっていたと言う事でした。
成人の人骨が発掘され、展示されている。
<特記事項>
つがる市教育委員会のご厚意を持った提案で、発掘作業がこの7月1日より開始となった田小屋野貝塚(発掘調査状況)を追加し、さらに、つがる市の縄文住居展示資料館、木造亀ヶ岡考古資料室なども、案内見学をさせていただきました。
つがる市内の文化財関連視察では、教育委員会の文化財課 文化振興係長 羽石 様に全面的にお世話になり、遺跡の発掘現場では、文化財課 小林 様、そして、発掘作業の皆様、あるいは、案内所のボランティアの方々にもお世話になりました。
<所感>
「世界遺産 北海道・北東北の縄文遺跡群」の中で、2か所の史跡を有しているのが「つがる市」(H17. 2.11=2005年)で、遮光器土偶の出土で有名な「亀ヶ岡石器時代遺跡」と、縄文時代の遺骨出土で有名になった「田小屋野貝塚」が比較的に近くにあり、現地の縄文遺跡案内所では、ボランティアの方に案内していただける体制になっていました。
手にするのは、「世界遺産 北海道・北東北の縄文遺跡群」指定記念のオリジナルのリンゴジュース。
駐車場が整備され、土日祝日には、臨時のグッズや土産などの販売スペースが開かれるとの事でしたが、訪問日が平日で閉じられていました。
ただし、ツァーの観光バスや、マイカーも入れ替わりで、駐車場に出入りし、十分に観光施設になる様相を示していました。翌日の午前には、地元の木造中学校のバス3台が着ており、ちょうど見学を終えた時に居合わせました。遠来からくる修学旅行のコースに入っても不思議が無いでしょう。
その時間に見たのは1台のツアーバスでした。それ以外に、マイカーが数台一緒になりました。
現地の木造亀ヶ岡考古資料室は、旧施設の農業者トレーニングセンターを利用するもので、「縄文館」内と記載されており、将来の収蔵施設の代替えとなっています。
内部を詳しく見て回っていませんが、この館内に田小屋野貝塚で現在発掘調査中の収集品が集められ、分析調査が進められていると思いました。貴重な資料が収拾される事を願っています。さらに、亀ヶ岡遺跡からは、多数の石器、土器だけでなく、多数の漆器類が民間人によって発見され、全国、中には海外にまで及ぶ愛好家に広がったそうです。歴史家にはもったいないことですが、後代の人にも気に入られる美術工芸品としても造りの良さを持っていたのでしょう。
現在の亀ヶ岡遺跡は、岩木川沿岸の標高7~18メートルの丘陵上に立地しているとの事ですが、当時は十三湖はもっと広大で、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていたとの説明でした。
思う、旧来の石器時代、縄文時代の常識的認識と異なり、気候が温暖で、食べ物が豊富な領域が広がっていたと目される様に変化しています。
つがる市の車両です。
翌8日も、遺跡発掘現場に立ち寄りました。
現在、国立博物館に収蔵される、亀ヶ岡石器時代遺跡から発見された、遮光器土偶が地元青森県に帰り、その誇るべき地域文化が地元で日本の歴史文化の重要で、象徴的な文物として、末永くることを願っています
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