● 子どもセンター条例の改正案が、修正案の多数可決に至った経過

◎ この記事の要点(対象年齢が問題となりました)

 順調に人気がでている「子どもセンター1号館」(金森)に続いて、子どもクラブ(南大谷)がスタートすることになりました。議会での条例改正案の審議で、3名もの議員が本会議質議をしました。その人数は、まれ見る多さでした。議員が問うた疑問は、「なぜ、無理に中高生を入れないと決めるか、出入りは子どもに判断させれば良いではないか」まったくたく中高生を入れないのではなく、現場職員がここの判断をするとの考えには、議員側はさらに疑問が高まった次第です。「入れる入れないの選別をするのは、不当ではないか」、という批判的な問いまで出てきました。

 ■ 私は運営の問題点を提起し、教育委員長は条例案の改正の必要ありと答弁

 私はこの条例案に関して、本会議で3番目に質議を行うことになっていましたので、前の議員の質議を踏まえて、「誰を入れ、誰を入れないと言う選別を、現場職員にかすのは、現場に負担をかせすぎでないのか、果たして適切な運営が可能なのか」、と問いかけました。教育委員長に答弁を求めました。教育委員長は、「条例改正の必要がある」と答弁された、混乱を収束する方向の発言で締めくくられました。

 委員会では、一部の委員に、条例案を認めて意見をつけるという意見が出たそうですが、自民・社民ネット・共産の組み合わせで、条例修正案が3会派委員より提出され、賛成多数で修正案を採択したという次第です。 

 本会議でも修正案が可決され、行政提案の原案が修正されました。改めて考えると、私が議員となった以降、行政の条例(改正)案が修正されたことは、わずかな回数です。今回のように行政の考え方に対して、議会側が違った見地から運営に関する修正を求めた例は、私にとって初めての経験でした。

 議会にとって、提示した修正案を通してしまったということは、(当たり前のことではありますが)まことに画期的な事でした。

 

◎ この記事の見出し 

    1 争点は、「子ども」のとらえかた

    2 本会議質議の攻防(教育委員長は条例改正の必要ありと答弁)

    3 委員会で修正案の提起

    4 最終本会議の裁決(多数決)で、行政が提案した条例は修正で決着

    5 子どもセンターはどのようになっていくか(今後の展望)

 

1 争点は、子どものとらえかた

 平成11年5月に、子どもセンターの第1号館が完成し、小中学生の子どもたちに大変な人気です。小さなお子さん連れも目立ちますし、バンド演奏に夢中の高校生も幾人も見かけます。町田市は、この施設を旧町村ごとに1カ所づつ造っていくのですが、それ以外に、今回のような小型の施設である「子どもクラブ」もスタートさせることに成りました。

 施設が小さい分、どこかに制約があるのですが、ここではバンド演奏ができる施設もありませんし、バスケットボールができるような施設もありません。行政の考えでは、「中高生が来てもおもしろくもなんともない施設だから、だから、対象から外したのですよ」となるのでしょう。

 根本的には、それを決めるのは、子どもたちが決めればよいわけです。子どもクラブは小学生以下にすると、決めつけすぎないでもいいわけです。

2 本会議質議の攻防

 今回、提案された条例案は、従来の子どもセンター条例に、「子どもクラブ」を設置し、その項をついかするという内容でした。この条例案に対して、私を含めて3名の議員が本会議で「質議」を行いました。3名もの議員が同じ条例案に質議をすること自体、普通のことでありません。

 なにを問題にしたかというと、全ての議員の疑問は、「子どもクラブ」の利用者を小学生以下とした理由の根拠でした。子どもセンターでは、幼児から高校生までを対象としており、幅広い層を対象としています。子どもクラブでは、施設が狭い、音楽室もないとの理由で、小学生以下としたというのが、教育委員会の説明でした。

 本会議質議をした議員が発する疑問は、「なぜ、無理に中高生を入れないと決めるか、出入りは子どもに判断させれば良いではないか」、と食い下がりました。質議では、1人の議員が3回訪ねることが出来ますので、2人目の議員の質議に対して、まったく中高生を入れないのではなく、現場職員がここの判断をするとの考えが示されました。その答弁に、議員側はさらに疑問が高まった次第です。入れる入れないの選別をするのは、不当ではないかという批判的な問いまででてきました。

 私はこの条例案に関して、本会議で3番目に質議を行うことになっていましたので、前の議員の質議を踏まえて、「誰を入れ、誰を入れないと言う選別を、現場職員にかすのは、現場に負担をかせすぎでないのか、果たして適切な運営が可能なのか」、と問いかけました。教育委員長に答弁を求めました。教育委員長は、「条例改正の必要がある」と答弁されたため、質議に立った主旨が満たされました。

 後は、文教・社会常任委員会での、付託審議に託すことになりました。

3 委員会で修正案の提起

 私は、総務常任委員会を担当しているため、同じ日に審議される文教・社会常任委員会での子どもセンター条例の改正案審議を見ることはありませんでした。委員会では、本会議質議の問題を受け、子どもの年齢制限を厳しく課した条例改正案の修正が過大になりました。一部の委員に、条例案を認めて意見をつけるという意見が出たそうですが、自民・社民ネット・共産の組み合わせで、条例修正案が3会派委員より提出され、賛成多数で修正案を採択したという次第です。 

4 最終本会議の裁決(多数決)で、行政が提案した条例は修正で決着

 委員会での結論は、幸いにも本会議でも同じでした。修正案が可決され、行政提案の原案が修正されました。改めて考えると、私が議員となった以降、行政の条例(改正)案が修正されたことは、わずかな回数です。平成9年の下水道部の下水道利用金の改正条例案と、平成10年の建設部の道路占用料に関わる条例改正案の修正でした。それらは、国や東京都の制定時期との関係で議会修正がおこなわれたものですが、今回のように行政の考え方に対して、議会側が違った見地から運営内容にまで修正を求めた例は、私にとって初めての経験でした。

参考:一度条例改正で決まったことが、議会請願の採択に伴って、別の時点で再改正を行った例が一度あります。テニスコートの使用を巡っての攻防でした。 バックナンバー ◎ 11/5/30 長期間の議論であった「テニスコート使用問題」を包括的にまとめた または、■ 私の議会発言とその成果、及び失敗の教訓 の中にある ● 市施設の公平な利用はいかに有るべきか?(テニスコート)を見て下さい。

5 子どもセンターはどのようになっていくか(今後の展望)

 子どもセンターは第1号館につづいて、2号館、3号館と出来てくるでしょう。予算が切迫したとしても、他の予算を削ってでも、子どもたちの成長にとって欠かせない施設です。また、子どもクラブも地域の皆さんの熱意でスタートしたのですが、子どもセンターの配置では、小学生の生活領域としては広すぎます。近隣の子どもにとっては良い施設でも、遠方の子どもには指をくわえて遠くで眺めるに過ぎません。「子どもクラブ」を充実していくのもたいせつなことと思います。ますば、この施設が順調に育っていきますように!

(「子どもセンター条例の改正案が、修正案の多数可決に至った経過」の記事は、この行で終わります)


● 常任委員会審査と、

   代表者会議のあり方を巡る攻防

 平成11年9月議会において、都市計画税の税率改正を巡り、様々の問題が発生しました。その中に、条例案を審査する所管の総務常任委員会と、代表者会議(各会派の代表者が出席する協議機関)の関係というものが問われました。

 「議員提出議案・都市計画税税率案は、両案否決」のタイトル記事の中で言及している問題ですが、両者の関係をここで若干の整理をすることにします。

◇◇議会の構成◇◇

◆ 本会議

 40名の全議員が出席し、各議員がとも1議員として対応します。本会議に提案された条例案や予算案等の議案は、基本的に下記の委員会で審議されます。

 誰でも、1つの議会で1回(最長質問時間は40分)の一般質問が出来ます。また、委員会の審査を前に、自分が所属する以外の常任委員会所管の、提出議案に対する「質議」が自由に行えます。

 委員会に付託しない即決議案の場合、そのまま表決を行います。討論があり(特に出ないケースもあります)、賛否が問われます。出席議員の過半数で成立です。まず、町田市の場合、本会議を欠席する議員はいないため、議長を除いて、39名の過半数である20人の起立で、成立となります。

◆ 常任委員会

 町田市には、それぞれ定数が10名の4常任委員会(総務、文教社会、環境・企業、建設)があり、各議員は議長を含めていずれか1つの委員会に所属します。

 委員会では、委員長を除いた9名で採決が行われ、5名で過半数となります。事情によって、1名の欠席者や退席者が出ると、可否同数のケースが生じ、委員長の判断で決します。ただし、委員会の決定は、最終決定でなく、あくまで委員会における決定に過ぎません。委員会の構成は、会派の所属議員数にばらつきがあり、本会議の採決で、委員会報告の結果と反する結果を出すこともあります。

 * 事例として、■ 私の議会発言とその成果、及び失敗の教訓 の「● 市施設の公平な利用はいかに有るべきか?(テニスコート)」をご参照下さい。委員会報告で否決すべきとした請願が、本会議で「反対討論」をし、逆転の結果を得たことがあります。


 その他に、定数10名の議会運営委員会があり、会派の人数に所属議員数が決まっています。閣議案の取扱は、まず議会運営委員会で協議されます。行政から提出されるものは、行政側の担当部署がまず決まっているため、所管の委員会は自動的に決まりますが、とくに、住民から提案される請願の場合、審査をどこで行うかは、その都度、協議の対象となります。最近では、「議員定数の削減を求める請願」をどこで取り扱うかで、随分と協議が重ねられました。また、議会の運営に関する規則・要項などが長年の積み重ねで策定されています。

◆ 特別委員会

 継続的に存在している災害対策委員会があります。他の都市では、特定の問題で長期間もしくは、継続的に特別委員会が設置されているケースがあります。多摩地域では、「基地」、「都市交通(モノレール建設を含む)」、「市街地開発」等が、その例です。

 他に、平成11年3月議会より、定数14名の議会改革特別委員会と、同じく定数14名の行財政改革特別委員会が設置されています。通常は、常任委員会で取り扱うものでも、特別委員会が設置されているものについては、その委員会で審議されるケースがあります。ただし、期限限定の委員会のため、目的が果たされると廃止されます。

◆ 代表者会議

 様々の内容を協議します。国会の国会対策委員会と幹事長・書記長会議をあわせたもの(それ以上の存在)に相当するのではないでしょうか。ただし、決定事項に関しては、全員一致の原則があり、意見が合わない場合、協議は終わりとなります。

 今回の都市計画税の税率改正では、議員提出議案であるため、当初、代表者会議で「統一案」の絞り込みが図られていました。市長の市政執行に対して、議会で2つの案が競い合うという事態は好ましくないと言う共通な認識があったためです。

 自民党側は、現状より少しでも税率を低くする。そのため、税率自体に関しては「妥協しても可」と言うスタンスを取っていました。一方、公明党などは現状の0.25%の線は譲れないとするものでした。

 通常、期間3年のものを1年とする暫定案も模索されたようですが、いずれも「来年」をどうするかで、最終決着が着きじまいとなりました。

 いずれにしても、代表者会議は、全員一致の原則があり、代表者会議で決定されたことは、会派全員が拘束される内容となります。逆に、代表者会議で一致を見ないものは、通常の議会のルールで決することになります。

◆ 経過

 今回の都市計画税税率改正の議員提出議案がそれであり、本会議に出され、所管の総務常任委員会で審議することになった経緯です。別記のように、総務常任委員会では、税率0.25%とする公明党等の提出議案が多数となり、その結果を本会議に報告する次第となりました。

 ところが、今回は、総務常任委員会の決定と、本会議の判断が逆転する可能性、可否同数となる可能性、いずれにしても僅差の結果が事前に予測され、総務常任委員会の終了後に、最終日の朝にかけて、委員会における再審査を望む方向となった次第です。

 この後の経緯については、 「議員提出議案・都市計画税税率案は、両案否決」の記事で、詳述しています。

 今回の経過を踏まえ、自分がどの立場に立つか、どの方針が採用するのが適切か、という事態で、直接の判断を下すべき当事者となりました。様々の情報が乱れ飛び、これが適切だとする意見が飛び交い、一瞬の判断が引き返せない事態を生じさせる結果を引き起こします。

 今回は、本会議で両案を否決−通常の事態でないことは自明ですが、この事態を受け入れるほかはなかったということが結論でしょう。住民の皆さんにね経過を出来るだけ正確に伝える必要があると考えました。

 今回の事態は、本会議や委員会の記録を見るだけでは、大事な部分が欠落している考え、この記事を書き留めた次第です。

 別の議員からは、また異なった見方や意見があるかもしれません。特に、この種のケースでは、一般紙・地方紙を含めて記事になることことはほとんど無く、議会の広報でも、両案否決の結果のみが掲載されるに過ぎませんので、町田市議会(議員)の動きを示すという立場で、記事としたものです。

 私としては、一言の発言の重要性をかみしめました。 

(「常任委員会審査と、代表者会議のあり方を巡る攻防」の記事は、この行で終わります)


■ 私の議会発言とその成果、及び失敗の教訓

● 情報公開法の早期成立を求める意見書提出の顛末記

<記事前文>

 私は、「情報公開法を求める市民運動」(清水英夫青山学院大教授)というグループに関わり、今日に至るまでその一員として活動を続けてきました。みずから<情報公開のエキスパート>と名乗り、町田市や東京都などの情報公開条例・公文書公開条例に基づき、各種の情報公開請求、非公開処分に係わる異議申立の活動を行ってきました。

 さて、情報公開法の成立問題では、平成10年の開会に提出された法案が、年内には審議が進まずに、翌年まで継続審議となりそうな模様となり、情報公開運動の関係者には「最終的に廃案になるのではないか」、という強い懸念がありました。そういう中で、私は、「国会が動かないのであれば、地方議会で情報公開法案の審議促進と早期成立を求めるべきだ」と考えていました。とりわけ、町田市議会の平成10年12月議会の直前には、自分の心の中で、「なんとかしなければ」と考えていました。そこで、議会の開会に向け、「情報公開法の早期成立を求める意見書」の文章を準備した次第です。

<全体の要旨>

 当初、平成10年12月議会の冒頭より、この「情報公開法の早期制定を求める意見書」の提案は、全会派が提案し、全会一致の議員提出議案(意見書)として本会議に諮る、という形式で考えていました。

 その12月議会に提出する議員提出議案(意見書)の文面は出来たのですが、自民党会派以外には私の「発案」に署名賛同する立場の会派が出ないため、個別議員の賛同者を募る作戦に転換致しました。ただし、形式は当初の考え通りに、共同提案の形としました。自分以外の署名人として、同会派の斎藤稔幹事長、自民クラブの岩瀬雄二議員、無所属の大西宣也議員、同僚議員の長村敏明議員に署名をもらい、吉田自身を含めて5名の署名がそろえ、議員提出議案の締め切り日に提出しました。

 本会議では、今回の意見書には質議が出ることは無く、表決において保守系の一部に反対者が出ましたが、賛成多数で無事に可決しました。
 他の地方自治体の意見書では、「知る権利を明記する」、「閲覧・視聴に関する手数料を無料とする」、「不開示決定に対する裁判を請求者の所在地で起こせるようにする」等の内容を盛り込んだものが多く見られますが、この意見書の特徴は、「遅々として進まない、国会の審議を促進させる、なんとしても今回は成立を期す」と言う考えで作成しました。

 文面がオリジナルなものであったためか、国に送付したこの意見書の文面は、毎日新聞の本社記者の目に留まりました。その記者は、「意見書の文面が、なぜ他の自治体の文章と異なっているのか」と町田市議会議会事務局に問い合わせ、吉田を紹介され、「なぜ自民党議員が、情報公開法案の成立を求める意見書を提案したのか」等の質問を行ったという次第です。

 それらの取材の結果、平成11年2月5日毎日新聞朝刊1面、トップ記事のタイトル―――情報公開の早期制定を求め 13市区町村が意見書―――に至りました。 

 地方議会の声、市民運動家の声、法曹関係者の声等、それらの動きが、中央での情報公開法の成立につながってきたと考えています。

――本文の見出し――
<意見書提出経緯>
<結果−及び意見書本文>
<意見書の内容と、その後の成果>
<反省点>


――本文――

<意見書提出経緯>
    (意見書提出まで)

 当初、平成10年12月議会の冒頭より、この「情報公開法の早期制定を求める意見書」の提案は、全会派が提案し、全会一致の議員提出議案(意見書)として本会議に諮る、という形式で考えていました。すなわち、この件だけは、「私が意見書内容を下書きし、全会派の幹事長名で提案してもらう」、と言う形式でまとめたかったわけです。情報公開法の成立をなにより願う、私の考えでは、「地方議会として、全会派一致・全議員の賛成」と言う形で提案したいと思っていました。

 しかし、この意見書に署名をする会派がなかなか出にくく、苦慮しておりました。地方自治法上、定数40名の町田市議会では、意見書提出の最低人数は5名とされており、私以外のメンバーが4名必要になるわけです。もちろん、自由民主党会派だけで5名そろえることは簡単ですが、国に出す意見書の署名人として、自分が所属する会派のメンバーだけで出すのはなじみにくい(議会審議上、格好が悪い)と考えていました。

 その12月議会に提出する議員提出議案(意見書)の文面は出来たのですが、上記のように、会派として賛同する立場の会派が出ないため、個別議員の賛同者を募る作戦に転換したわけです。また、形式は当初の考え通りに、共同提案の形としました。

 所属会派(自由民主党会派)の了解で、私自身が冒頭に署名し、次の順序で個々の議員の賛同を得て回りました。

@ 自分以外の署名人として、自派の斎藤稔幹事長の署名をもらう。
A 好意的な感触があった、自民クラブ(同じ自由民主党員ですが、議会内では別会派)の岩瀬雄二議員の署名をもらう。
B 元自由民主党議員(現在は、無所属)の大西宣也議員の署名をもらう。
C どうしても他の会派署名議員が人数不足であったので、同じ会派の同僚議員である長村敏明議員に無理を願って、5名の署名がそろいました。
 上記の次第で、議員提出議員の締め切り日、ぎりぎりに必要人数がそろいました。

   (意見書提出後)
 会派ごとの感触は、次の通りでした。
○社民・民主・生活者ネット(7名)はほぼ賛成の雰囲気でした。
○公明(6名)からは、「国会で、自民党が反対しているだよ」と言われていました。
○市民派クラブ(5名)は不明でした。
○ 共産党(5名)は当初賛否が不明な感触でしたが、細野龍子議員の署名が本会議で報告されました。
○ 自民クラブ(4名)は、岩瀬雄二議員が署名されましたが、他の議員の感触は不明でした。
○諸派(1名)は、すでに署名をされた大西宣也議員となっています。
○ 自由民主党会派(12名)は、自分が所属する会派であり、意見書提案時に
 賛成の意向を確認済みでした。
 こういう経過で、この議案が通る見通しはほぼ立ちました。

<結果及び意見書本文>

 通常の場合、議員提出議案(意見書)は本会議最終日に提案され、委員会に付託をせずに即決をするのが慣例となっています。大半の意見書の場合、その内容に関して質議が出ることはありませんが、党派的対立関係の中でに出されている意見書や、表決の賛否数が微妙な意見書には質議が出るケースもあります。(以下は参考記載: 意見書の提案者は、その場で即答することになり、いざ、問題となる可能性がある意見書を提案する場合、「いざ、その時」となると気が引き締まります)

 自分なりに、質議への答弁するケースをあれこれ検討していましたが、今回の意見書には質議が出ることは無く、表決において保守系の一部に反対者が出ましたが、賛成多数で無事に可決しました。
 平成10年12月22日付けで、国に提出することになった意見書の全文を下記に掲載致します。(ただし、記載本文は私が議案として作成した文書から取り込みました―――字句の訂正もないと思います)なお最終的には、国への提出者は渋谷町田市議会議長名であり、提出先は、内閣総理大臣 小渕恵三 様、総務庁長官 太田誠一 様、自治大臣 西田司 様となっています。

◎ 情報公開法の早期制定を求める意見書(全文)
 

 平成10年3月、政府より提出された情報公開法案は、2度の国会で継続審議となり、今度の臨時国会においても先送りとする結論が出されています。
 この事態は、開かれた政治を求める国民の立場からすると、誠に残念だと言わざるを得ないものであります。
 私たちの町田市政においては、情報公開法の成立にさきがけ、情報公開条例を制定してすでに10年が経過しています。この公開条例に基づき、行政と議会がそれぞれに、何人に対しても公文書を公開する制度を確立し、住民に対して市政を解りやすくする努力を続け、着実な成果を得ています。同様に、全国の自治体で次々に情報公開条例が制定されてきたのは周知の事実であります。
 一方、経済界においても企業の情報開示(ディスクロージャー)が当たり前とされる時代を迎えており、いかに情報開示を実施しているかが、企業の信頼度のバロメーターと言っても過言ではない状況です。
 この情報公開法案は、国民世論が開かれた政治の確立を目指して、政府に制定を永く求めてきた法案であります。情報公開法に基づく情報公開制度が導入されていたならば、現在の国政の争点になっている様々な事柄をもっと国民に解りやすく、かつ問題解決の手段もより平易になっていたのは明らかであります。
 よって、町田市議会は、次期の通常国会において、是非ともこの情報公開法が可決・成立されるよう強く要望するものであります。
 以上、地方自治法第99条第2項の規定により意見書を提出します。
 
<意見書の内容と、その後の成果>

 この意見書の特徴は、「遅々として進まない、国会の審議を促進させる、なんとしても今回は成立を期す」と言う考えで作成しました。いくつかの自治体から出されている地方自治体の意見書では、「知る権利を明記する」、「閲覧・視聴に関する手数料を無料とする」、「不開示決定に対する裁判を請求者の所在地で起こせるようにする」等の内容を盛り込んだものが多く見られますが、法案の早期成立という観点から見て、適切な意見といえるのか、と考えて上記の内容にまとめました。

 合わせて、町田市の情報公開条例の制定経過と、その条例を市民が利用することによって、如何に開かれた市政のために役立っているかを明記しました。
 国に求める要求事項は少ないが、内容的には他の自治体の意見書にひけを取らない、オリジナルな文面の意見書だと今でも自負しています。
 平成10年の12月議会から、だいぶ立った1月上旬に、毎日新聞の本社記者の方から電話があり、私は「意見書の文面が、なぜ他の自治体の文章と異なっているのか」、「なぜ自民党議員が、情報公開法案の成立を求める意見書を提案したのか」等の質問を受けました。

 その記者の弁によると、
@ 情報公開法の審議が進まない中で、地方自治体からの国への意見書をそれ
 ぞれ整理をしていた。
A 町田市の意見書の内容が、他の自治体の意見書と要求内容と記載文面が著しく異なった内容だった。
B 不思議に思い、議会事務局に提案経過を尋ねたところ、自民党の吉田勉議員が提案したということを聞きつけた。
 と言う次第でした。

 私は、自分自身が「情報公開法を求める市民運動」と言う団体に加わっており、その一員として、自分が果たせることは出来るだけのことはしたいと述べました。さらに、「自由民主党は、情報公開に反対の考えを持っている訳でない」、「自民党は、性急な改革は避けて漸進的なものであってほしいと考えているに過ぎない」等と述べました。

 それにしても、その新聞記者の方に対しては、「記者」らしさを感じました。すなわち、地元駐在の全国新聞記者がだれ一人として気がつかないでいたき、全く離れたところで、多くの意見書の中からたった一つ異なった文面が気になった記者の注意力によって呼び起こされました。
 
 平成11年2月5日毎日新聞朝刊1面、トップ記事のタイトル―――情報公開の早期制定を求め 13市区町村が意見書―――が目を引きました。 
 
 記者は地の文で、唯一の吉田勉の氏名と党派名を明記し、次のように記しています―――昨年12月22日に採択された東京都町田市議会の意見書は法律の早期制定のみを求める内容。意見書提出の中心となった吉田勉市議(自民)は「法案には不十分な天もあるが、それらこだわっていたらいつまでも成立しない。自治体の情報公開条例も問題が多いとされながら食料費の不正などが次々と明らかになった。まず、法律をつくることが先決。法律があれば官僚は国民から監視されているという緊張感を持つはず」と訴える。――――

 この情報公開法案は平成11年5月に成立し、2年後に施行させることになりました。私は、情報公開法の成立を求めてきた仲間と共に、その時を今から楽しみにしています。

 また、市議会にあっては、署名議員として協力してくれた議員、議場で賛成してくれた議員、簡単には同調出来ないという雰囲気を与えてくれた議員の全ての皆さんに感謝し、法案成立を祝したい。

<反省点>

 自分としては、初めて手がけた意見書であり、成立までこぎ着けたのは、誇りうる点だと考えています。 ただし、上記のように、自分が提案者にあることを最終目的にしたわけでなく、むしろ全会派提案としたかった。―――国会の法案成立経過は、まさに意見書主旨の方法でまとまり、全会派が一致したものであった。そうした経過をじっくり考えると、自分の説得力は、まだまだ不十分なのだと思い知らされました。

 さらに、今回の経緯の中で、「あいつが言うことなら、仕方がなかろう」、と言う信頼感を持たせる議員にはとてもなり得ていないと、理解しました。
 「他の議員に対して、自分の主張がおのずと賛成を得る」―――このような立場に至りたいものであります。

(平成11年8月分の記事、情報公開法の早期成立を求める意見書提出の顛末記は、ここで終わり)



● 市施設の公平な利用はいかに有るべきか?(テニスコート)
 平成9年12月議会以来続いてきた、市営テニスコートの利用に関する申し込み方法の条例改正は、平成11年3月議会で「開放コート使用の復活」を含めた申し込み方法の改正案が提案され、ようやく決着を見た。
 スポーツ施設の利用申し込みに関して、市営テニスコートの全てを個人利用登録に基づく「コート専用貸し」方式と定めていたのを、改めて一部のコートは予約無しの「土・日開放コート」方式に復帰したものである。

<問題の要約と評価の結論>
 議会の議論では、当初少数派と見られていた利用者の請願を支持する意見は少数派であったが、議会内外での具体的な問題点の提起によって、本会議で逆転したのである。その後の一般質問などによって、私が主張した意見が通り、上記のように条例改正された。
 このテニスコート利用に関しては、「住民の意見をどのように聞き分けるか」ということで、意義深いケースであった。請願関係者の調査・理論構築も非常にレベルの高いものであったし、熱意も感じられた。
 問題点として次のことがあった。
 私が条例改正を求める住民請願にいち早く署名し、会派所属議員に請願賛成を奨めたが、全員を説得することが出来ず、会派の見解がわかれて賛否自由と なった。関係する文教委員に賛成者を出せなかったことは、自分の説明時期が出遅れたこともあり、今後の課題とする点だと考える。
 さらに、議場外での議論や説得活動も盛んに行ったが、「請願を退けた」委員会の委員長報告に対して、請願の審査が不十分ではないかと言う見地から、私は議場で内容質疑をした。質疑発言の内容で優位を保つために、何の前触れもなく行ったものだが、その手法は一部の議員に不快感を与えたようだ。

(要約と結論部分とここで終了)

**以下には簡単な経緯を紹介し、下段に特記点を詳述する。**

1条例改正提案・可決
  平成8年12月 体育施設の申込方法などの変更に関しての条例の一部改正が全員一致で通る。
          テニスコートでも、全て登録者の予約申込方法とされる。
          この条例の審議に際して、現行制度の維持を求めた住民より
          「陳情書」が委員会に参考送付された
2条例改正提案・可決
  平成9年3月  テニスコートの利用に関しての条例の一部改正、施設名の一部削除、
          有料化措置の導入「委員会」、「本会議」とも「賛成多数」で「原案可決」
3住民請願の審査
          予約無しの「土・日開放コート」方式に復帰を求める請願が提出された

 *文教委員会審査
  平成9年3月   二度の休憩をはさんで、質疑が重なる。 
  平成9年6月   「討論」の申し出はなく、「採決」では、「賛成少数」の結果となる
 *文教委員長報告
  平成9年6月本会議 「請願」は「賛成少数」の結果「不採択」だったという報告
            「委員長報告」に対して、吉田勉は「行政の説明事項」に関して「質疑」
 *本会議表決で逆転
  平成9年6月本会議 吉田勉が「請願」に「賛成討論」「表決」の結果、
            「請願」は賛成多数で「採択」される 
4一般質問で取り上げ
  平成10年6月   本会議の一般質問で、「テニスコート」の予約方法の早期改正を求めて、
            「議会の採決を忘却していないか」と質問
            答弁では、早期に条例改正の考えたいとの返答を得る
5条例改正審議・可決
  平成11年3月   予約無しの「土・日開放コート」方式の一部導入する条例の改正案が
            審議・料金の無料化を主張する会派を除いて賛成多数、ここに決着を見る。
6施設準備
  平成11年6月   予約無しの「土・日開放コート」方式とするための発券機器の
            導入予算の提案に至る

**テニスコート問題のポイントについては、下記に続けて下さい**

平成9年6月議会の「委員長報告」に対して、吉田勉は「行政の説明事項」に関して「質疑」した内容

 開放コート方式での料金徴収が難しいと言う行政の判断が委員会で示されていたので、委員長報告に対しての質疑で、「個人利用の料金徴収機器が利用されずに放置されていることが、委員会で説明があったかどうか」を尋ねた。文教委員長は、(記憶力高く){明確にそのような説明は無かった}と答弁。委員会に対する、請願の実現性に関しての行政の説明不足があることを指摘した。
 それを受けて、討論で賛成の立場で発言し、開放コート方式方式を取り入れた方式は利用者数が多くなること、サラリーマン等が利用しやすいこと、導入に何の障害もないことを述べた

○請願紹介者の確保

請願提出には、1名以上の紹介議員を必要としているが、紹介議員の依頼を受けたので、自分だけが署名して全体の賛成を得ることはとても不可能と思えた。請願に否定的な文教委員がいる中で、会派に賛否自由の確保と紹介議員署名をしたいと提案し、賛成をえた。
 同時に、請願者に対しては、自分が署名することを約束した上で、多数の賛成者を得るために、他の会派の紹介議員も依頼するようにすすめた。私が所属する自由民主党会派を除いて、請願者の紹介議員の確保では見通しがついた。

○住民請願の趣旨を生かす!−議会レポートVOL.100号より

 町田市議会では年に4回の定例議会を開催し、議員が市長に対して一般質問を行うほか、予算や条例案等の議案を審議しますが、住民の皆さんから提出された請願も同様に取扱います。この請願制度というものは直接住民の意見を問えるものです。
 今回の議会では合計7件の請願が審議され、3件の誓願が採択されました。このように全部の請願が採択されるわけでなく、不採択、もしくは継続して審議される場合もあります。この「住民請願」に関して「1年以上前に採択されていた請願の趣旨が、どのような理由で行政の施策に未だ反映されないのか」という一般質問を行いました。
<議会で請願は通ったが>
 昨年の6月議会において、<休日のテニスコートは予約なしに自由に使用できるようにするべきだ>と言う趣旨の請願が激論の末に採択されました。
 請願趣旨を生かすことに技術的な問題は無く、全部のコートに対して変更を求めたものではないにも関わらず、訳もなく改善の兆しが見えませんでした。 
<本会議採択の重み実感>
 行政の立場では現状の一元的管理の方が楽であっても、個人単位の利用方法を生かして大勢の人で使用することや、休日はサラリーマン等が予約なしで申し込める方法の復活が必要だとも再度訴えました。
 来年早々には改善する意向が表明され、本会議の請願採択の意義を実感しました。(以上で、関係記事の項は終わり)